神保町「二階世界」巡り及ビ其ノ他 坂崎重盛 著 平凡社 刊 2009年7月5日 初版第1刷発行 |
恐るべし、坂崎重盛氏。本書は『東京本遊覧記』『東京読書/少々造園的心情による』と並んで、氏による古書関連ベスト3に入る。内容は多岐にわたるが、どれも東京本関連で珠玉のエッセイばかり。これまでの集大成かもしれない。
p3
ほぼ十年ほどの間に、新聞や雑誌のコラム、あるいは文庫本の解説として寄稿した文章を中心に一巻にまとめたのが、この『神保町「二階世界」巡り及ビ其ノ他』です。
タイトルにもなっている巻頭エッセイにはやられた。神保町古書店街の「二階」を巡るという内容。たしかに、二階は面白い。特に今のような暑くてたまらない季節、二階は涼しくて静かでいい。博物館か美術館のようでもある。高くて買ったことはないけれど。
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「まえがき――少々自伝的に」を読みながら、坂崎氏の文体について考えた。
p4
ところで、比較的最近、
(自分はどんな心づもりで、文章というものを書いてきたのだろう)
と自問したことがあります。多分、二度、三度、この問いは自分に発せられたのではないでしょうか。
と、いうのは、多分、ぼく自身、こうして文章を書いたりしていることが、未だに、どこかで信じられないような気持ちがするからです。
「自分はどんな心づもりで、文章というものを書いてきたのだろう」という問いを「多分、二度、三度、」自問してきたというが、実は常に意識してきたのではないか。この続きには「ぼくの育った、東京下町の小売酒屋という家庭環境は、各種芸事や、下らぬ冗談、駄洒落が飛び交うといったやりとりには囲まれていたものの、一人部屋で静かに読書をするような少年を生む環境ではなかった。」としながら、その後たどった道筋が綴られている。確かに文章を書くことを生業とするにはあまり縁のなさそうかもしれない。
それだけに、坂崎氏が文章を書くようになったからには、随分と意図的に文体を意識してきたのではないだろうか。
p7
とにかく、子供のころから学生時代に至るまで、ほとんどマトモな読書生活をしてこなかった。文科系的な世界とは縁がなかった。知り合いや先輩に文筆関係の人は一人もいなかった。
そんなぼくが編集者という人種と出会い、原稿のようなものを書く機会を得たのは、就職した地方公務員を三年足らずで脱落した直後、ほんのちょっとした偶然からでした。
文章を書く、といったって、文科系的な素地がないのですから、無手勝流でいくしかない。ただ、育ちが育ちのものだから「言葉」というものの手強さ、面白さは少しは知っていた。しかし......それだけで原稿というものを書いてしまっていいのだろうか? いや、書くしかないのだから書けばいい、しかし......。
というわけで、それからずいぶん年月もたった、この期(ご)に及(およ)んで、いまさらながら(ぼくは、どんな心づもりで文章というものを書いてきたのだろう)
と自問しなければならなくなる。
自問したからには、自分なりの解を出しておかなければならない。解を出してみました。
一、論理的、すじ道立った、整然たる文章を書く能力はない。能力のないことをするのは嫌だ。
二、言語的統一、論旨の整合性などは重視しない。その場、その場の気分、生まれたばかりの未整理の言いまわしや発想は大切にする。つまり、安心と引き換えの制度は嫌だ。「遊び」が命。
三、真面目でネガティブな文章は書きたくない、書けない。人間が真面目にできてないからだ。
と、まあ、自問したわりには、たかだかこんな解だったのですが、少し気取っていわせてもらうと、ぼくは「歌うような、口ずさむような」「踊るような、泳ぐような」心づもりや身ぶりで文章というものを書いてゆきたいと思ってきたようなのです。
あるかなきかの技能、技術を自分なりに精一杯使って、遊びだからこそ真剣に、心を入れて、一節(ひとふし)歌う、一踊り、一泳ぎする、そんな心づもりで、なにごとかを表現しようとしてきたようです。
そして、その時、その場の、遊芸の一つ一つが、こうしてまとめられ、このような「独演会」的な一巻となりました。
お楽しみいただければ幸いです。 坂崎重盛
ここには、生業として文章を書くことを選んだ坂崎氏の心構えが宣言されているように思える。それは次のような植草甚一氏についての記述に出会い、さらにその思いを強くしたことにもよる。
p74
文章に関しても、あ、こんな書きかたをしてもいいんだ、という自由な感覚にみちみちている。もちろん、きちんとした文章を基礎にしてのことではあるが、そこから脱けでて、勝手気ままに文章とたわむれている雰囲気が伝わってきて、読む側の気持ちをリラックスさせる。
勝手気まま? これは、きっと大変なことにちがいない。カタイ文章は芸(イコール才能)がなくても書ける。ムズカシイ文章は頭が悪く、言葉を少ししか知らなければ書ける。しかし、読者に、勝手気ままに文章とたわむれているように思わせるのは、多分、持ち前の才と、修練(しゅうれん)の積みかさねと、文を書く、そのときの瞬発力が強くないと書けないのではないか。
しかしJ・J氏は、
「なんでこんなつまらないことばかり書いているんだろう」
などと、つぶやきふう合(あい)の手などを、自(みずか)ら文中に入れながら、読む人の気持ちをつかんでしまう。
J・J氏の術中にはまってしまうのだ。
今の物書きで、じつはJ・J氏の文章によって、文体開眼したという人は少なくないのではないだろうか。少なくともJ・J氏登場前と登場後では、オーバーにいえば日本のコラムやエッセー、あるいは若い人の書く文章のスタイルは変わったのではないだろうか、と、ぼくは思っている。
坂崎氏が「J・J氏の文章によって、文体開眼した」のかどうか、はっきりとは書かれていない。けれども、少なくとも影響を受けたことは間違いないだろう。
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数々のエッセイの中、懐かしい題名を目にした。p215『チューサン階級の冒険』(嵐山光三郎著)。これの文庫版解説が坂崎氏。いやはや。
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