[NO.517] 三度のメシより古本!/平凡社新書375

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三度のメシより古本!平凡社新書375
樽見博
平凡社
2007年5月10日 初版第1刷

 著者樽見博氏の本として『古本通』に次いで2冊目。読み応えあり。「平凡社図書目録 検索詳細情報」に文字どおり詳細なる紹介があります。

 本書の前書きが圧巻。以下抜粋。
p7
序章 人を蒐集に駆り立てるもの
はじめに
 私は、古本好きのための雑誌「日本古書通信」の編集に二十七年間携わってきた。読者はほとんどが、恐らく三度の飯よりも本の好きな人たちである。いわゆる研究者も多いが、圧倒的に、書物を読み、買い集め、何事かを考証していくことの好きな市井の人々である。雑誌の内容も、そうした彼らが書き、読んでき た。
 彼らの興味は様々である。日本の古い科学書や和算の書物を集める人、江戸の瓦版や、戦時中に日本が海外で発行した新聞や雑誌を調査している人、日本の近 代化に貢献して亡くなっていった外国人の伝記や墓地を調べている人、明治期の郵便資料を中心に集めている人もいる。実に多くの蒐集、調査考証分野があるものだと、多くの読者に出会うたびに痛感させられてきた。
 前著『古本通』でも書いたことだが、私は、そうした雑誌の編集の一方で、年に数回ずつではあるが、蔵書整理処分のお手伝いもしてきた。ほとんどが読者のものであり、亡くなった後にご遺族から依頼されたり、加齢により蔵書の行く末を確かめたいというようなご本人からの依頼によるものである。蔵書の規模が大きければ数日、通常は一日、そうした持ち主の思いの籠もった書物群に接していると、同じ本好きとして、様々な思いが去来するのである。
 亡くなられたのが旧知の方であれば、これらの本をどんな思いで買われたのか、様々な場面でのその方の思い出が浮かび、存命の方であれば、整理している私の側で様々なことを述懐される。スズメバチが体液と少しずつ運んできた樹木の繊維でせっせと大きな巣を作り上げるように、毎日のように買い集められた書物 群。中には、どうしてこんな詰らないテーマで蒐集してしまったのかと後悔される人もある。その分野で立派な書物を著していながらの言葉であったりして意外の感を持つこともある。研究に資料の蒐集はどうしても必要ではあるが、蒐集にほ研究調査とは別の何か魔力のようなものがある。
 書物にはそれを読む人に癒しを与える面と、さらに深く広く追求していかねば済まない人間の業を呼び覚ます魔力も潜んでいる。人は時にどうしてある物の蒐集に駆り立てられるのか、考えさせられるのである。

何が人を蒐集に駆り立てるのか
 人々を蒐集に駆り立てる要因とは何であろうか。ある種のものを出来る限り集めたいと思わせる物の魅力というものがある。ただ蒐集ということには全く興味を持たない人々もいる。書物が知識の象徴であることは確かであり、知識はある種の力である。だが、知識は書物を読むことで得られるものであり、書物の所有とは別次元である。書物蒐集家にとっての書物はあくまでも「物自体」としての魅力である。
 ただ、その「物自体」としての書物が象徴するものが、人によって様々な形を取るということであろう。ある人にとっては知識の宝庫としての書物や蔵書であ り、別の人にとっては美術品に匹敵する価値を持つ。極めて珍しいものであれば財としての書物、蔵書ということもありえる。集める理由は様々だが、他の人々が価値あると認めるから集める人と、その人が集めることで価値が出てくるというような差があり、これは大きな差である。しかも蒐集は深化していく。最初は量の拡大へ、やがて量から質の向上に向かう。その際、蒐集の目的物は、徐々に珍しいものに絞られていく。
「珍しい」というのも一様ではないが、結局、人を蒐集に駆り立てる「要因」はこの「珍しさ」にある。民芸の美の発見者柳宗悦に「蒐集に就いて」(昭和七年)という有名な一文があり次のように書いている。
 余り珍らしさに執着することは正しくない。珍らしくて良い物は、それこそ珍らしいと云はねばならない。珍らしくて悪い物は此の世に案外珍らしくないのだとも云へよう。蒐集家は此のことに留意していい。
 趣味である蒐集に「正誤」があるかどうかは別としても、確かに大切な観点である。
 もとはありふれた物が、何がしかの要因で品薄になり、その「珍しさ」が認識されることで、価値が上がっていく。よく観察すると、人々が蒐集に走る物=商品の変遷や人気の度合いは、世の中の動きと密接に関係している。その典型的な例として、まず浮世絵の場合で考えてみたい。社会の変動とともに、その価値が上がったものとしてまことに象徴的な存在である。


『スズメバチが体液と少しずつ運んできた樹木の繊維でせっせと大きな巣を作り上げるように、毎日のように買い集められた書物群』『何が人を蒐集に駆り立てるのか』等々、日頃同じことを考えてきただけに、痛感。

p24
第一章 浮世絵評価の変遷
 大分時代は下るが、「日本古書通信」でも昭和十二年から「こんな錦絵がたかくなる」という三十回に及ぶ連載を開始した。執筆は神田末広町の浮世絵商遠堂の主人遠藤金太郎で
、......
p25
 百年もたつと版の悪い方が多く残り、よい方は愈々稀になる、広重の風景画などは百枚に一枚だから初摺が高くなるわけで保永堂版東海道摺は普通のものは百円以上二百円だが、初版は千円以上もする。
 そして個々の作品については次の如くである。
 広重の絵が一番複雑で、物によつて値に格段の差がある。
 保永堂版の初摺は、鞠子の題名が丸子となつてゐる。これは寛政版の東海道名所図絵にも丸子とあつて「まるこ」または「まりこ」と仮名が振つてあるが、鞠子と書いてゐない「梅若菜丸子の宿のとろろ汁」芭蕉の句にあるごとく古名で、広重は始め古名の丸子を題にしたが、天保頃はもう鞠子で通つてゐたから後に改めたのであらう。


p118
吉川弘文館による新旧の『日本随筆大成』に収められた膨大な随筆は、多くの書物を読み、自らも書くことを楽しんだ人々が多かった近世日本の文化状況を表している。