[NO.627] 寺田寅彦は忘れた頃にやって来る/集英社新書0144D

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寺田寅彦は忘れた頃にやって来る/集英社新書0144D
松本哉
集英社
2002年5月22日 第1刷発行

 とりあえず読了。学生時代に物理を専攻し、その後、編集者となったという著者が書いた本書は、寺田寅彦についてこれまでにたくさん出版されているような解説書とは毛色が違います。まず文章・構成が理系です。俳文のような曖昧模糊としたところがありません。そこが面白かったところ。

生前に出版された本が挙げられています。
p100
 (書名)    (初版刊行時期)   (著者名)
「薮柑子集」  大正十二年二月刊  吉村冬彦
「冬彦集」   大正十二年一月    〃
「続冬彦集」  昭和七年六月     〃
「万華鏡」   昭和四年四月    寺田寅彦
「物質と言葉」 昭和八年十月     〃
「柿の種」   昭和八年六月     〃
「蒸発皿」   昭和八年十二月   吉村冬彦
「触媒」    昭和九年十二月    〃
「蛍光板」   昭和十年七月     〃

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 上のカットも著者だそうです。いいですねえ。

p133
「一天地六南三北四西二東五」という呪文のような文句をご存知だろうか。「いってんちろく、なんざんほくし、さいじとうご」と読む。これは、1の目を上(天) に向け、4の目を北に向けてサイコロを置いたとき、1から6の目がどっちの方角を向くかを示したものである。逆に言えば、この呪文通りに目を刻んだ立方体をサイコロというわけである。相反する二面(互いに表裏になっている二面)の目の数を足し合わせると七になっている。

p188
翌十八日(水)の日記は痛々しい。

 「昨日川崎より悪口されしこと脳裡に徘徊して授業手につかず。十二時に授業終わり帰らんとするとき堀見君に呼び止められ、ともに数学教室に至る。同君も昨夜のことを耳にし心配して問いくれたり。自分の考えは○○君一人のために全会の運命を賭すべからざるゆえ、断然早々会の制裁を加うべしと言うに止まれるを、川崎の誤解せるがいかにも残念なりと言うなり。帰りて上村君にも顛末を話したるに懇々示教しくれ、豁然大悟(かつぜんたいご)の想あり」

 弁解に走らず、身を引いてこそ立つ瀬もあると考えたようだ。日記には次の三ヵ条を一つ一つカギ括弧つきで記して肝に銘じたようだ。
『自分の信ずるところを行なわば人の毀誉は顧みるに足らざること』
『知己の重んずべく悼むべきこと』
『沈黙の尊ぶべきこと』
 使っていた日記帳には、ページの欄外にことわざのようなものが印刷されていたようで、ちょうどその日のところには「争論は一方の堪忍に終る」だった。寺田寅彦はそれに赤鉛筆で二重線を引いた。
 この一件、当時の寺田寅彦にとってはかなり深刻に世の中を知るきっかけとなったかもしれないが、これがただちに後年の人格なり言動の原型として残ったと 言うのは短絡にすぎるだろう。後年の寺田寅彦の言葉に「もう一度君が負けていたまえ」というのがある。がまんできない事件が生じて、「いったいどうしたも のか」と他人から相談を受けたときに寺田寅彦が答えた言葉である(小林勇『夏子夫人の日記帳』)。「苦痛に堪えてこられた長い長い生活の背景を持っている言葉」だったということであるが、まさかそれがこの日記に端を発しているわけでもあるまい。
 誰にでも共通して体験する多感な青春の一場面、それが寺田寅彦にもあったということである。