[NO.932] 文庫本玉手箱

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文庫本玉手箱
坪内祐三
文藝春秋
平成21年6月10日 第1刷

初出 「週刊文春」2004年9月30日号~2009年2月26日号

 なぜ、ツボちゃんの書評がこうまで好きなのか。その理由はいろいろあれども、今回気がついたのは、こうした抜き書きの好きなところかもしれず。坪内氏が抜き出したところを、こうしてさらに抜き出してしまうって。孫引きですよね。
 理由のその2。逸話、エピソード好きといえば聞こえはいいけれど、俗な言い方をすればゴシップ好きなところが似ているのかも。こうしてあげているときりもなや。

p35
山口瞳ほか『山口瞳の人生作法』新潮文庫
〈俺は、もう、長いことはない、とか、年貢の納めどき、とか、あの野郎、くたばっちまいやがった、とか、死のことを平気で言ったり書いたりしていた男が、あるときから、ふいっと、それを言わなくなる。それが壮年と老年の境目だ〉


p53
長山靖生『おたくの本懐』ちくま文庫
『若者はなぜ「決められない」か』(ちくま新書)の著者でもある長山氏は、本書で、いわゆる「ひきこもり」や「ニート」と「おたく」の違いについてこのように述べている。
〈コレクター/おたくは、コレクションを充実させるために「外」へ出ていかなければならない。世間を煩わしく思い、自分を丸ごとでは受け入れてくれない社会に不満を持っているにしても、コレクターにとって「外」は、結局は自分の好きなものがある場所なのである〉
 徳川義親や小林和作、南方熊楠から澁澤龍彦、赤瀬川原平、荒俣宏らに至る「おたく」者列伝としても楽しめる本書で感動的なのは山科芳麿に関するエピソードだ。


p80
山口昌男『「挫折」の昭和史』上下 現代岩波文庫
 山口昌男がこの大著を生み出したそのきっかけは些細なことだった。
 つまりそれは、ベルナルド・ベルトルッチ監督の映画『ラストエンペラー』の中のあるシーンに目を止めたことに始まる。
〈坂本龍一の扮する甘粕正彦の執務室の壁画はアール・デコ調で描かれていた。まさか甘粕がアール・デコの趣味を持っていたとは言えないにしても、満州に流れていったモダニズムという課題は追究してみるに価すると考えたのである〉


p94
森本哲朗『懐かしい「東京」を歩く』PHP文庫
 当時の手帳のメモが引用されていて、次々と印象的な「メモ」が登場する。その中でも一つえらべば。「渡辺恒雄君と一緒に、花田清輝氏を訪ね、哲学雑誌創刊の相談」。
 誰にも青春はあったのだ。


p268
戸板康二『團十郎切腹事件』創元推理文庫
戸板康二、山口瞳、安藤鶴夫、色川武大、田中小実昌、さらには村松友視、神吉拓郎......。こういう直木賞作家の系譜が最近はとだえてしまった。だからこそ今回の(「今回の」に傍点)直木賞、私は、北村薫の受賞を期待していたのだが。


p271
中山康樹『リッスン』講談社文庫
 マイルス・デイビスやボブ・ディランやビートルズやビーチボーイズの「全曲制覇」シリーズで知られる中山康樹(最新刊は桑田佳祐を「全曲制覇」した『クワタを聴け!』)の自伝小説『スイングジャーナル青春録』[大阪編]とその続編[東京編]が一冊にまとめられて文庫本になった。


p296
野口冨士男『私の中の東京』岩波現代文庫
 小石川の伝通院近く。「震災前の東京の民家がどんなものであったか知りたい人には、ぜひ此処へ行ってみることをすすめたい」。白山の旧色街。「今なお大正時代の東京山ノ手花街の面影をとどめているただ一つの場所なので、私はここへもぜひ行ってみることをすすめたい」。
 三十年後の今も残っているのだろうか。しかし野口冨士男はこうも言う。「うしなわれたものへのイメージが喚起できるか否かは各人の想像力のいかんにかかわっている」。


p350
岩本素白『東海道品川宿』ウェッジ文庫
 去年の暮に出た結城信一の『評論・随筆集成』(未知谷)を深く味わいながら読んでいたら、こういう書き出しではじまる一文に出会った。
〈あるとき教室で、先生は何か突然のやうに言はれた。
 「私は静かなのは好きだが、寂しいのはいやだ。賑やかなのはいいが、うるさいのは因る」
 胸の奥に深く刻みこまれてゐる言葉で、折にふれては思ひおこす。私自身が、さうだからだらう〉
 教室というのは早稲田大学附属第二高等学院。そして先生とは岩本素白のことだ。
 結城信一は、「先生」についてさらにこう語っている。
〈豊かな学殖と、極めて鋭い感性と詩情とをあはせ持つてをられたが、内に秘め蓄へること多く、世に出ることは好まれなかった〉


p383
インタビュー大須賀瑞夫『田中清玄自伝』

p402
豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』岩波現代文庫