[NO.885] 井上ひさしの日本語相談/朝日文芸文庫

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井上ひさしの日本語相談/朝日文芸文庫
井上ひさし
朝日新聞社
1995年11月1日 第1刷発行
1996年1月30日 第2刷発行

初出
連載・週刊朝日 1986年8月8日号~構1992年5月29日号より抜粋して構成
単行本 1989年3月~1992年11月 朝日新聞社刊
    日本語相談一~五より回答者別に再編集


 全部が全部面白いわけではなし。また、時代の変遷を感じる内容もあり。筆者特有の豊富な知識と見識がみられる他の類書と比べ、やや薄いものも。

p177
目線は視線よりも人工的で計画的
 ここ数年、いろいろ取りざたされている「目線」について。これなどは、現在の方がより深化した指摘が多いのに対し、やや薄い内容。
 具体例として映画やテレビ現場を取りあげているのはさすが。(この時代ですから)。しかし、せっかくNHK教育テレビをはじめ、この業界で仕事をなさっていた筆者の結論としては、ちと淋しい。

p61
言葉遊びをする人間は異常なのか
 いいタイトルですねえ。さすが、井上ひさし! その真骨頂が如実に表れています。それにしても質問者が引用しているエッセイの著者草柳大蔵氏の名前、かつてはよく目にしたもの。今や著書さえめったに見ない。

p41
「より」と「から」 正しいのはどちら?
 この解釈は納得。読者から指摘されたという「朝日新聞社発行の用語辞典には『比較の場合以外はから(「から」に傍点)を使用する』と解説しています」という内容、以前に目にした記憶有り。それからは、この用法をできるだけ適用させるようにしています。
 けれども、場合によっては例外もありました。それが井上氏のいう次の内容と、ほとんどぴったり重なりあっていたのでなるほど、といったところ。
以下、引用。
さて、わたしはといえば、これまで、「より」と「から」の使い分けについて、次のようなボンヤリとした物差しを設けていました。すなわち、
〈からよりも、空間や時間の起点を示す格助詞として使われる場合は同じ意味である。どちらを使ってもまちがいではない。ただし、よりはからと較べるとやや文語臭があるので、古典的な改まった印象を読み手に与えるはずだから、そこに留意しなければならない。とくに意識しないときは、口語的なからを用いても差し支えない〉

 そのとおりです。
以下、大野晋説の引用が秀逸。
話がいきなり飛躍するようですがりこのよりとからについて、かねてから卓見を発表されておいでなのが大野晋さんです。大野さんの傑作『岩波古語辞典』(読む辞典としても抜群のおもしろさ)によれば、よりの起源は「ゆり」(後)、それが母音交替によってよりになった。一方、からの語源は国柄(から)、山柄(から)、川柄(から)、神柄(から)などの「から」。家柄(やから)、腹柄(はらから)なども同じですが、あるつながりを共有する社会的な一つの集まりを「から」というのだそうです。ここから、自然の成り行きという意味がうまれ、そこから原因や理由を表し、動作の出発点を表すようになった。こうして、よりとからは次第に意味が重なりはじめ、やがて両者の間に生き残り競争が行われたが(中古)、もともと優勢だったよりが勝利をおさめ、以後、からは俗語・口語の世界でのみ生きのびることになった。それが明治以降の口語の復権になり形勢は逆転、いまはからの天下になっている。大野さんの説に基づいて、わたしの調べたことをまとめれば右のようになると思われます。つまり長い間の「よりの制覇」が、このよりに、ある強い格式、古典的な雰囲気、改まった感じをつけ加えているわけで、見出しに多用されたのもそのせいでしょう。

欄外から引用
 藤村の「名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子の実一つ」も、「遠き島から(「から」に傍点)だったら、途端に格調が失われてしまいます。「よりは格調」「からは口語」とおぼえておくのがいいかもしれません。
 本書の特徴である、欄外の脚注。上記の例は中でもわかりやすい例ではないでしょうか。
 そうして、本欄にも冒頭に引用した 1992年5月29日号より抜粋して構成 の例も、なぜ「から」ではなく「より」を用いたのか、その理由が「より」明確になったことでしょう。