[NO.1342] 辰野隆 日仏の円形広場

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辰野隆 日仏の円形広場
出口裕弘
新潮社
1999年9月20日 発行

NO.1337 文学を探せ つながりで本書へ。

「豚児」として紹介されていた部分

父辰野金吾は法学部を卒業しても就職しない我が子を横浜正金銀行の頭取井上準之助に頼んだという。あの永井荷風と同じだ。荷風が父親に言われてニューヨークとリヨンに行ったのも同じ銀行だった。

p54

中学校時代から成績が悪いので親父が僕のことを豚児々々といっていましたがね、僕は豚児の親父は論理的にいって豚父だから、自分のことを以て任じることになるから豚児は止めろと親父を叱ったことがありましたよ。

話を元に戻すと、辰野隆は父に言われたとおりに井上準之助に会いに行ったことには行ったがが、就職を止めたのだという。その顛末も面白い。井上と会ってみると、いかにも聡明な立身出世しそうなタイプで、対する自分の出世しなさを自覚したのだという。

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戦前に我が国で生まれたフランスのイメージ。それを映画で例えると......。

p111

なつかしい斜陽の国
悔恨、倦怠、過去追慕。『外人部隊』の、『ミモザ館』の、『舞踏会の手帳』の、そしてこれから登場する『望郷』のフランスは、そうした情調の尽きざる泉だった。美しく高貴な斜陽の国というのが、昭和五、六年ごろから十四、五年にかけて作りあげられたフランスのイメージだと言ってもいい。

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p207

私たちは、ある国に住むのではない。ある国語に住むのだ。祖国とは、国語だ。それ以外の何ものでもない。

有名な警句。これがシオランの言葉だったということに驚いた。2度目に筆者がフランスへ行ったときに出会い、その後、翻訳をすることになったという間柄のシオラン。
しかも、シオラン自身が母国語であるルーマニア語を捨てて、フランス語で書いたという事実。なんともはや。