「わかる」と「納得する」/人はなぜエセ科学にはまるのか 松井孝典 株式会社ウェッジ 2007年6月27日 第1刷発行 |
大変エキサイティングな読書時間を過ごせました。
当初はサブタイトル「人はなぜエセ科学にはまるのか」に引かれて手にしたのですが、本書の眼目は違います。なにしろ、著者・松井孝典と表示してあるにもかかわらず、3人による鼎談を納めた内容なのですから。
しいて挙げるなら、第1部「わかる」とはどういうことか だけは松井氏による文章。しかし、本書のほとんどを占める内容は鼎談。帯には大激論――科学・哲学・宗教の対話とありました。
したがって、このサブタイトルはよくない。世に多数出回っている類書とは傾向が異なります。これはこれで、立派に面白さを味わえる内容だっただけに、もったいない。
※ ※
で、本書について。
端的にいうと、上記の第1章とあとがきによる、著者松井氏の提言が、まず面白い。人間が世界を認識しているということは、どういうことなのか。このことを定義づけするところからスタートします。
p171
外界を脳の中に投影し、内部モデル(ニューロンのネットワーク化された構造)をつくる。
その内部モデルを他の人間と共有しあえることが、文明を発達させることのできた原因であるとも。
これは面白い発想ですね。吉本隆明のいう共同幻想をはじめてとする考え方を自然科学者として定義づけたということ。なぜ、共有しあえるかというと、そこに一定のルールがあるからだとも。別のところでは例のキーワードである世間とも言い換えています。
p35
この「わかる」と「納得する」という問題は、現在、いわゆる世間(人間圏を脳の中に投影した内部モデル)で議論されているあらゆることに関係します。
具体的には、二元論と要素還元主義。これは科学者の考え方であるとも。
松井氏の特徴は、この共有しあえる内部モデルをどう表現するかということで、「チキュウ・ダイアグラム」なる図を掲げてしまっていること。いやあ、これには驚いた。すごい。
p24
私は、外界を投影した内部モデルをどう表現するかということで、「チキユウ・ダイアグラム」(図参照)と称する概念図を考案しています。現在までに「わかった」世界、あるいは 「わからない」世界がいかなるものか、これを使って説明するのですが、これが外界、すなわち自然を脳の中に投影させた内部モデルというべきものなのです。現時点で「わかっていること」と「わかっていないこと」とは、この図の上できちんと整理されていて、自然科学者はその境界のところを一所懸命研究しているのです。
この、「わかるとはどういうことか」という考え方、ちょっとした衝撃でした。
※ ※
科学者としての松井氏が提言している「わかる」と「納得する」という日常語を選んでしまったことについては、勇み足といえなくもない。おかしいのは、鼎談の中で、ご自分でも、まずかったかなあ、というニュアンスの発言がみられたこと。この手の定義づけは科学者には苦手であったかも。三者の議論が、なんとも。
最後に、価値感として提言している、レンタルの思想。面白し。我々人間は、死んだ後、地球に身体を還元して返すのだから、生きている間だけ、レンタルしているのと同じなんだという。へーえ。
p36
われわれは〝自分の身体″という言い方をします。自分が自分の身体を所有し、勝手にどう使おうとかまわない、と思っています。しかし、モノとしては、地球から借りているだけで、死ねば再び元の地球の構成物になるだけのことです。いわばモノとしてレンタルしているだけで、重要なことは、われわれが、脳も含めて身体を構成する各種臓器の機能を使っているという点です。繰り返せば、重要なのはモノではなく、この機能なのです。
出版社サイトに、本書の紹介あり。こちら。
コメント