[NO.471] 絶版文庫三重奏

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絶版文庫三重奏
近藤健児田村道美中島泉
青弓社
2000年9月15日 第1版第1刷発行

 著者が文庫本収集のきっかけとなったのは岩男淳一郎『絶版文庫発掘ノート』(青弓社)だったのだそうです。同書は出版当時に購入しました。その後、処分もせず、書架にあります。けれども、とてもここまで、のめりこめませんでした。

まえがき
 書斎の一隅に、「祝文庫本一万冊突破一九九一年二月一日」の文字が刻まれた高さ二十五センチほどのトロフィーが飾ってある。かつての教え子で、現在では 文庫本蒐集のよきライバルである中野光夫君から贈られたものである。筆者が絶版文庫を意識的に集めはじめたのは一九八三年のことであったから、八年ほどの あいだに一万冊集めたことになる。われながらその異常な蒐集ぶりに驚くか、その異常さは一九八三年に刊行された岩男淳一郎『絶版文庫発掘ノート』(青弓 社)が与えてくれた異常な感動がなせる業であった。岩男氏のあの魔力を帯びた語り口に魅了され、氏の絶賛する書物を読んでみようと、文庫本蒐集の道に入っ た読書家も数多いと思われる。『文庫博覧会』(青弓社、一九九九年)の著者奥村敏明氏もその一人であったようである。同書の「まえがき」には『絶版文庫発 掘ノート』に紹介されているピオ・バローハ『バスク牧歌調』(世界名作文庫)を読みたくなったことが「文庫本の無間地獄」の入り口であったとある。職場か ら神田神保町の古本屋街まで歩いて五分という地の利にめぐまれた奥村氏にして『バスク牧歌調』入手に十年を要したように、実際、岩男氏の絶賛する文庫本を 入手するのはけっして容易な業ではない。筆者も、「東洋のメリメといった風格を持ち、併せて芥川龍之介の大陸ものから神経質を抜き取った芯の太さと、天衣 無縫、しかも伝奇のもつ荒唐無稽もちゃんと踏まえられ、それが皮肉なことに、最早目も当てられぬ現代文学への強力な反歌となり得て妙である」と激賞されて いる豊島興志雄『高尾ざんげ』(新潮文庫)を手に入れるのに五年近くかかった。しかし、入手が困難であるからこそ、それをわが物にしたときの喜び、内容が 期待にたがわぬものであったときの喜びは何物にも代えがたいものとなるのである。そして、この探す喜び、見つける喜び、読む喜び、さらには集める喜びが一 万冊という数字を可能にしたのである。
 ところで、文庫本の蒐集数が一万冊を超えたころから、筆者は野上弥生子の西欧文学受容に強い関心をいだくようになった。とくに、六十余年にわたって書き つづけられた日記に読んだことが記されている書物を特定し、それを入手すること、さらにはその書物と弥生子の作品とのかかわりを解明することが自分の中心 的な仕事の一つとなり、文庫本蒐集へ以前はどの時間を割くことができなくなった。もちろん、読みたい文庫本、珍しい文庫本を見かければ、買い求めてはいた が、『絶版文庫発掘ノート』、矢口進也『文庫そのすべて』(図書新聞、一九七九年)、すずきゆたか『絶版文庫の漁誌
学』(青弓社、一九八八年)などを再読三読しながらひたすら文庫本を蒐集・読破していたころの熱意はなくなっていた。しかし、一九九九年に刊行された近藤 健児『絶版文庫交響楽』(青弓社)を読み、気に入った作家の文庫本を全冊蒐集するという徹底ぶり、読書範囲の広さ、文庫本に関する情報量の豊富さ、映画や 音楽に対する造詣の深さなどに文字どおり驚嘆し、絶版文庫本への熱い思いが廻ってきた。たまたま富田靖氏のホームページ「文庫本大好 き」(http://www.tomita.net/)の掲示板に近藤氏がときおり書き込みされているのを知り、その掲示板を利用して、『絶版文庫交響 楽』に深い感銘を受けた旨同氏に伝え、併せて同書の遺漏などを二、三指摘させてもらった。
 これがきっかけで、「文庫本大好き」の掲示板上で近藤氏と文庫本に関する書誌的情報の交換をおこなうようになり、途中から中島泉氏も加わるようになっ た。三人のやりとりのなかで、いくつか興味深い発見があったが、その一つは、一九三六年(昭和十一年)以降に刊行された春陽堂文庫の翻訳
物のなかにはその発行年月日を特定できないものがあるという書誌学上の発見である。一九三一年(昭和六年。実質的には昭和七年)から刊行された世界名作文 庫は三六年のなかごろから春陽堂文庫に吸収されていったが、なかには表紙を張り替えただけで、奥付はそのままのものがある。たとえば、ハイネ作、石中象治 訳『北海・観想』(春陽堂文庫)の奥付の発行年月日は「昭和七年十一月十二日」となっている。これは先に世界名作文庫として刊行されたときの年月日であ り、春陽堂文庫版としての刊行年月日を結局知ることはできないのである。また、中島氏は世界名作文庫のうち、どの作品が春陽堂文庫として刊行されたかを調 査し、「世界名作文庫から春陽堂文庫への推移」と題する年表を作成された。これは氏のホームページ「文庫のページ」(http://www.gifu- nct.ac.jp/sizen/nakasima/bunko.htm)上で見ることができる。
「世界名作文庫から春陽堂文庫への推移」は掲示板上での情報交換によって生まれた大きな成果であるが、三人の情報交換はそれ以上の成果をもたらすことに なった。その成果とは本書の共同執筆である。二〇〇〇年の三月に青弓社の矢野恵二氏と近藤氏が続編について検討するなかで、近藤氏はわれわれ三人の共著に したらおもしろい本ができるのではないかとの提案をしてくださった。矢野氏もその実に賛成して、三人がそれぞれの持ち味を出し、しかもこれまでの文庫本に 関する本では紹介されていない作品や情報を提供するという基本方針で執筆することになった。
 近藤氏は前作で紹介できなかった、あるいは前作刊行後に入手できた幻の名著名作を紹介することになった。グリゴローヴィッチ『不幸なアントン』(世界文 庫)、『チャペク童話集河童の会議』(冨山房百科文庫)、ギャンチヨン『娼婦マヤ』(河出文庫特装版)、フランク『後尾車にて・路上』(世界名作文庫)、 ドルジュレス『木の十字架』(新潮文庫戦前版)、ブルトンヌ『性に目ざめる頃』(三笠文庫)、謝冰心『お冬さん』(市民文庫)など、いずれも絶版文庫蒐集 家垂涎の的といってよい作品ばかりであり、近藤氏の絶版文庫蒐集への執念がひしひしと伝わってくる。
 中島氏は三年ほど前からホームページを開設し、明治・大正期に刊行された文庫、とくに少年少女向けに刊行された文庫本の蒐集家としてつとに有名である。 また、二〇〇〇年の五月十四日から六月十八日まで、岐阜県博物館マイミュージアムギャラリーで「文庫の世界 - 文庫で見る日本の近現代史」と題する展示 会を開催し、これまで蒐集してきた貴重な文庫本の一部を一般に公開された。本書でも、それらの貴重かつユニークな文庫本の紹介が中心となっている。なお、 実録文庫・正チャン文庫などは、明治・大正期の文庫本蒐集の第一人者鈴木徳三氏の「日本における文庫本の歴史(一)(四)」(『日本古書通信』六九六-六 九九号所収)のなかでも取り上げられていない珍しいものである。
 田村は、名作紹介に関しては、比較文学的観点から興味深いと思われる作品を中心に取り上げた。書誌的観点からは、「レクラムかカッセルか」で、明治期に 刊行された袖珍名著文庫や袖珍文庫がドイツのレクラム文庫ではなく、イギリスの文庫本カッセルズ・ナショナル・ライブラリーを範として発刊されたことを明 らかにした。また、「文庫の奥付が語る終戦前後」では、一九四〇年(昭和十五年)から五〇年(同二十五年)のあいだに刊行された文庫本の奥付の表記が目ま ぐるしく変化したという、これまであまり注目されなかった事実を当時の出版・社会状況と関連づけながら、文庫本の奥付がいかに雄弁な時代の証人たりうるか を示した。
 本書のタイトルを『絶版文庫三重奏』としたのは、専門が異なり(近藤氏は国際経済学、中島氏は解析的整数論、田村は英文学・比較文学)、文庫の蒐集分野 も異なる三人が、それぞれの持ち味を発揮しながら協力し合い、これまでになかったような「絶版文庫へのオマージュ」一曲を奏でたいとの思いからである。
 最後に、われわれに出会いの場を提供してくださった富田靖氏、本書の刊行をご鮭漁くださり、執筆期間中もなにかと便宜を計ってくださった青弓社の矢野意二氏に共著者三人を代表して、心から感謝の意を表したい。
二〇〇〇年八月十五日 渡英を一カ月半後に控えて       田村道美