素白先生の散歩/大人の本棚 岩本素白 著 池内紀 編 みすず書房 2001年12月7日 第1刷発行 2002年2月20日 第2刷発行 |
こんなに面白い本があったなんて、今まで気がつかなかったことが残念。シリーズ大人の本棚中にも興味深い本がいくつか。なによりも、今回、岩本素白という著者を見つけたことは収穫。久々のヒットです。全集も出ていたとは。
書き抜きたいことばかりで、どこから手をつけてよいものやら。
p58
去年の秋もややふけた或る月曜日の午前に、三時間ばかりの講義を済ませた私は、急に遊意の動くのを覚えて、書物の風呂敷を抱えたまま上野駅から汽車に乗った。
このあと、埼玉県久喜駅で下車、バスで騎西を回り、菖蒲へ着いたのは月の出る夜になっていたとのこと。この人の不思議なところは、早朝の出発でないために、夜になっても歩いているところ。月夜の晩に、見知らぬ田舎道を歩いており、帰宅は何時になるのか不安に思わぬのだろうか、と気になります。戦前の田舎でのこと。そうそうバスも頻繁には来ないでしょう。あるときには、板橋の自宅に帰ったのは11時を過ぎていたのだそうです。書かれたのが昭和12年。いやはや。
こうした無計画な散歩が好きなんだとか。また、必ず一人であることが大切だとも。
『利根川図志』を参考にしての散策もうらやましい限り。何にもないありきたりの田舎道を、それも何度も訪れるようになった理由のひとつとして、画家森田恒友の絵に憧れたことがあったのだという。この人のキーワードはしみじみ。
池内紀氏による解説も味わい深いので引用。
いつも素白先生である。なぜか、こうなる。素白さん、素白氏、どれもいけない。やはり素白先生だ。
直接おそわったことはないが、その本からいろいろ学んだ。たとえば散歩の楽しさを知った。騎西、牛堀、布佐、向島、大利根、関宿、白子の宿......。こういった地名は、私にはいつも素白先生とかさなっている。フラリと出かけるとき、その日いちにち、素白先生の目でながめ、素白先生の脚で歩いている。
むろん、散歩だけではない。素白流散歩の報告も含めて、何より静かな文章を学んだ。静けさのしみとおった言葉づかい。それというのも、美しいものは本来、静かなものであるからだ。静けさのない風景は風景でないばかりでなく、そもそも何ものでもないだろう。死が多少とも恐ろしいのは、あまりに静まり返っているからだ。
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