[NO.1011] 空気げんこつ

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空気げんこつ
鹿島茂
ネスコ発行/文藝春秋発売
1998年10月6日 第1刷

玉石混淆。Ⅰ「エロスと舞踏会」は詰まらない。Ⅱ「空気げんこつ」よろし。Ⅲ「流行のツボ」とⅣ「便利と無駄の戦い」はほどほど也。

さて、「空気げんこつ」から。p74「スノッブの育成」が特によろし。文芸書や人文書の売れ行きがよくない原因について。著者の考察。

現代では若い人の知的好奇心が低下していることに本が売れない原因を求めるのは違うとのこと。
知的好奇心には2種類あり、純粋なそれは今も昔も変わらないとした上で、不純な知的好奇心の変容を指摘している。「不純」とは、同じ知的好奇心でも、常に利に聡い計算があたらいている方があるのだとも。
例として、かつての旧制高校生の間で哲学書が流行ったのは寮の仲間に対する見栄であるという。また、太宰に代表されるような文学青年の横行は、かならずやその悩める姿で文学少女の関心を引きつけようという下心があったはずとも。
p75
これは、旧制高校生のデカンショ節に代表される哲学書がマルクス、レーニンになろうとも、あるいはサルトル、カミュに変わろうとも、太宰治が高橋和巳になっていようとも基本的には同じだった。私は、これを「知のランタビリテ(投資効率)」と呼んでいる。
ようするに、これこれの本を読めば、これこれの見返りがあるのではないことなかば無意識に期待して知の投資を行う傾向のことだが、

以下省略

しかし、そうした時代は1970年代なかばを境に、いっきに変容したのだとのこと。今やそうした知的なものはファッショナブルではないのでしょう。
ようするに、知をファッションとして消費するスノッブを組織的に育成することが急務だと結論づけます。なぜなら、純粋な知的読者だけだと人文書は、二千部が限度だが、スノッブがいてくれれば、少なくとも五千部はさばけるからだそうです。

つづけて、p78「もっと模倣を」から。
「文化は水と同じように かならず高い国から低い国へと流れる」
坂口安吾は文化の本質をおおむねこう定義づけている。

途中略
文化的には、はっきりいって日本はアメリカ文化の、ひいては欧米文化の一植民地にすぎない。日本人になりたいと思うアメリカ人はいまでもまずほとんどいないだろうが、アメリカ人になりたいという潜在的願望を抱いている日本人はそれこそゴマンといるだろう。
途中略
だが、文化の本質が水と同じなら、その流れもいつかはとまるというのもまた真実である。文化の輸出国だった国の力が衰え、輸入国だった国が輸出国に変身するという事例も歴史には事欠かない。
途中略
その典型はフランスである。フランスはシーザーのガリア征服以来、文化的にはほぼ十六世紀にわたってローマの植民地であり続けた。フランスが文化的にローマの隷属を脱するのは、表面的にはルイ十四世の十七世紀、実質的には十九世紀の後半である。ローマへの隷属を示すいい例が、フランスの美術や音楽のアカデミーで最優秀賞を獲得した生徒に与えられていた特権の名称である。それはローマ賞と呼ばれ、ローマへ留学することだった。
だが、十九世紀に、パリは文化のあらゆる面でローマを凌駕し、ベンヤミンのいうように「十九世紀の首都」となった。これ以後、文化の流れは、すべてパリから世界へと向かうようになる。あらゆる国で、芸術家や文学者は「フランスへ行きたしと思えども」という嘆息を漏らすようになる。では、この文化的逆流の原点となったのは何か。
フランスの場合、ローマ文化を吸収することは、恥どころか、もっとも大切な国是であった。古典主義(クラシシスム)とは、ギリシャ・ローマの古典をいかに模倣するか、その忠実度の別名であった。ところが、模倣というものは、芸術家が真剣であればあるだけ模範からの逸脱を促すという原則がある。フランスもこの例にもれなかった。
かくしてフランスをフランスたらしめた最初の傑作であるラシーヌ、モリエールらの古典主義作品が生まれた。そして十九世紀、ヴィクトル・ユゴーを旗頭とするロマン主義が誕生するに及んでフランスはローマの影響を完全に脱するにいたるのである。
ここから、導きえる結論は一つしかない。日本はまだ西欧の模倣が足りないのである。中国文化の影響を抜けだすのに五、六世紀かかったのだから、この百五十年の西欧模倣では不充分である。

長い目でみないと駄目ってことか。

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