[NO.1098] 書斎の王様/岩波新書324

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書斎の王様/岩波新書324
「図書」編集部
岩波書店
1985年12月20日 第1刷発行

【目次】
大江志乃夫/書斎の合理主義
尾崎秀樹/わが家の書庫
小田島雄志/書斎憧憬史
倉田喜弘/新聞記事の収集に賭けて
小泉喜美子/夢みん、いざや
椎名誠/素晴らしいガタゴト机
下村寅太郞/蔵書始末
庄 幸司郎/書斎造りを通して出会った人々
杉浦明平/地獄化した書斎
立花隆/わが要塞
長瀬清子/女なのに(「女なのに」に傍点)書く場合
林京子/笈の小箱
星野芳郎/職住分離型書斎の経済的背景
村松貞次郎/本と道具と木と樹
山田宗睦/書斎七遷
由良君美/縁・随縁――集書の不思議
吉野俊彦/書斎・我が城

約25年ほど前、この本を何度も読み返した記憶あり。とりわけ強く記憶に残っているのが、由良君美氏による子ども時代のはなし。以下、引用。

p204
由良君美/縁・随縁――集書の不思議


昔、中学なかばの頃だったろうか。その頃は今なら東京の文京区に住んでいた。ある日、巣鴨の刺棘抜(とげぬ)き地蔵の縁日に夕涼みがてら、でかけたことがある。いろんな屋台や出しものの並ぶなかで、中学生の小遣いでも一本ぐらい引ける一種のアミダ籤をやっていた。景品は一切わからないという不気味といえば不気味、無責任といえば無責任な無茶くちゃなもの。が、これに妙に心ひかれた。そこで籤を一本引いてみた。胴元は、上半身総刺青(そういれずみ)の兄(あん)ちゃんだったが、わたしの引いた籤を開いてみて一瞬、顔面蒼白になった。関西方面からの渡世人であったろうか、こう言ったものだ。《おい、坊(ぼ)ン、ひとりで来たんかヤ?》実は母や姉や女中たちと来ていた縁日だったのだがこの籤の時はわたしはうまくまぎれて一人。それにわたしの小遣いで引けるリスクなのだ、少年じみた見栄もあった。《ウン》とわたしは頷き返した。《坊(ぼ)ンなあ、えらいもん当てたで。中味の方は、わても知らん。女の黒髪でがんじがらめに編んで包んだるさかい。坊ンにはな、まだ早いて。色ごと文かも知んねえなァ!》と言いながら黒い包みをこっちへ放ってよこした。母や姉たちに見つからないように浴衣(ゆかた)の影に隠しながら持って帰ったその景品は、なんとも奇異な代物だった。うら若い女性の長い美しい髪を細かく編み上げて一冊の本をくるみこんだものだったのだ。年を経た今のわたしなら、女性にとっての髪の大切さや、ただならぬ丁寧なその編み方に気づき、乱暴な開け方なぞしなかったろう。悲しいかな当時、わたしはまだ未熟(ガキ)。丹念に編まれた髪の毛のその下にあるらしいものの方が、早くみたくてたまらなかった。考えればなんとも浅ましいことをしたと悔やまれる。机のなかの切り出しで髪の編目をズタズタにして、中味をあせって取りだしたのだった。何と、そこに現われたのは、蒲原有明の詩集『有明集』のかなり保存のよい明治四十一年初版本だった。なかには何の書き込みもシミもなかったが、男が女心を唄う詩のページだけは、たぶん繰り返しその佳人が読んだのであろう。女の右の親指と思われる優しい指紋の自然な油滲みが見開きの下部に薄くついているのだった。すでに日中戦争が始まってかなりになっていた頃のことだ。こんな高度の象徴詩集初版本を恋人に形見に託して出征していった男がいて、その恋人も二人で暗記し合っていたであろう想い出のページを何度も何度も読んでいたが、ついに何かの事情で、この形見への未練を断つ必要がおこり、長い髪を惜しげもなく断髪して、この『有明集』を鄭重に編み上げて、その想いを断ち切ったものではあるまいか。若かった少年の身だ。そこまでの臆測はとても働かなかったが、縁日のアミダ籤ひとつが随縁となって手に入ったこの貴重な初版本の蔭にこもるであろう生存の哀歓のほどは、年とともにわたしに重くつのる。この本ばかりは数度の引越しにも耐えて、いまもまだわたしの蔵書のなかにある。モーパッサンのある短篇に、どんよりした日に釣糸を垂れていたある男の話があった。何も釣れない。ふと魚信(あたり)があって糸をたぐると女の長い髪の毛がただ一筋かかってきたという陰(いん)にこもった作品。哲学者西田幾多郎が殊のほか御気に召したものだったという噺(はなし)だが、それにも似た、ただならぬものを感じさせる。

上記文章が頭の隅に引っかかっていて仕方がなかった。髪の毛で編まれた本というのがすごい。当時、由良君美氏について、あまり関心がなかったため、このエピソードだけが脳裏に刻まれていた。その後、弟子である四方田犬彦氏だの高山宏氏だのの著書を読む度に、思い出していた。どの本に載っていたのか、忘れてしまっていたので、今回、やっと読みなおすことができ、のどのつかえがとれたよう。
さらに付け加えるならば、少年時代に由良氏はドン・ザッキーこと都崎友雄氏の開く古本屋へ出入りし、詩歌の初版本などを見せてもらいながら書誌学的な知識を得ていたのだという。これもすごい話だ。あまりにも出来すぎの感じがしないではない。

下村寅太郞・立花隆・由良君美・吉野俊彦、各氏の抜粋をすると、きりがなかった。