[NO.270] 美酒と革嚢/第一書房・長谷川巳之吉

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美酒と革嚢(かくのう)/第一書房・長谷川巳之吉
長谷川郁夫
河出書房新社
2006年8月20日 初版印刷
2006年8月30日 初版発行

 441ページにわたる大著。河出書房新社創業120周年記念出版と帯に銘打たれています。(創業1886年ともあります)。価格も5800円也。
 巻末に17ページからなる詳細な「人名索引」。

帯から引用
 震災後の出版会に美と豪奢の時を築き、刊行書目をもって自叙伝を書くという高邁な精神を貫いた男がいた!

 堀口大學、萩原朔太郎らの絢爛たる造本の豪華本を刊行し、徹底した剤や精神、反アカデミズムで「第一書房文化」と讃えられて大正・昭和の出版・文学界をリードしながら、最盛期の昭和十九年に自ら書肆を閉じた伝説の出版人の航跡と謎を追う、渾身の評伝。

 近代の出版史において、(たとえ独断ではあっても)私には、出版という行為に明確な自覚をもち、つよい意志の人であった巳之吉だけが、私の問いに耐えう る人物であるとの確信があり、それを片時も疑うことはなかった。いうなら、二十余年のながい付き合いに甘えて、巳之吉の胸を借りていたのだった。あきらか に、巳之吉にとって出版は、詩や小説、批評といった文学的行為と等質の制作であり、昭和十九年二月、「第一書房」という未刊の作品の筆を折ったのである。 その決断は、作者としての最後の良心を示したものであったとみるべきかも知れないと、今にして思う。

あとがきから抜粋
 本書第一部、序章は「早稲田文学」昭和五十七年(一九八二)年上月号から五十八年二月号までに三回、つづく三章は、同誌五十八年七月号からほぼ毎月連載され、六十一年四月号の第二十四回で中断した。
 第二部は、週刊紙の「図書新聞」平成十四(二〇〇二)年一月二日号から十七年十月一口号まで、百五十五回にわたって連載されたものである。
 第一部と第二部と、不体裁でつながりの悪い具合になったのは、その間、平成十二(二○○○)年九月に私は、三十周年を迎えた出版社を倒産させるという事態を招いてしまったからである。第一部の文章を読み返すことも心理的に辛く、書き直すことは到底できないものと悟るほかなかった。
 出版もまた創造的な行為かという課題を掲げて、第一書房・長谷川巳之吉を巡る私の旅ははじまった。昭和五十七年十月号、第一部の序章二の直前に、岩波書店のPR誌「図書」の「読む人・書く人・作る人」欄に寄せた短文「小さな出版目録」がその出発点だった。偶然手にした第一書房の出版目録にこころを動かされたのである。(以下略)

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