素白随筆遺珠・学芸文集/平凡社ライブラリー669 岩本素白 平凡社 2009年5月11日 初版第1刷 |
全集でいえば2、3巻の内容が主。解説は池内紀氏。がんばっているのですねえ。『素白随筆集/山居俗情・素白集/平凡社ライブラリー639』に続いての出版。
p47
面白い事はお祖母さんという人、派手(はで)な暮らしをして色々芸事も仕込(しこ)まれたらしいが、密かに私の母に向って、「私ゃお茶というものは嫌いだよ、何しろ薄ぎたないからね」と云った由、成程昔の江戸っ子は茶の湯を冷笑して、乞食が欠け茶碗で古池の水を汲み出し、追従(ついしょう)軽薄を並べて貧乏神の祭をしているようなものだと云って居る。だからこの薄ぎたないと云った言葉も、幕末五十年を最後の江戸市民として市井に暮らした、極めて平民的なお祖母さんの本音であったろう。それでもどういう伝来か、伝え来った物を大事にする事だけは知って居たらしい。それを小耳に入れて居たので、家の者も必要の食器と一緒に穴に入れる事を忘れなかったのである。
p145
追憶--近藤潤治郎先生のこと
近藤潤治郎先生の思出を書けと云う事ですが、先生の学術文章の方面は別にお書きになる方々があると思いますので、私はほんの瑣末な二三の事を書きます。
先生に始めてお会いしたのは大正十一年の春で、一見、地味な、内輪(うちわ)な、慇懃(いんぎん)な、そうして何処か一(ひ)と節(ふし)あるらしい人柄を感じました。始めて拙宅へお見えになった時、(木へん+眉)間(びかん)に中国人の書いた時還読我書という額の掲げてあるのを見て、陶淵明の句ででもあるようですね、と云われたのが、今に深い印象として残って居ります。先生は極めて静かな読書人で、必ずしも広い交遊を好まず、私は又甚だ慵懶(ようらい)の性で、書室に居る以外は、いつも独りで山野を逍遙し、市井を漫歩して居るような者なので、特に相往来して閑談するような事も甚だ稀でありましたが、若い時代には、事を好むと云いますか、興に乗ずると云いますか、何かの話がはずみ(「はずみ」に傍点)になって御一緒に出游した時代もありました。それももう二十余年ほどの前の事になります。近くは立川、鎌倉、遠くは埼玉、栃木、それは皆、訪碑の小旅行で、その多くに秋草道人会津先生が行を共にせられました。
こんなところで秋草道人が出てくるとは。やはり油断ができない。一昨日、神保町八木書店3階でその筆に触れてきたばかり。素白先生、会津八一とご同行中、どんな話をなさっていたのか。
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