三酔人書国悠遊 谷沢永一、加地伸行、山野博史 潮出版社 1993年5月25日 印刷 1993年6月10日 発行 |
巻末、「この本のなりたち」から抜粋。
本書は、「三酔人書国悠遊」の表題で、『月刊Asahi』(朝日新聞社)に一九九二年一月号から一九九三年一・二合併号まで十三回にわたって連載された鼎談を一冊にまとめたものである。
谷沢永一が仙人に、加持伸行が田夫に、山野博史が進士に名をかくして進行したが、完結の際、当初の予定通り、実名を明らかにした。
谷沢氏以外、存じ上げなかったが、読んでいて個性の強い谷沢節はすぐにわかってしまった。
山本七平氏の『空気の研究』について、丸山真男氏との比較、面白し。
p54
仙人 「そんなことをやって、あなた、いけるの」と言いたくなるようなことにスイスイ刃向かっていく冒険心。ただ、「空気」という言葉のほとんど直前まで行ってたのが何度も引き合いに出す丸山真男です。山本七平を論じるというので、もう一度、「超国家主義の論理と心理」以下の何篇かを改めて読み返してみました。「無責任体制」なんて、ほとんど空気と同じ言葉でしょう。それを、戦犯というか、被告が吐いていて、丸山美男も追及していく。しかし、ついに「空気」という一語に丸山さんは突き当たれなかった。私は、七平さん、あれを熟読したなと思った。
進士 間違いなく読んでいます。
さらに、ここも。
p108
田夫 萩原朔太郎にたいして痛烈ですね。西欧のことがいちばんわかっていない男だと。朔太郎といえば国民的評価を得ている人でしょう。
仙人 世の朔太郎論と福田さんの言説が交差しないんですわ。近代国文学界が戦後四十数年間、完全に黙殺し続けたのが三人。福田恆存、伊藤整、山崎正和。彼らには、早い話、この三人がわからない。
進士 福田恒存の思考、思索には、水泳でいえば、プールに飛び込んだ後、五十メートルを一息に潜って行ってしまうようなところがある。しかも、重要な論点を丹念に塗りこんでいく。だから非常に峻厳というか、吃立(きりつ)している感じがあって、ちょっと付き合ったくらいでは、理解が及ばないんでしょうね。
田夫 論旨は明快なんですがねえ。ですから、昔はともかく今の近代日本文学の研究者は、福田先生の近代日本の見方、知識人の見方をベースにしているのではないんですか。
仙人 全然。棚上げですよ。
福田恆存、伊藤整、山崎正和。近代国文学界が戦後四十数年間、完全に黙殺し続けた三人というのが面白し。
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