[NO.1219] 吾輩はシャーロック・ホームズである

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吾輩はシャーロック・ホームズである
柳広司
小学館
2005年12月10日 初版第1刷発行

倫敦へ留学中の漱石とホームズが活躍した時代が重なるので、そこで二人が(ワトスンでもいいが)顔を合わせたとなると、いったいどのようなストーリーが生まれるのだろうか。この発想は小説家の心をくすぐるところがあるとみえて、複数の作家が描いている。で、その中のひとつということで。

もともとホームズを主人公に仕立てたドイル以外の作家による作品もある。それらの中で、面白可笑しいものがあった。(この手の作品は読んでもすぐに忘れてしまう。)本作も、その流れの中のひとつ。ワトスンと漱石との掛け合いの面白さが主眼になっている。

どうせなら漱石の周囲にいた他の日本人を登場させてもよかったのではないか、などとも考えたが、逆に登場人物の数を絞ったことがよかったのかもしれない。そうすることによってストーリーにメリハリをつけることができたのだろう。

前々から、漱石と南方熊楠のロンドン時代ということを考えていた。この二人は生まれが同じ1867年の上、東京大学予備門に同じくして入学している。ところが、二人の間に交流はなかったらしく、漱石がロンドンへ留学する途上に熊楠はロンドンからの帰国の船上であった。洋上で交差するのみで、このときにも顔を合わせることはなかった。いやはや、なんとも対照的な二人の生涯。

きっと山田風太郎なら、熊楠が帰国前にしでかした事件の後始末に漱石が遭遇し、ただでさえ異国生活にうんざりしているところへ追い打ちをかけるように嫌な目に遭わせてしまうなどというストーリーを組み込んだことだろう。