[NO.297] 文豪たちの大喧嘩――鴎外・逍遥・樗牛

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文豪たちの大喧嘩――鴎外・逍遥・樗牛
谷沢永一
新潮社
2003年5月30日 発行

p7
序  論争の人間味

本文中の*は、谷沢流「登場人物・事項」コラムに項目があることを示す。

 我が国では文壇や学界で華々しい論争の起ること稀れである。従って、論争を対象とする評論および研究も多くない。栄えているのは、内田穣吉(*うちだ じょうきち)が『日本資本主義論争』(昭和12年2月18日・清和書店)で一応の型を作って以来の、左翼陣営に於ける内部論戦史のみである。そして、出版された冊数は多いが、同じ論旨の繰り返しに過ぎない。更に、同時代一般社会での経済論議や社会論議との関連を無視する。ゆえに、近代思想史の資料としては一向に役立たない。
 文藝の領域では、至って淋しく、臼井吉見の(*うすいよしみ)『近代文学論争』上下(昭和50年10月20日~11月20日・筑摩叢書)と、長谷川泉 (*はせがわいずみ)の編纂した『近代文学論争事典』(昭和37年12月15日・至文堂)が刊行されているのみである。関連する領域の、『日本思想論争 史』(54年)や『近代日本演劇論争史』(54年)や『詳解現代論争事典』(55年)も挙げておこう。臼井吉見の論争史は、『文学界』に昭和二十九年一月から三十二年の十二月まで、連載されたのであるから、開拓者(パイオニア)としての苦労に敬意を表すべきである。また長谷川泉は論争の総覧を目指した。要を得て簡潔な便覧を、必要な時期に編んだ企画に感謝せねばならぬ。他にも雑誌の特集が出ており、更に重松泰雄(*しげまつやすお)と磯貝英夫(いそがいひ でお)と神田孝夫(*かんだたかお)とを先駆とする個別論文も若干あり、いずれにも学恩を蒙っているが、此処は書誌の場でないから省略に従う。
 既に臼井吉見の名著があるのに、何故また敢て論争の若干を取り上げるのか、私の問題意識を記しておくのが義務であろう。見られる通り、本書は通史ではない。臼井吉見が二十五の論争を通観したのに対し、私は時代を明治期に限り、次の如く絞って論じたに過ぎない。
  鴎外(*)芝廼園(*しぼのその)の水掛論争
  鴎外忍月(*にんげつ)の醜美論争
  鴎外忍月の舞姫論争
  鴎外遼遥の没理想論争
  鴎外楽堂(*にんげつがくどう)の傍観機関論争
  鴎外樗牛の情劇論争
  鴎外樗牛のバルトマン論争
  疇外樗牛の審美綱領論争
  樗牛道道の史劇論争
  樗牛遭遥の歴史画論争
  樗牛遣遥の美的生活論争
 以上である。従って本書を分類の基準に照らせば文学史には属さない。論争という社会関係上かりそめならぬ衝突の、それぞれに発した閃光が、その時なれば こそ照らしだしたところの、作家論であり人物論であり文壇論である。だから、概論風の構成をとらない。神は細部に宿り給う。論争者の辞句語調を微細に聞きとり、両者の姿勢から推して、対峠の心情を読みとるべく努めた。本書の主題は人間論なのである。
 私は大学院へ入ったとき、近代文事評論史を研究主題(テーマ)と決めた。処女出版は『大正期の文藝評論』(昭和37年1月30日・塙選書)である。その 延長線上に明治と大正を書く予定で、掲載誌も決まっていた。しかし残念ながら、持って生まれた鬱症が襲い来たって読み書き不可能の日が続く。病状が多少は弛んだ頃になると、平素の雑学に急(せ)かされて、雑文を書くことが好きになった。つまり脇道へ逸(そ)れてしまったのである。であるから、文藝評論史に関係のある私の著書は、『大正期の文藝評論』と『現代評論』(58年3月31日・角川書店、のち改題『十五人の傑作』平成9年11月10日・潮出版社)と 『谷沢永一書誌学研叢』(61年7月10日・日外アソシエーツ)と『近代評論の構造』(平成7年7月20日・和泉書院)と、以上四冊となる。
 そこで、この『文豪たちの大喧嘩――鴎外・道道・樗牛』を以て、私に於ける文藝評論研究の卒業論文と見倣したいと思う。量は多くないけれども、内容について我ながら満足しているのである。と言うことは、この一巻が私の能力としては、筒一杯に頑張ったという意味である。泣いても笑うても、これ以上の研究論文は書けないと思う。心ひそかに本書を私の代表作に擬している次第である。
 私事のみにこだわるようで恐縮ながら、私は本書の執筆にあたって、評論研究の新機軸を実現したいと考えた。問題は引用文の処理である。小説の批評なら少しも引用文なしで論を進めることが出来る。しかし評論の批評を一節も引用しないで論じることは不可能である。過去の研究者はみなこの難所を通り抜けるのに苦労した。臼井吉見にしても、引用の多過ぎる弊にかなり無関心である。たとえば第一章は本文が約二百五十行であるが、そのうち引用は六十七行で二割を越 す。昔から、読者は引用を飛ばして先へ進むと言われる。それは殆ど事実である。せっかく筆者の文体が持つ調子(リズム)に乗ってきたところへ、眼前に引用 文が待っていると、まるで陥没地帯へさしかかったような気分になる。読者である皆の衆は必ず身に覚えがあろう。
 そこで私は、引用なしで論争史を書き、引用なしで批評についての評論や研究を、硬軟いずれの論文に於いても書く方法があることを明示しようと思った。もし完成すれば史上空前の例証になるであろう。方法は簡単である。両者の言い分が最もはっきり表現されている部分を慎重に選び、其処をよくよく読みこんで、 その論旨と意向を誤りなく把握し、原文より短く縮約しながら、私自身の文章に置き直す手口である。これなら始めから終りまで私の地の文一筋で通し、陥没地 帯を作らないで済む。論者独得の言いまわしによる鍵語(キーワード)つまり語句だけは括弧に包んで地の文に埋めこむが、改行して文章を引用する通常の方法 は採らない。こうすれば読者が気分を中断されないで一息に読めるだろう。
 志賀直哉(*しがなおや)が小林秀雄(*こばやしひでお)を褒めて、彼の評論は引用がないから読み易いと言ったのに暗示(ヒント)を得たのではないかと 思う。ただし、小林秀雄の評論は、はじめから引用も注も要らない構成になっているから問題はない。私の場合は、どうしても引用を必要とする筈のところを、 引用なしで走り抜けようというのだから、当然のこと、かなり無理がある。しかし、断じて行えば鬼神もこれを避く、やってやれないことはない、レッツ・ゴ オ。但し、一箇所だけ逍遥の逍遥だけしか書けない戯文調は、これだけは読者に実感していただけるよう、敢て引用せざるをえなかった。残念だけれども仕方がない。
 先におことわりしたように、私は論争そのものにさしたる興味はない。私は近代の論争を大体すべて読み、本当に意味のある論争は暁天の星だと思っている。 人生相渉論争などは全く無意味ではなかろうか。それゆえ附録として私の透谷論を読んでいただくことにした。たまたま私が読んでみて教わったとの印象を得た 論争を『近代文学論争事典』の表記に即して列挙すれば次の如くである。
  左千夫対赤彦・茂吉乱調論争
  哀果・茂吉表現論争
  水穂・遣空の古語論争
  印象批評論争
  内容的価値論争
  私小説論争
  「小説の筋」論争
  鴎外の評価をめぐる論争
  藝術的価値論争
  純粋小説論争
  「生活の探求」論争
  素材派・藝術派論争
  現代かなづかい論争
  伊藤整(*いとうせい)・山本健吉(*まやまもとけんきち)論争
  昭和史論争
  「言語政策を話し合う会」論争
  送りがな論争
  「文学と性と道徳」論争
  国語審議会論争
 以上は現代の研究者に取り上げられるに値する論争ではなかろうか。第一、議論が空疎でなく、内容があり、更なる展開の可能性も内包している。第二、文学史的文化史的に時代の画期を示す。謂わば螺子(ねじ)が切れたため動作の止まっている人形のようなもので、誰かが親切に螺子を捲いてやったらまた動きだすのに、と思わせるような状態であって、我が国の論争はいつも中途半端に終る。そのなかに潜んでいた論理上の可能性を引き出すのもまた研究の一種ではあるま いか。論争なんて詰らんとうっちゃっておくところからは、何事も生まれないこと必定であろう。



 献辞として、開高健に とあります。

 p225「憧憬」の語源として、高山樗牛による造語であると指摘していました。正確には樗牛と姉崎嘲風の二人とあります。著者曰く「なるほど、そう言えば、憧憬、は大漢和辞典に入っていない。

 p243 併せて樗牛は俳諧を解せなかったとも。
「俳諧が面白くないという人は完成の何処かに欠落があり、ひいては文藝の感傷能力が疑われる。我が国の文藝評論家に俳諧の愛好者が希有なのは不思議である。最初に登場した山田芝廼園に敬意を払って、彼が持ちだした評語を用いさせてもらおう。論争史に登場したひとびとは、みんな揃って野暮であった。」