[NO.321] ミネルヴァの梟は黄昏に飛びたつか?/探偵小説の再定義

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ミネルヴァの梟は黄昏に飛びたつか?/探偵小説の再定義
笠井潔
早川書房
2001年3月20日 印刷
2001年3月31日 発行

目次
はじめに――探偵小説の再定義
Ⅰ 第三の波とセルダン危機
1 黄色い部屋の再建
2 本格のコードと反コード
3 探偵小説と構築なき脱構築
4 探偵小説形式の批判と継承
5 「魂」を奪われた小説形式
Ⅱ 探偵小説批評と匿名座談会
6 「匿名」の頽廃と堕落
7  現代本格と都筑道夫
8 「匿名」の頽廃と堕落・再論
Ⅲ 黄色い部屋の行方
9 「犯人=トリック」パターンの根拠
10 作者=神の死とフェアプレイ 糾
11 探偵小説のリアリティ
12 〈匿名病〉患者の症例研究
13 犯人のトリックと作者のトリック
14 黄色い部屋と「本格ミステリー」
15 探偵小説のコード性
16 形式と自己累積性
17 都筑「改装」プランの問題点
Ⅳ 第三の波と一九九二年の転換
18 探偵小説とフェティシズム 捕
19 趣味的共同体の乱立と自閉の城
20 綾辻行人の新たな試み 併
21 「語り」の重層性 刷
22 現代本格と一九九二年の転換
23 法月給太郎の「転機」
24 島田荘司の「器の本格」批判冊
25 「本格ミステリー」と後期クイーン的問題
26 「大量生産」と「自己消費」の二重構造加
Ⅴ 複製芸術と探偵小説
27 近代小説とマスプロダクツ
28 二〇世紀芸術とアウラの消滅
29 映画と三人称小説
30 映画の時間性と探偵小説の空間性
対談 現代本格の行方(VS綾辻行人)
参考資料
書名索引
著者名索引


p216
28 二〇世紀芸術とアウラの消滅
 ヴァルター・ベンヤミンは、二〇世紀的な複製技術の高度化と普及が芸術作品のオリジナル性や「ほんもの」性を解体し、「いま」「ここに」しかないという 固有性、一回性の体験もまた失われたと指摘する。写真や映画などの複製芸術がもたらした新事態は、芸術作品におけるアウラの消滅でもある。
 自然界のアウラについて、ベンヤミンは次のように述べている。「アウラの定義は、どんなに近距離にあっても近づくことのできないユニークな現象、という ことである。ある夏の日の午後、ねそべったまま、地平線をかぎる山なみや、影を投げかける樹の枝を眼で迫う――これが山なみの、あるいは樹の枝のアウラを 呼吸することである」。樹の枝や山なみは、私に知覚されている。ようするに「近距離にある」。しかし私は、樹の枝や山なみに「近づくこと」、到達するこ と、わがものとすることができない。以上のような逆説的事態、もしくは「ユニークな現象」が、ベンヤミンによればアウラである。


 「アウラ」とは何か。坪内祐三氏も用いております。ネット上にある「はてな」では、上記ベンヤミンの定義が書かれていました。
 痛感したのは80年代後半から現在までの展開が、自分の中でスッポリ抜け落ちていたこと。理由としては、個人的な諸事情があったのですが、それにしても損をしていたような気がしました。

 「セルダン危機」、懐かしい語句に出会いました。
p17
 こ の点で、アイザック・アシモフの〈銀河帝国興亡史〉が連想される。銀河帝国の滅亡による暗黒時代の到来を阻止するため、心理歴史学者ハリ・セルダンが設置 したファウンデーションは、成功の結果としてセルダン危機に襲われる。危機を超えて、新たな繁栄を実現すると、ふたたびセルダン危機に見舞われる。