[NO.319] 三茶日記

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三茶日記
坪内祐三
本の雑誌社
2001年10月30日 初版第1刷発行
1001年11月30日 初版第2刷発行

初出誌
本の雑誌 1997年3月号~2001年6月号
マリ・クレール 1999年9月号

 有名な入院事件の顛末が出ています。当時、本の雑誌で読み、驚いたものでした。同行していたのがM田T夫氏だったのは忘れていました。

p193
(1999年)十一月三十日(木)
 朝、気がつくと東京女子医大病院の集中治療室のベッドの上にいる。おとといの夜からきのうの朝にかけての出来事を思い出す。筑摩書房のM田T夫常務と、 まず神保町で飲んで、新宿ゴールデン街の「しん亭」にまわって、「しん亭」を出たのは午前一時半頃。旧都電車庫跡の遊歩道(※註)を通って靖国通りに出 て、信号を渡って、タクシーをつかまえようとしたのだが......。丁度信号が青に変ったので、早足で渡るM田さんに続いて、私も、と思った時、信号の手前にい た二人組のヤクザ風の男たちに因縁をつけられる。そういうことに無視出来ない性格なので、ひとこと、言い返すと、その瞬間、いきなりノックアウトパンチを 喰う。
 こんなことが起るなんて事前にわかっていたら、「読書日記」、二十八日中に仕上げていたのに。
 教訓、今日出来ることは明日に延ばすな。

※註 本当は、花園交番脇の道を通って靖国通りに出たのだった。

十二月一目(金)
 午後、集中治療室から一般病棟に移る。

十二月二日(土)
 朝、今日の担当看護婦のNさん(※註)から、「ツボウチユウゾウさんですよね」と尋ねられる。えっと、少し驚いて私が答えると、何とNさんは『本の雑 誌』 の愛読者だった。しかもNさんは、「目黒さんてクリスタルブラックが御晶展なんですよね」と言うぐらいディープな(ただし『本の雑誌』でNさんの御 晶展は、目黒さんでも、もちろん私でもなく、やはり椎名さんだった)。
十二月十二日(火)
 今日はNさん担当の口で、朝の検温の時、『本の雑誌』の今月号 (二〇〇一年一月号)の「笹塚日記」が話題に出る。あんな食生活を送っていたら目黒さ ん、絶対に尿管結石を再発します、とNさんきっぱりと言う。目黒さん、もし再発したら、東京女子医大病院をお勧めします。笹塚から都営新宿線で一本だし ね。

※註 東京女子医大の救命救急科の看護婦さんたちは、Nさんをはじめとして、皆、親切で、しかも美しく、働き者ばかりだったな。懐しいな。でも、途中から 移った、形成科の看護婦さんたちは今イチ(いや、今サンぐらいか)だったな。同じ病院で、どうして、ああも違ったのだろう。