[NO.681] ひょうたん漫遊録/記憶の中の地誌/朝日選書425

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ひょうたん漫遊録/記憶の中の地誌/朝日選書425
中野美代子
朝日新聞社
1991年5月25日 第1刷発行
1991年7月10日 第2刷発行

 「ひょうたん」というキーワードに惹かれました。面白い視点です。中野氏によれば、洞窟はひょうたんの内部であるとのこと。

目次
1 楽園と地獄
地上の楽園について 一つの遊戯的社会主義論
ひょうたんのある風景 中国人の宇宙観
銅鏡と八卦図 中国のマンダラ的世界像
中国人における死と冥界 地獄をデザインするまで
古代中国人の「あの世」観 地獄の地理学
ひょうたんとしての崑崙 異境の原初イメージ
銀漢渺茫 黄河源流は銀河なりしこと
2 北海と砂漠
レザレクション湾にて アラスカ紀行
オホーツク海の風景 大韓航空機悲劇の舞台
砂漠と熱帯雨林 ニュー・ギニアの記憶から
銀河はロプ・ノールに注ぐ 楼蘭訪問記
幻聴談義 楼蘭怪異譚
楼蘭の詩 詩語としての地名
空から見たカレーズ 地下水路の旅
3 南海の誘惑
長江をめぐるひょうたんシンボリズム 風水文化試論
魂はジャワの国に...... 南海憧憬小史
蓬莱は南海へ ひょうたんの旅


p301
あとがき
 主として一九八〇年代に書き散らした雑文のなかから、私の空間志向気質の赴くままに中国人の空間意識を論じたものをえらんで編んでみた。題して、「ひょうたん漫遊録」。
 本書のI及びⅢのほとんどの文章の主題は、ひょうたんである。ひょうたんシンボリズムについて、あきれるほどくり返し書いたものだが、それでも足りなく て、『仙界とポルノグラフィー』一九八九年、青土社刊)所収の諸文に書きつがれた。実は、それでもなお足りなくて、いま書きおろし中の『龍の地理学 -  中国人の風景デザイン(仮題)』一九九一年、福武書店刊予定)に理論的に体系化されつつある。本書所収の諸文は、従って、いまから見ればきわめて稚いが、 私のひょうたん漫遊の出発点として、発表時の思索をそのまま保存すべく、ほとんど手を加えなかった。
 Ⅱの大半は、私自身の旅の記録をもとにしたものであるが、かつて『北方論 - 北緯四十度圏の思想』(一九七二年、新時代社刊)およびその改訂版『辺境 の風景--上日本と中国の国境意識』(一九七九年、北大図書刊行会刊)を書いて、北方志向ないし内陸志向を標榜していた私の、おそらく最後の記録となろ う。一九八〇年代に、私は明らかに南方志向型に転換したが、八〇年代の最後の年にタクラマカン砂漠の楼蘭の廃墟を訪れることができたのは、忘れがたい記憶 となった。これからの私は、炎暑と湿潤の土地、つまり中国南部や東南アジア、すなわち中国ふうにいえば南海について、おそらく情熱的に語ることになろう が、本書最後の文章「蓬莱は南海へ」は、その序曲となるであろう。蓬莱がひょうたんであること、本書のいたるところで述べたごとくであり、従って、蓬莱と ともに南海をめざす私も、ひょうたんになってしまってもかまわないわけだ。「ひょうたん漫遊録」と題するゆえんである。
 ついでながら、私の仕事のなかで一本の柱をなす『西遊記』も、一個の巨大なひょうたんであり、この小説の方法じたいも、ひょうたん論と等しいと思っている。
 かくして、ひょうたんの漫遊は、中国人の記憶のなかの、あるいは私の記憶のなかの、もろもろの土地を気ままにへめぐることとなった次第である。
 朝日選書としては、『悪魔のいない文学 - 中国の小説と絵画』(一九七七年刊)に次いで二冊目の雑文集となった。前著から十四年の歳月が、文学臭さを根こそぎ拭い去ってくれたことをひそかによろこんでいる。

以下略