電子本をバカにするなかれ/書物史の第三の革命 津野海太郞 国書刊行会 2010年11月25日 初版第1刷発行 |
2005年に終えた『季刊・本とコンピュータ』の延長線上にある本。写本を第1期、グーテンベルクの印刷が第2期であるとして、電子本は第3期にあたるのだという。それだけ長いスパンでとらえるならば、たかだか10年や20年単位だけでは電子本の今後の姿など、とても見えっこないとも。それでもあえてこれからを予測するならどうだろうという。
また、たまたま電子本が出てきた時期と時を同じくして、出版不況の波が押し寄せてきたために、本来の電子本としての姿が見えにくくなってしまったのだそうだ。なるほど、1997年という時期。
本書で話題に取り上げられたエキスパンドブックやT-Timeに、かつて心を躍らせたこともあった。PDAにのめり込み、液晶画面上での読書にうつつを抜かしたことも懐かしい。その後、電子本はもっと爆発的に普及するかと思いきや、今になってもまだ一般的には浸透し切れていない。そこに、「今」本書が出版された意味があるのだろう。
p175 萩野正昭氏との対談が一番面白かった。1990年代の草創期のこと。
しかし、たんに面白がってもいられない、深刻に考えざるを得ない内容を提起していたところがあった。それが、p93~「図書館の問題」だった。以下、要約すると、......
つまり商品としての本(作者や出版社や書店人はそれで収入を得ている)の対極として、無料で読むことのできる公共図書館の本がある。いいかえれば、本には商品としての面と同時に、だれもが同一の条件で利用できる文化資産としての面がある。逆にいうと、図書館には無料でいつまでも本を提供し続けねばならない社会的責任が課せられている。
ところが、資本主義社会では、このタダというのは決して自然なことではない。だから、図書館の構造改革を進めるという、おなじみの市場競争万能主義が適用され、公共図書館が事業仕分けの対象にされる。大幅な予算削減、蔵書の廃棄、スタッフの外注化などなど。そしてその延長線上にやってくるのが図書館の有料化。
そんな中で登場したのが、グーグルの図書館プロジェクト(現グーグル・ブック検索)だった。ところが、グーグルにはこれまで本(図書館)が担ってきた文化的・社会的責任を担う覚悟があるとは思えない。グーグルには技術とビジネス(データ独占・権利販売・株主の利益)の観点しかない。
さらに付け足されている表現によれば......。だいいち、あそこには技術者は弁護士は何千人もいるが、ひとりの書誌学者もいないじゃないか。そんなことで大きな図書館が運営できるわけがない。......笑ってしまった。
※ ※ ※
p169
『季刊・本とコンピュータ』終巻の辞 に出てきた人名がよかった。
1997年創刊時の編集長は津野海太郞で、筑摩書房の松田哲夫とボイジャーの萩野正昭が副編集長、平野甲賀がアートディレクター。
2001年第2期スタート。雑誌本体は仲俣暁生と河上進、英文出版やウェブサイトは室謙二、オンデマンド出版による「リキエスタ」計画は瀧沢武が、それぞれ中心となって担当し、津野が全体としてサポート。
p174
最後に、この八年間、「本とコンピュータ」編集室でしごとをしてくれた方々の名(文中にあげた人はのぞく)を順不同で列挙させていただく。竹中龍太、木下弥、田中直子、磯田隆親、山村理恵、松井貴子、半田浩、木村祐子、永井明子、奥田敏夫、バスケ、アラン・グリースン、ジム・バカーロ、二木麻里、四釜裕子の方々。いっしょにはたらけてよかった。まァ、いろいろありましたけどね。
順不同とのことながら、ARIADNEの二木麻里さんとBOOK BAR 4の四釜裕子さんが最後にきているのは、なぜ?
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