マンホールの蓋 ヨーロッパ篇 写真・文 林丈二 サイエンティスト社 1986年6月15日 初版第1刷発行 |
前著、「日本篇」から比べると、その中身の素晴らしさと本自体の素晴らしさに、うっとりさせられました。写真もカラーが多く美しいだけでなく、現地の文 化を体現したようなデザインがなんともいえない魅力を感じさせています。また、あとがきにもふれていますが、装丁や本文のレイアウト等、所有欲を満たす本 に造られています。
はじめに
「蓋」に関心を持って、そろそろ10年になろうとする頃、満を持してヨーロッパの蓋の観察にでかけた。これが、その時最初に撮った蓋である。今こうして見 ると、何の変哲もないデザインだけれど、日本の蓋しか見ていない僕の目には斬新に見えたのだろう。「あっ、これも見た事がない」、「おっ、これも」といっ た具合に、目に入るものはどれも日本にない蓋だから、当然二番目、三番目‥‥‥百番目と、撮ったものはすべて新発見の蓋ということになる。
そういったわけで、写真代も考え、だいぶセーヴして撮った結果が下のグラフである。66日間で232枚も撮れば「蓋熱」もさめるかというと、どうもそうではなかったらしく症状は進行するばかりであった。
四年後「マンホールのふた日本篇」を出し、一応のくぎりをつけ、本が店頭に並ぶのも見ずに僕の足はすいつけられるようにヨーロッパの路上へと向かった。 あっという間の111日間。今度は1996枚を採集した。前回の一日平均4枚弱を上まわる約18枚を撮ったことになる。よもやこの病気が感染するとは考え られないが、一応こころしてこの本を開いていただきたい。
感謝とお詫び
よくもマア、こんな一般受けしそうもない題材の本が世の中に出たなあと思う。実は当初(昭和57年)、自費で出すつもりが全然予算が足りず、大手出版社に 持ち込んだところ、けんもほろろに断わられてしまったのである。そんな時、その頃の仕事先の担当だった阿久津誠氏に相談して紹介されたのがサイエンティス ト社だった。社長は大野満天氏、社員は武子裕美さんの、総勢二人という小じんまりした出版社(現在は直井佐稚子さんが加わって三人)だった事が幸い し、(資金面をのぞいて)自由に本作りができた。実際、阿久津氏と大野氏がいなかったら「日本篇」「ヨーロッパ篇」とも、これほど早くには日の目を見な かったに違いない。
今回の「ヨーロッパ篇」は友人の奥田時宏氏に表紙の装帳から本文・写真のレイアウトすべてを無理やりにお願いしたお陰で、「日本篇」とは雲泥の差の垢抜けた本になった。蓋達もこれほど晴がましく紹介された事はないだろうから、きっとびっくりするに違いない。
僕は横文字がまったく苦手なので、外国の文献は義弟の副島勉君にお世話になった。
この他にも沢山の方々の助言・助力があり、仕上げはかなり楽しい本になったと思う。この本に関わっていただいた皆さんどうもありがとう。また最初の発売予 定より一年以上も遅れてしまったので、お詫びとして、というか付録を次ページ以降に掲載した。なにはともあれ、この本を楽しんでいただけたとしたらありが たい。
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