[NO.1227] 知に働けば蔵が建つ

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知に働けば蔵が建つ
内田樹
文藝春秋
2005年11月25日 第1刷発行

例によってブログ「内田樹の研究室」からの抜粋を集めたもの。今回の期間は2004年~2005年にかけての内容。

したがって多岐にわたる内容なのだが、例外的にひとつのテーマを扱っているのが「ニーチェとオルテガの大衆=貴族論を祖述した」p74『貴族と大衆』。読みでがある。大衆についてここで紹介していることは、目から鱗の内容だった。ちなみに、オルテガ『大衆の叛逆』は読んだことすらない。ニーチェ『善悪の彼岸』『道徳の系譜』『ツァラトゥストラ』は持っていただけで読み切れなかった。で、またしても内田樹の展開を読んだことで、それらがわかった気になってしまった。少なくともこれまでに柄谷行人を読んでも、こうはならなかった。

※  ※

紹介している本では次の3冊が面白かった。

(1)『暗黙知の次元』(マイケル・ポランニー著、高橋勇夫訳、ちくま学芸文庫刊、2003年)

p016
ポランニーの表現を借りて言うと、私たちが何かを「知る」というのは、「暗黙のうちに知っていること」が「明示的に知られること」に変換されるということである。

p158
人間の知的活動とは暗黙知から明示知へ「何か」がレベル変換することに他ならない。
かつてソクラテスはそれを「産婆術」と称した。

(2)『希望格差社会』(山田昌弘著、筑摩書房刊、2004年)

p049
「言いにくいこと」がはっきり書いてある本である。
メディアが言いにくいことをはっきり言い切ってしまっているという点では、諏訪哲二『オレ様化する子どもたち』に通じている。

(3)『階層化日本と教育危機――不平等再生産から意欲格差社会(インセンティブ・ディバイド)へ』(苅谷剛彦著、有信堂高文社刊、2001年)

p061
ずいぶん話題になった本であるから、この中で苅谷さんが統計的に証明して見せた「子供の学力は母親の学歴と相関する」という命題は今ではどなたもご存じだろう。
しかし、それだけにとどまらない多くの重要な指摘がここではなされており、教育を考える上でのランドマークとして残る本だと私は思う。
この本のいちばん重要な命題を一つだけ挙げるならば、それは「日本は学歴社会ではない」ということである。

※   ※

p274
otaku は kamikaze とともに、おそらく現在もっとも頻繁に海外メディアに登場する日本語だろう(「カミカゼ」を「自爆テロ」と「翻訳」するのは日本メディアだけである)。
(途中略)
インターネットでこうして外国の新聞報道をリアルタイムで読むことができる時代になったのに、若い人でこの特権的な情報回路を活用しているひとは決して多くない。
外国語が「読めない」からである。
もったいない話である。

後半で述べていることと同じような話を、かつて、大江健三郎氏が高校生に語っているところをNHK番組で見たことがある。また、方向性はまるで違っているけれど、『DOS/Vブルース』(鮎川誠著、幻冬舎刊、1996年)でも、外国語サイトを読むことについて触れていた。大江さんが正統派の意見だったのに対し、こっちはインターネット黎明期に、英語版海外サイトから音楽のロック情報を得るという話題だったけど。

それにしても、「カミカゼ」を「自爆テロ」と「翻訳」するのは日本メディアだけである というのは目から鱗でしたね。

※  ※

p288
『僕が批評家になったわけ』(加藤典洋著、岩波書店刊、2005年)

最後の方は「内田樹論」なので、照れくさくて身もだえし床を転げ回って読み終える(騒がしい読者だ)。
(途中略)
加藤さんの本は「批評とは何か」という根源的な問題を扱っている(すごく面白い。とくにいきなり柄谷行人が「なんぼのもんじゃい」という話から入るところがスリリングだ)。
その中で私のことも論じられている。
それは私が「売れなかった」ということの理由についての考察である。
(途中略)
読んで私も驚いた。
そうだったのか。
そうだったのかもしれない(と私も読んで納得してしまった。加藤さんが分析してくれた「その理由」を知りたい人は本を買ってね)。
でも、一番大きな「怠惰」の理由は「子育てに忙しかった」からじゃないかと思うんですけど、加藤さん......。
(途中略)
「子育て」や「学務多繁」で平気で「批評」を止めちゃうような人間なんです、ウチダは。
そして、もし私の言説に多少なりとも批評性があるとしたら、それは「学務多繁を理由に平気でメディアへの執筆をやめちゃうような人間である」という「態度の悪さ」によって担保されているような気がするのであります。
(途中略)
私は「アマチュアの物書き」である。
(途中略)
私は「アマチュアの物書き」であり、「アマチュアの学者」であり、「アマチュアの武道家」であり「アマチュアのビジネスマン」である。

いったん読み出すと止められなくなる内田樹。その特質を述べたのが、「子育て」や「学務多繁」で止められちゃう文章。逆に言えば、そうでないときに書いたのが、内田樹の文章ということになる。で、それはなんなんだ?