[NO.480] 読んだふり/書評百片

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読んだふり/書評百片
河谷史夫
洋泉社
1998年2月9日 初版発行

 表紙の著者名の上に小さく(朝日新聞編集委員)とあります。朝日新聞の書評委員としての文章です。約10年前なので、時代を感じます。なつかしい本も何冊かありました。全部が見開きページで読み切り。どれも面白く読めました。

まえがき
 一週おきの水曜日の午後七時。
 東京・築地にある朝日新聞東京本社の新館会議室。
 書評委員会の会同が始まる。
 本の小さな運命が、ここで決められようとしている。
     *
 朝日新聞に「読書面」ができたのは、一九五二年の七月である。まだ当時は新聞のページ数も少なかったから、「読書面」といっても他の記事と同居していた。読書関係の分量は、せいぜい百行から二百行足らずであった。
 需要はあったに違いない。わずか四カ月後には十段を擁する独立した面となったのを見ても、それが分かる。
 六〇年十月を期して「書評委員会」が発足した。
「共同討議によって、本の選択、紹介が行われます」
 と、編集部から読者への挨拶が載っている。
 ちなみに、このときの委員は、社外から立教大学法学部長・宮沢俊義▽評論家・浦松佐美太郎▽作家・今日出海▽作家・武田泰淳▽東京女子大学教授・玉虫文 一の五氏、それに社内の論説主幹・笠信太郎▽論説顧問・白石凡▽論説委員・森恭三の三人を加えた計八人であった。
 この古い名簿を見ながら若い記者が、
「このころだったら、河谷さんなんか、きっと書評委員になれちゃァいませんな」
 と、けしからんことをぬかした。
 その後、委員の順次交代制が取り入れられる。新聞全体の増ページやオイル・ショックによる減量で、増えたり減らされたりして、読書面は二ページだったり 三ページだったりした。委員の数は十四人、さらに二十一人に増員された。「八六年五月、全国紙では初の署名書評を採用」と、記録にある。
 こんにち(九七年十二月現在)、二十一委員の内訳は、詩人一人、歌人一人、文芸評論家一人、作家七人、学者八人と社内の三人。男十七人、女四人である。
 わたしがとつぜん編集局長に呼ばれて、「こんど書評をやってくれ」と指示されたのは九四年三月末の午後だった。
「ああ」も「うう」もない。むかし新聞に入ったとき、ひとこと先輩の記者に言われた言葉が耳に蘇った。「記者とは、命じられたらすぐ現場へゆく。どうです、君、できますか」 書物の世界が、わたしの一つの現場になった。
     *
「書評が無責任であったり、いい加減なものであったら、たれよりも書物を書くものが、がっかりしてしまう」
 と、書評委員会が発足したとき、笠信太郎が書いている。
「書評そのものは、第一に重要なニュースである」
「選択が重大である。選択がそのまま批評でもある」
 と、すこぶる的確な指摘をほどこしたうえで、
「一足さきに本を読んだ人が、まだ読んでない人にむかって、内容を平ったく手短に話してきかせる、といった調子が、一ばんよいのではないか、と私は思う」
 新聞での「書評の方法」について、まことに過不足のない文章である。わたしもなるべくこの通り、やってきた。付け加えることは何もない。
「むろんそんなに容易なことでない」とあるのもその通りである。「うまく行くか行かぬかは、全くその『さきに読む人』次第である」
     *
 書評委員会の水曜日。午後五時すぎに、百冊を超える新刊本が展示される。この二週間に刊行されたものの中から、学芸部の読書面担当記者が粗選びしたもの である。担当記者は先入主を排してできるだけ客観的に選んでいるつもりだが、それでも遺漏(いろう)なきを免れない。そこで委員には「推薦権」が認められ ている。だから、ここにあるのは編集部が選んだ書物と委員による推薦本とである。
「さきに読む人」が三々五々、集って来る。一冊ずつ手に取り読みたい本を探す。
 じっくり時間をかける委員もいれば、ぐるりと回って決める委員もいる。
「入れ札」をして、食事をとり、七時から「合議」となる。五人も六人もが競合する書もあれば「無投票」もある。ぶつかったとき、「どうして読みたいか」を さっそうと演説する向きもあれば、さっと降りてしまう人もいる。一冊、一冊、担当委員を決めてゆく。一人二冊から十冊の配分が終わるころには、八時を過ぎ ている。
 具体的に一冊の本がどうやって一人の委員に落ちてゆくかについては、いろいろと面白い話もあるのだが、選考過程は「門外不出」が不文律である。遺憾ながらここに記すわけにいかない。
 売れない、売れないと言いながら、この国では年間ざっと六万点の新刊書が出る。読書面があるのは五十過。書評欄は一過六本だから、取り上げられるのはた かだか一年に三百点、〇・五パーセントに過ぎない。そう考えると何やらものものしい気分になり、あだやおろそかに選んでは罰が当たりそうだ。
 生まれつき気弱の出来だから、この緊張にいつまで耐えられるものか、自信がない。