[NO.636] きらいなことば勢揃い/お言葉ですが(5)

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きらいなことば勢揃い/お言葉ですが(5)
高島俊男
文藝春秋
2001年2月20日 第1刷

 言葉にまつわるエッセイが多い中、タイトルどおりの「きらいなことば」についての話題では、とびきり読ませます。
 具体例が挙げてありますが、時代で変化しますので、色あせてしまったものも。

させていただきます
じゃないですか
あげる
いやす、いやし

最後の、「な」には思わず声に出して笑ってしまいました。「現大蔵大臣の宮沢さんもしばしばこの「な」を御愛用」とのこと。これだけでは、いったいどういう使われ方なのかわからないでしょう。具体例では「やさしく見守ってやりたいな(「な」に傍点)」だそうです。その後に「うわあ、たしかにキモチわるい。」と書かれていました。以前参加した研修会の場で、司会の男性が柔らかな物腰で、この語尾につける「な」を多用していたのが、強く記憶に残っています。「~だな、と思うわけであります。」 こっちはそのたびに「うわあ!」ですよ。

 へーえ、と思ったのに(p60)がありました。
「やる」と「あげる」のちがいは、上下関係ではなく距離の違いである。だから、「おふくろにみやげを買って帰ってやる」「芝居につれて行ってやる」のごとく、近ければ親でも「やる」である。「あげる」では他人になってしまう。
 日本語に主格や所有格がたいてい不要なのは、動詞のちがいで区別がつくからである。「申しておりました」と言えば主語は身内、「おっしゃっていました」 なら他人だ。「やる」「あげる」の関係も同じ。このちがいがわからない人というのは、ほとんど日本人とも思えぬ。

 すごいですねえ。「ほとんど日本人とも思えぬ」。一刀両断ですよ。忖度なんぞ、どこ吹く風。