[NO.1347] ロシア人の見た十八世紀パリ

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ロシア人の見た十八世紀パリ
ニコライ・カラムジン
福住誠 訳
彩流社
1995年12月20日 初版第1刷発行

ロシア貴族の若者が書いた手紙形式の随筆。

p5
プロローグ
フランス革命が起こる二ヶ月前の一七八九年五月にニコライ・カラムジンはモスクワを出発し、サンクト・ペテルブルクを経て、西欧へ旅立った。
途中略
十八世紀はフランス文化が全ヨーロッパに君臨していた時代であった。各国の君主や貴族は、プロイセンのフリードリッヒ大王やロシアのエカチェリーナ女帝に代表されるように、フランス語を話し、フランス風の礼儀作法や教養を身につけようと努めた。フランス語がラテン語に取って代わって教養人の共通語になっていたのである。そしてフランスの思想家や文学者の作品を読むことは教養人としての証であった。
途中略

フランス文化の中心地であり、当時のヨーロッパの首都ともいうべきパリは、誰でも一度は行ってみたい憧れの都市であった。遠く離れたヨーロッパの辺境に位置するロシアから、馬車に乗ってはるばるとやって来た若きカラムジンも、初めて訪れるパリに胸が躍るのだった。

※  ※  ※

で、本文なのだが、これが退屈だった。年代としては一七九〇年三月二十七日から六月までの内容。サロンを訪問したり、ときには郊外へでかけたり。まだ、国王夫妻は生きている。

インテリの考察が述べられている。ルソー、モンテスキュー、ヴォルテール、デカルト、ニュートン。なによりもパリについての事前の知識が豊富。まるで、洋行したことがないのに街路をそらんじていたという戦前の日本の学者みたい。