生物と無生物のあいだ/講談社現代新書1891 福岡伸一 講談社 2007年5月20日 第1刷発行 2007年8月29日 第9刷発行 |
有名になった福岡先生による新書。学者が自分の細分化された専門分野を離れ、原初としての謎に答えようとした本だという。つまり、「生命とはなにか」。
中学生時代に通っていた学校の古ぼけた図書室にオパーリンの『生命の起源』を見つけたときのことを思い出した。(今にして思えば、どうしてそんなかたい本があったのか不思議だ。)フラスコの中で生命を人工的に誕生させることができるのか? 魅力的だった。
福岡先生による本書は、「生命とは何か」という問いに答えるだけでなく、20世紀に生物学界で起きた動向をわかりやすく挿入してくれる。この人の特徴は文章のうまさだった。文学的な随筆としても一定の水準を維持している。
導入部、生物の定義が紹介される。つまり、自己複製するということ。ところがそれだけでは説明のつかない現象が......。なるほど。
ウィルスは代謝がないという。知らなかった。そうなのか。福岡先生はウィルスを生物と無生物のあいだをたゆたう何者かであるというのだ。
p36
ウィルスは、栄養を摂取することがない。呼吸もしない。もちろん二酸化炭素を出すことも老廃物を排泄することもない。つまり一切の代謝を行っていない。ウィルスを、混じり物がない純粋な状態にまで精製し、特殊な条件で濃縮すると、「結晶化」することができる。これはウエットで不定形の細胞ではまったく考えられないことである。
SF小説じみてくる内容だ。
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ロザリンド・フランクリンをめぐるDNAらせん発見の過程を紹介しているところ、なるほど。学者の覇権。
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途中から、やっと生命の本質について、論が進む。
「シュレディンガーの猫」で有名な物理学者シュレディンガーが書いた本『生命とは何か』(岩波新書)が面白い。そこで重要な二つの問いをたてているという。①遺伝子の本体はおそらく非周期性結晶ではないか、という予言。②なぜ、原子はそんなに小さいのか?
この②番目の問いをきっかけとして、説明が進む。この問いを転倒させると、原子の大きさに対して、どうして生物はこんなにも大きい必要があるのか。この考え方が面白い。
面白いのは、あくまでも物理学的に生命の解明がなされるはずだというシュレディンガーの主張。
p132
生命現象は神秘ではない。生命現象はことごとく、そしてあますところなく物理学と化学のことばだけで説明しうるはずである。
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ルドルフ・シェーンハイマーによる考え方、すなわち生物は「砂上の楼閣」である、という論が紹介される。これは、今日よく耳にする。そのご本家がこの人だった。ここが本書の生命観の眼目。
p164(孫引き)
生物が生きているかぎり、栄養学的要求とは無関係に、生体高分子も低分子代謝物質もともに変化して止まない。生命とは代謝の持続的変化であり、この変化こそが生命の真の姿である。
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その後、アメリカで著者の携わった研究紹介が具体的に紹介される。それは、どうも付け足しのようで、門外漢には飽きてしまった。
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