[NO.726] ぼくらは下町探検隊/ちくま文庫

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ぼくらは下町探検隊/ちくま文庫
なぎら健壱
筑摩書房
2003年2月10日 第1刷発行

p283
 この門前仲町を略して門仲と呼ぶ。また地元の人は仲町と呼んで親しんでいるが、中には仲町と呼ぶ人もいる。しかしこれは間違いである。やはり「まち」ではなく、「ちょう」と呼ぶ「なかちょう」が正しい。
 では「まち」と「ちょう」のどこが違うか、ちょっと語っておきましょうか。
「まち」「ちょう」の読みは、関東と関西地方の違いであるという人がいるが、これは正解ではない。
 簡単にいうと江戸の場合、例外はあるものの、原則的には「ちょう」がつく地名は町人が住むところ。逆に「まち」は旗本、士官級の人間が住む場所を指した。例として、小川町(おがわまち)、御徒町(おかちまち)、御台所町(おだいどころまち)、箪笥町(たんすまち)などがある。もっとも、江戸時代以前から人が住んでいた町はこの限りではない。
 したがって「ちょう」と「まち」と地名に付けて区別することで、武家の階級や町民との差を打ち出したわけである。
「町年寄り(まちどしより)」という言葉があるが、これは江戸の行政責任者である町奉行の政策などを名主などの「町役人(ちょうやくにん)」に伝達する役目を持つ人間である。町年寄りは元来商人であるが帯刀を許され、税の徴収や上納を任されていた。よって名主、地主、大家の最高位である。ここでも「まち」と「ちょう」と、呼び方が違うのがお分かりだと思う。
 もっとも、江戸全体を考えれば、八十五パーセントの地域に町名はなかったというが。


 時として、なぎら氏はこのような蘊蓄を述べるから面白い。