遠近法の精神史/人間の眼は空間をどうとらえてきたか 佐藤忠良/中村雄二郎/小山清男/若桑みどり/中原佑介/神吉敬三 平凡社 1992年6月19日 初版第1刷 1997年7月31日 初版第5刷 |
最近読んだ中で、面白かった部類。
目次
第1章 目と手 佐藤忠良
第2章ルネサンスと人間の日の誕生 等身大空間の発見 中村雄二郎
対象化する「目」
聴くことから見ることへ
感覚の解放と五感の組み換え
等身大空間とはなにか
理性と情念の等身大化
「見る」ことの二つの側面
まなざしの支配
「近代の知」と「パトスの知」
現代の知と視覚芸術的表現
第3章遠近法の成立 図法の原理と絵画空間 小山清男
ドゥツチオ 斜投象的表現
ジオットの空間
ブルネッレスキ 消失点の発見
アルベルティ 線遠近法理論
マサッチオとウッチェルロ
ブラ・アンジェリコの受胎告知
ピユーロ・デッラ・フランチェスカの絵画空間
レオナルドの遠近法
ラッファエッロ ミケランジェロ ヴエロネーゼ
絵画史における線遠近法の意味
第4章ルネサンス的空間の崩壊マニエリスムとバロックへの道 若桑みどり
線遠近法を支えた世界観
調和と秩序の美
都市的世界図の崩壊
世界の拡張と空間意識の変革 マニエリスム
五点の「最後の晩餐」
情念と観念 システィーナ礼拝堂の天井画
人体比率の破壊
「最後の審判」とその後に来るもの
無限空間の演出
共有空間から個の空間へ
第5章タブローとパノラマ 二つの視座 市民社会と世界空間の発見 中原佑介
写真とパノラマ
ジオラマ 徹底した写実性
パノラマの誕生
パノラマの流行と発展
パノラマの消滅とその残映
パノラマが意味するもの
第6章遠近法への反逆と挑戦 ピカソの目をめぐって 神吉敬三
再現芸術の支柱としての線遠近法
レオナルドと「溶解していく世界」
マンテーニャからセザンヌへ
最初の二〇世紀絵画
「アヴィニョンの娘たち」の革新性
キュビスムへの道程
新しい現実への回帰
ピカソにおける生と芸術
あとがきに代えて
p326
あとがきに代えて
私たちマドラコミュニケーションズは、宣伝企画の立案と制作、実施を担当させていただく小さな会社、というよりも、会社という名を借りた小さな集団です。
仕事の性質上、社会の動向やファッションを敏感にキャッチしなければなりませんが、それと同時に、もっと大きな視野で現代という時代を深く知る必要を感 じ、さまざまなテーマをとりあげて勉強会のようなものをつづけてきました。そのうち、おこがましくも、自主企画で公開の勉強会をやってみようではないかと いう話がもちあがったのが四年ほど前のことです。幸い、多くの方のご賛同とご協力を得、一九九〇年の春と秋に、東京赤坂の星陵会館において『″世界″と 〝私″の関係を考える』と銘打ち、二度の連続講座を開催することができました。
本書は、その春の部『人間の目は空間をどうとらえてきたか』という六回の連続講座(一九九〇年四月~六月)を平凡社のご好意により一冊の書籍としてまと めたものです。単行本化するにあたっては、講師の各先生にお願いして、速記のリライト原稿に手を入れていただき、また、部分的に整理あるいは加筆していた だいたことを申し添えます。
人間は自分を取り巻く自然や社会、さらにはそこに生きる人間自身の姿、つまり空間というものをどのように認識し、どのように表現してきたのでしょうか? 私たちは、こんなごく素朴な疑問から出発しました。
右を向いて、左を向いて、少し首をのぼせば一〇年先が見える、といったのは福沢諭吉です。私たちは、そののばした首を後ろに回し、そのうえさらに精一杯 背伸びもして、人間の空間認識の歴史という、なにやら難しそうな問題に視線を向けてみたいと思いました。その手掛かりとしては、空間のなかでの事物を認識 し表現するもっとも直接的な方法である絵画があります。人間が絵を描くという行為は文字以前のことであって、先史時代の洞窟画や幼児画にそれを見ることが できますが、ここでは、人類史上ではじめて空間認識が意識的、科学的に追求された時代、つまり、現代の私たちにいまも深く影響を与えている「西欧の近代」 の始まりであるルネサンスの遠近法をあらためて見つめ直してみることにしました。
遠近法は、およそ六〇〇年前、一五世紀はじめのフィレンツェで発明されました。現在では、遠近法は透視図法、英語でパースペクティヴとも呼ばれ、絵を描 くためのごく初歩的な技法として半ば常識化しています。現代絵画を見慣れた方々は、ひどく古めかしく退屈な絵を連想されるかもしれません。それは一面では 当たっています。初期ルネサンスにあれほど輝かしく清新であった線遠近法も、その一世紀後にはたいへん形式的で不自由な制約となり、アカデミズム化して、 かえって芸術家の自由な創造を阻害する要因とさえなってしまいました。逆説的にいえば、ルネサンス以後数百年の西欧の美術史は、形骸化した遠近法に対する 超克もしくは反逆の歴史であったともいえます。
しかし、私たちはルネサンスの遠近法が、姿を変えながらも強固に命脈を保ち、現代に生きつづけていることに、むしろ驚きを感じます。なぜなら、それは絵 画技法という枠を超えて、世界とか歴史に対する西欧人の認識および表現の仕方の本質を、典型的に見せてくれるからです。遠近法は、人間の視覚についての理 論の第一歩でした。歴史家がそれぞれの論理、一貫した歴史観に従って過去を解釈し、叙述するように、ルネサンスの芸術家たちは、空間を表現するためになん らかの原則を求めたと思われます。ありのままの事物を、人間の目を通して普遍的、客観的に表現する秩序と方法を求めた結果が、線遠近法という強固な ″常 識″ を生み出したといっていいでしょう。現代絵画が遠近法に対する関係は、量子力学がニュートンの古典力学に対する関係と、ある意味で似ています。
いま、私たちは、日本人の歴史感覚について、世界から厳しい批判と注目を浴びています。しかし、時間と空間は本来ひとつにつながったもので、切り離せる ものではありません。私たちは、歴史に対する認識と同時に、空間的な世界に対しても一貫した原則と奥行きをもつことを要求されています。もとより、それは ただ見るだけでは終わりません。見たもの、感じたものをいかに表現するかという問題に関わります。私たちは、遠近法というものを手掛かりとして、人間の空 間表現の歴史を見直し、さらに、私たちが世界を見る目、創る手の可能性として、どのような原則をもちうるかを探ってみたいと考えたわけです。
この講座は、テーマの性質上、当然、絵画の世界が主軸になりました。西洋美術史としても一味ちがった通史としてお読みいただけると思いますが、それだけ でなく、美術を通して見る空間認識の精神史という気負いすぎた意図に、実質的な内容と肉付けを与え、貴重な話を聞かせていただいた講師の各先生に、あらた めて厚く感謝申しあげます。
また、この企画の当初から最後までご参画いただき、骨格をつくってくださった江藤文夫氏や田代英之輔氏、講座の実務を手伝ってくださった多くの方々、そしてこの本の出版を快くお引き受けいただいた平凡社に、深く御礼申しあげます。
一九九二年四月
マドラコミュニケーションズ
講座研究会 広重昌彦
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