[NO.1158] 村上春樹をめぐる冒険

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村上春樹をめぐる冒険/対話篇
笠井潔加藤典洋竹田青嗣
河出書房新社
1991年6月20日 初版印刷
1991年6月28日 初版発行

NO.1157『小説探検』(小林信彦著、本の雑誌社刊)中、p162「31 〈あのころ〉をどう処理するか?」というタイトルで書評している。

「対話篇 村上春樹をめぐる冒険」(河出書房新社)をむさぼるように読んだ。
理由は、現代日本の生きている作家でぼくが興味をもつ数すくない作家の一人が論じられていること、そして、その論じ方が清鮮なものであること、といってよいだろう。

ここまでほめられていれば、読まずにはいられまい。っということで一読。

笠井潔、加藤典洋、竹田青嗣というこのお三方が対談ということなので、予想どおりの内容。蓮實重彦と柄谷行人について言及することが多い。当時の雑誌『現代思想』を思い出す。久しくこの手の言説から離れていたことに気づき、逆に驚く始末。小林信彦氏が「その論じ方が清鮮なものである」と評したのが不思議なほど。うーむ。

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p13
加藤
連載の最後の回でも扱ったのですが(『中央公論文芸特集』連載〈『ゆるやかな速度』、中央公論社〉)、そのきっかけは、村上春樹の否定の仕方への疑問でした。遅ればせながら、つい最近、蓮實重彦の『小説から遠く離れて』を読んだのですが、この本について僕は、中上健次の『枯木灘』(河出書房新社)はどこがすぐれているのか、村上春樹の『羊をめぐる冒険』はどこがすぐれていないか、というのをはっきり語った評論だなと受け止めました。
そこでは『羊をめぐる冒険』で、これはちょっと違うのじゃないかとか、小説として弱いなとかといった、僕もまたこの作品に関し、批判的に感じたところが、蓮實さんなりの枠組みできっちり言われているのですが、その先の村上批判のあり方に強い違和感をもった。そして考えていくうち、蓮實氏の見方ではもうとらえられないところまで村上は行っているのではないかという気さえしてきた。

(あとがき――「ダチュラ」の運命  笠井潔)

p244
たぶんそれは、声明の「私」なる主語の無規定性に由来している。もしも「日本国民としての私」であるなら、わたし自身はそれに同じないにしろ、そのような立場をとる「日本国民」も存在しうることまでは否定しようがない。同じえないのは、自分には日本国民の一員として日本国家に何かを注文する、しうるという内的なリアリティが解体していると感じられるからだ。

同じないにしろ、同じえないのは、という表現におやっと思った。「同じる」をこういう使い方で目にしたのは珍しかった。

「ダチュラ」、うーむ、懐かしい。あの当時、インパクトが強かった。

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本書で一番よかったのは、「風の歌を聴け」について解説していたところ。

p26
笠井
きわめて奇妙な小説ですね。書くべきことを書こう、本当のことを書こうとしながら、しかし、どうしても本当のことは書けない。本当のことを書こうとするなら、三月の事件、その後『1973年のピンボール』で直子という名前を与えられるだろう女性との関係について書かれるべきなのに、それはついに書かれることなく、四カ月後の港町での夏の休暇の話が描かれる。
この作品自体はすぐれた作品で――大傑作とまでは言わないにしても――村上春樹の志みたいなものはとてもよく出ていると思った。こいつは 「本当のこと」をちゃんともっている、書かなければいけないということを抱え込んでいる作家だということが納得できた。次にそれを安直に書くわけにいかないということも了解している作家だということもわかった。そんな二律背反のなかで、苦しまざれにつくりあげられた作品としてあの小説があるんだなと読んだわけです。
そんな形で僕の中に村上春樹の小説が入ってきた。必ずしも都会的にしゃれた環境や台詞、あるいは主題化された現代社会のシステム性などよりも、一九七〇年前後、二十歳前後の時期に体験してしまった、なにか決定的なものを、迷いつつも言葉にしようと努めている一種の全共闘小説として、反全共闘でもかまわないのですが、そうしたものとして僕の前に現われてきた感じがあります。

やっぱり出た! 出さないわけにはいかないであろう 「全共闘」「反全共闘」。この次の加藤氏による発言にも登場。