[NO.840] 日本書誌学を学ぶ人のために

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日本書誌学を学ぶ人のために
廣庭基介長友千代治
世界思想社
1998年5月20日 初版発行

 面白し。夜が更けるのにもかかわらず、読み出したら止められなくなってしまいました。読ませてくれます。単なる教科書かと思いきや、そんなことありません。

 まず、冒頭「はじめに」で、引き込まれてしまいました。面白い文章。こんな出だしはなかなかお目にかかれません。

p1
はじめに
 書誌学に関する本は、現在ではすぐに何冊か手に入れることができるが、特殊な分野の知識であるために、その解説は必ずしもわかりやすいとはいえない。ある本は系統だってはいるが、なぜそうであるのかという理由や根拠をもっと加えてほしいようなところがある。ある本は特殊で珍しい本を用いた解説が多く、書誌学についての普通一般の知識をもち込まないことには理解のむつかしいところがある。ある本は網羅的ではあるが、本の取り扱いに慣れている者が、辞書として適宜検証に利用する際にだけ有用だというようなものである。わたくしどもがこの本をまとめることにした直接の理由は、後述するように別なところにあったが、ここに挙げたような理由もないではなかった。したがって、わたくしどもがこの本で意図したところは、次のような点である。

一、和本についての一般標準的な普通の知識をわかりやすく解説することである。特殊な専門的な知識ではなく、最大公約数的なところで解説を試みたいのである。たとえていえば、歴史的日本人の体型や容貌、服飾の標準を示して、それぞれに顔立ちや着衣には個体差のあることを発見する方向での記述である。すなわち、和本はそれぞれに特色があり、比較検討してはじめて、その特色を見つけ出せることになるが、その工夫の手がかりを示すことを心がけている。
二、そのために、解説や説明には、できるだけ理由や根拠を示して記述することにした。
三、和本の歴史と特色を系統的に概説することに努め、特に整版本(木版本)の一般的な概説に心がけた。また図版には『倭漢三才図会』を多く用いて例示した。
四、本の取り扱い方や見方についても、おのずから覚えてほしいところがあるが、このことについては長友が「本の取り扱い方、読み方」として『江戸文学』第十六号に、次のように書いている。

 手なれた図書館利用者とか、古い本に興味がある人ならともかく、今時は文学部の学生でも本を大切にしないし、大方は取り扱い方も知らぬ。知らぬのも当たり前で、そんなことを教え続ける場が減っているからである。時折、本を下敷きにして筆写するなとか、万年筆やボールペンを使うなとか、線を引くな、書き込みをするなとか、片手で本をもつなとか、机上で引きずるなとか、注意されているのを見るにつけても、日頃から一緒に本を手に取って、勉強しなければならないと反省させられるのである。
 現代は出版産業も全盛、書物も読み捨ての時代。かつて某社が、文庫本を携行した男に、読み終ると砂漠に投げ捨てさせるカッコよいテレビコマーシャルを放映したことがあったが、文庫本といえども粗末に扱ってはならぬという反対意見の新開投書を読んで共感した。本を大切にし、敬う精神はまだ生きている。

 江戸時代の本の取り扱い方については、学習成果も配慮した、事こまかい躾(しつけ)があった。幕末、尾張藩の儒学者細野要斎(ほそのようさい)(明治十一年没、年六十八)は 『感興漫筆(かんきょうまんぴつ)・三十六』に次のように記している。

○書の取り扱ひ方、并に素読(そどく)の仕方
①聖賢の書は殊更大切に取り扱ひ、かりそめにも席上(畳の上)に直に置くべからず。
 卓の上に置くか、或いは何にても敷きて置くべし。
②書を披(ひら)きては、必ず拝をして読むべし。読み畢(おは)らば、又拝をして書をしまふべし。
 読を授(さづか)る時も、読む時も、此通りなるべし。
③幅(よこがみ)を折るべからず。手に唾(つばき)をつけて刎(は)ぬべからず。仮名を付くべからず。
④寒き時、手をあぶりながら読むべからず。暑き時、扇を便ひながら読むべからず。
⑤用事ありて立つ時は、巻を掩(お)ふて立つべし。披きたるまま立つべからず。
⑥端座正向、気を落ち着け、字摘を以て、一字々々に眼をとどめ、句読分明(くとうぶんめい)に、声緩(ゆる)やかに読むべし。口早(くちばや)に急ぎで読み、唸(うな)りて読み、節を付けて低■(あげさげ)すべからず。
⑦其日に授りたる所を数十回読み、空(そら)に読めるなどにすべし。また、日々復読の紙数を定め置き、一日も怠慢なく読むべし。新授の紙数多きをよき事と思ひ、先(さき)行きをして、復読を怠るは、甚だよろしからず。

 読みやすく、適宜仮名を漢字に改め、また振仮名・送仮名、番号もつけたが、難解な箇所はない。素読のことはここでは措く。
 問題は、この細野要斎の記すところは貝原益軒の『和俗童子訓・三・読書法』(宝永七年)によっていることである。「読書法」は五千六百字余の啓蒙的な解説文であるが、多くはそこからの摘要である。①畳の上に直接置かず、机上に置くか、何か敷いて置けというのは、「読書法」に帙の上、文匣(ぶんこう)、低い机上に埃を払って正しく載せて読め、というのによる。現在も個人蔵書等の調査には、白い柔らかな敷物・手袋・マスク等を持参するのが常識である。②は「読書法」に経伝(けいでん)(聖人賢人の書)は「神明のごとくに尊び敬ふべし。疎(おろそ)か来し汚(けが)すべからず」とある。③も同意の文があるが、この趣旨は『近代名家著述目録』の編者、堤朝風(天保五年没、年七十)の蔵書票にもなり、次の図のように「第一と第二のゆびもて/ひらくべし其よみたる/さかひにをりめつけ又/爪(つま)じるしする事なかれ」とある。④は細野要斎の新記述。⑤⑥も「読書法」から摘要、文章化したものである。しかし厳密にいえば、摘要というよりも読書の仕方・技術・効用などが、『和俗童子訓』等を通して、啓蒙強化の知識人たちを中心に、流布していたと考えるべきであろう。
 
こうしていちいち抜粋していては全文になってしまいそうなので打ち切りますが、そのあとに続く著者お二人の交友が、また面白いのです。
p6

 廣庭と長友が共著でこの本を作ることになったのは、以下のような経緯による。昭和三十六年ごろ、廣庭は京都大学文学部閲覧掛長であり、長友は大阪市立大学大学院生で、交友は長友が修士論文を書く調査で閲覧利用を申し出た時に始まり、現在に至っている。

 その後、お二人のお付き合いについての説明が続きます。

p38
 実は竹筒や木簡についての知識は、つい最近まで日本では特別な東洋学者か西欧の新しい学界に詳しい人々以外には正確な知識が入っていなかった、というのが真相である。明治の学者などは、竹筒、木簡という言葉は知っていたかもしれないが、それがどんな大きさで、どのようにして書物のように長いものが読めるように繋がっていたのか、などということは全く知ることができなかった。昭和になってからでも、漢文として、前述の「韋編三たび絶つ」という言葉は知っていてもである。
 この記述には著者であるお二人の強い気持ちが感じられます。漢文学者よりも書誌学については自分たちの方がまさっているのだ!

p55
Ⅱ 書物の装訂
  1 装訂と材料
 書物の製本、仕立て方のことを、「装訂」と書く書誌学者は川瀬一馬氏、長澤規矩也氏らである。「装幀」と書く書誌学者は山岸徳平民らである。
 その他に装訂を「装釘」と書く書誌学者田中敬氏らもある。
 「装幀」を「ソウテイ」と読むのは慣用で、「幀」は漢音では「トウ」と読む。幀の意味は絹地に描かれた絵を枠に張り付けることで、転じてそれを数える助数詞にも用いる。したがって、書画を掛け軸や額などに仕立てあげることに限って用いるのが適切なようである。

 こうまで端的に説明されては、どちらを取るかは明瞭です。

p97
 この整版(木版)に用いられた木の種類は、中国では梓という、日本語で「あずさ」と読む弓に使うしなやかな材を使ったらしい。このことから出版のことを上梓(じょうし)という。
 ますます明確な説明。

 後半に説明される『倭漢三才図会』を用いての具体的な説明が圧巻。