[NO.422] 古本屋さんの謎

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古本屋さんの謎
岡崎武志
角川書店
2000年3月15日 第1刷発行

 均一小僧こと岡崎武志氏のエッセイ。第2部を読んで、あれ? と思いました。『きまぐれ古書店紀行』(工作舎)と重複しています。それでも、今回も面白く読んでしまいました。岡崎氏の古本好きが文章から伝わってきます。

 今回、一番気になったのは、古書店で本を捨てているということです。
p170
(古書日月堂の佐藤真砂さんへのインタビューから)
古書店とは本を捨てる商売だと見つけたり
「古書店で売れ残った本は、一つはまず店に戻す。もう一つは、市(いち)に出す。最後は捨てることになります」
 古本屋は、まず本を捨てる商売だと聞いたが、やっぱり本当なのだ。もったいない、と思わず言ってしまった。
「私も本当は捨てるのに忍びないんですが、仕方ないんですね」


 うかつにも、木山捷平をはじめ私小説には年期が入っているとは存じませんでした。p38その木山捷平『軽石』に描かれた町並みを、実地踏破した文章に、おかしさがこみ上げてきました。

p215
人間は真夜中に鍛(きた)えられる
 大学時代は孤独だった。友人はいたし、つきあってる女の子だっていたが、しかし、一人でいる時間が圧倒的に多かった。そう書くと、寂しくてかわいそう、 と思うかもしれないが、そうじゃない。自分でそういう状況を作っていたところもあるのだ。なぜなら、読書するにも、古本屋巡りをするにも一人であることが 重要なのだ。
 孤独という言葉には、たしかにマイナスのイメージがあるが、十代から二十代にかけて、骨に沁(し)みるほど孤独を体験してない奴(やつ)なんて信用でき ない。蜷川幸雄(にながわゆきお)が「人間は真夜中に鍛えられる」と言ったそうだ。まさしくその通り。読書は真夜中のものである。京都の下宿で、どてらを 着て、コタツにかわるがわる手を突っ込みながらページをめくる日々。将来、自分がどうなるかまったく想像できなくて、ただ目の前の本に、そのとき与えられ た知力を投入していた。
 誰かの本を読んでいるうちに、触発されて、また別の作家の本を読みたくなる。手元にその本がないと、次の日は古本屋を捜し回ろうと思う。あそこがいい か、いや、久しぶりに少し遠い古本屋へ寄ってみよう、と思ううちに目がさえてくる。早く夜が明けないかと窓の外を眺める。その瞬間だけ、救われたような気 持ちになるのだった。そんな夜を繰り返して、古本が空から降るように部屋へ溜(た)まっていった。
 以来、二十年以上、古本と格闘し、慰(なぐさ)められる生活はほとんど変わっていない。