[NO.578] 眺めたり触ったり/The Feel of Reading

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眺めたり触ったり/The Feel of Reading
文 青山南
絵 阿部真理子
早川書房
1997年9月20日 初版印刷
1997年9月30日 初版発行

 「あとがき」を読むと、初出について書いてありました。
p205
あとがき
 毎日新聞の読書欄の「ヤング読書術」というコラムに、一九九一年の一月から六月まで、毎週、本とのつきあいかたについて、書いた。連載が終わってまもな く、「ミステリマガジン」の当時の編集長の菅野園彦さんから、あれ、おもしろかった、つづきをやりませんか、と誘われた。おもしろい、と言われるとつい調 子に乗る。はい、と喜んで引きうけ、「眺めたり触ったり」というコラムをつくっていただいた。一九九二年の四月号から一九九四年の十二月号までつづけた。
 本書は、そのふたつのコラムを合体、整理して、こしらえたものである。
以下略

 巻末にはもちろん、索引付き。

 「読書」についてと「本そのもの」についてのエッセイ集。○○という本に、こう書いてあった、ということからはじまって青山南氏自身の体験や考えが述べられるケースが多いのですが、それが実に楽しそうに綴られます。

p188
「マ ドモアゼル」という若い女の子向けのアメリカの雑誌を本屋で立ち読みしていたら、その書評欄で、エッセイストのバーバラ・グリゼッティ・ハリソンが、ブ レット・イーストン・エリスの『アメリカン・サイコ』について、鋭いことをいっていた。この小説、その性的な暴力の陰惨さで大変に話題を呼んでいるのだ が、ハリソンは、小説についてひととおり述べたあと、つぎのように書いていた。
「人生は短いのですから、こんな本を読んで時間の無駄づかいをしないように」
 エリスにかんしては異論はあるけれど、このいいかたには感心した。このひと、すぐれた常識感覚の持ち主で、思わせぶりな文学的な表現など大嫌いで、じぶ んが嫌いとなると、てきびしく攻撃する。ぼくは、お気に入りの小説家が彼女にコテンパンにやっつけられるのをいくつも読んできたが、いつもかなり的確なん で、趣味はちがうが、信頼している。
 いま引いた指摘のすごいところは、読書は時間つぶしではないのだ、とはっきりいっている点。読書はただの時間つぶしだ、という考えかたが当たり前のもの になり、読むそばから読んだことをどんどん忘れていくのが普通のことになったいま、この反時代的でオーソドックスな意見はけっこう新鮮だ。

 某作家のエッセイで読んだ内容。或る文学賞の選考会で、その作家の作品について老大家が発したという言葉が似ています。細かい言い回しは違っていますが、「こんな作品を読んでいては、オレに残された時間が惜しい」だったそうです。

 他に驚いたところとして。青山氏は、どんなに気に入った本でも再読することはないのだそうです。ところが気に入った映画は、始めから終わりまでもう一回見るのだとも。
 本を読むのがとても遅いので、おなじ本を二回読んで時間を浪費してしまうなんて、もったいない。読み返すことで新しい発見がある、とはよく言われるが、なんのなんの、気に入ったところを拾い読みしたり、眺めたり触ったりしているだけでも十分、新しい発見に出会える。
 本書の題名が出てきました。「眺めたり触ったり」、いいですねえ。
 それにしても、驚きです。気に入った小説など、最大では何回読んだことか。読みふけっている最中に得られる幸福感を青山氏は感じないのでしょうか。