[NO.1639] 日記から/50人、50の「その時」

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日記から/50人、50の「その時」
坪内祐三
本の雑誌社
2024年06月30日 初版第1刷発行
164頁
再読

結局のところ、坪内祐三という幻影に翻弄されて終わってしまったのかもしれません。それがちっとも嫌ではないところが、坪ちゃんの魅力。

(表も裏も)カバーいっぱいにひろがる直筆原稿に、まずやられました。そうかそうか、あの人はこんな文字を書いたのか! ところで、この原稿の内容は目次でいえば、どこのところに該当するんだろうか? 固有名詞を手掛かりに、目次と首っ引きでアタリを付けていきます。

さほど難しくもなく、本文のページで見つけることができて、なんとなく嬉しくなり、そんなことすらもが、楽しいのですよ。

この色具合だと、万年筆のインクは国産メーカーなのかな? とかね。

そんな外側のところでぐるぐると時間つぶし。

詰まるところ、さいごまで坪内祐三氏がどういった意図で「それぞれの回を連環的につなげていこうと考えた」のか、貫いている「テーマ」がはっきりしませんでした。もやもや。

 ◆ ◆

初出は毎週日曜の毎日新聞、2005年4月~2006年4月。20年も前に書かれたというのに、ちっとも「古くさいぞ!」とは思えません。

原稿用紙3枚という短い分量なのに、取り上げる人物は多士済々、その年もいたってまちまち。古いところで依田學海の明治22(1889)年から、新しくは山口瞳の昭和63(1989)年まで。ところが、通読していくと次第に見えてくるものがあるのです。

目次を見ないと、なにを言っているのかわかりにくそうです。出版社サイトに目次が用意されているので、目をとおせば一目瞭然です。リンク、こちら 

 ◆ ◆

五十回の連載で、登場させる人物を毎回変えるので、一人が一度しか取り上げることはない。

そのタイミングを選ぶのが腕の見せ所だ。
 それはまるで、パズルのようで、実際、最初の内はそのパズル(予定表)を作るのが大変だった。
 残り十数回となった所で完璧な表が出来上がった。
 ところが、(以下略)

と、あとがき「連載を終えて」にあります。「腕の見せ所」というところに、坪ちゃんの自信の程が覗いています。

取り上げた人物と日付、なによりも前後の関係。日付のもつ意味、考えます。

文学者については、なんとなくわからないこともないような、でも決定的なものに欠けます。もやっとした気分。

隣どうしの関係、せめてそのまた隣くらいまでなら、類推できそうなところもあるのですがねえ。「時代」「歴史」の遷移とか。

本書は、ある意図をもって日記から抜粋し、そこに坪内祐三氏さんが解説を加えている。いっそのこと、どなたか、本書の解説をやってくれませんかねえ。坪ちゃんが、ここでやっているみたいに。

たとえば最後の4日間だと
・野口冨士男の『わが荷風』からの引用で補足する荷風の最期。(その前は野口の回)
・添田知道の回の結びが「カーチス・ルメイが、戦後、航空自衛隊建設に貢献したという理由で勲一等旭日大綬章を贈られたのはよく知られた話である。」 いったいどれくらいの読者が「よく知って」いるだろう? カーチス・ルメイのこと、東京大空襲つながりで小林信彦さんが何度も書いていました。
・南方熊楠の回、「神社統廃合が損なったもの」。衆議院本会議での中村啓次郎による質問は、南方熊楠が起草したものだったという。
・樋口一葉の回、「文学青年から受けた刺激」。文学青年とは当時の第一高等中学の学生平田喜一(禿木とくぼく)が、彼よりも一つ年上だった一葉を訪ねたときのやりとりを指しています。

 ◆ ◆

浮谷東次郎がバイクを乗り回す様子に可笑しくなりました。一時、この人のブームがありました。そのきっかけが、同じようにやっぱりラジオ(DJ)の紹介だったのではなかったでしょうか。

遠藤周作の狐狸庵命名の起原が、東京オリンピックによる開発前の町田にあったこと、忘れていました。遠藤周作、北杜夫、佐藤愛子のユーモアなんてすっかり記憶の彼方なり。

 ◆ ◆

「本の雑誌」のXによれば、坪内さんが愛した日記をテーマにしたものなので、坪内さん自身の日記と並べられるようにデザインしました。とのこと。写真を見れば、一目瞭然。リンク、こちら 

・昼夜日記
・書中日記
・本日記
・三茶日記
これら4冊の隣に本書『日記から』を並べた姿に納得。下記画像は「本の雑誌」のXから

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やりますなあ、本の雑誌社。

 ◆ ◆

【重箱の隅つつくの助】
《初版発行: 1983年》なぜに?
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特集の「河出書房新社を探検しよう!」は読み応えあります。特に坂本一亀について。社内のあれやこれやもミーハーの興味をわくわくさせてくれました。

P40
私の河出書房新社本
オールタイム
ベスト3!

柳下毅一郎
(3)『蒸気駆動の少年 (奇想コレクション)
ジョン・スラデック(著),柳下毅一郎 (翻訳) 2008/2/19

荻原魚雷
●鋭く温かいコラム集
(1)『橋本治雑文集成 パンセⅦ その他たちよ!
(2)『男のコラム』1・2 マイク・ロイコ、井上一馬訳(河出文庫)
(3)『アップダイクと私』ジョン・アップダイク、若島正編訳、森慎一郎訳)

(1)全七巻の雑文集成の最終巻。同巻には「河出文庫をおススメする」という雑文も収録されている。同文庫が〝文芸書〟から〝不思議な雑多〟の文庫に移り変わっていったことにたいし、中心の教養がないまま周辺の〝雑〟に走ったら「人生経験のないまんまに訳知り顔をしている坊や顔した横町の隠居になるだけじゃない」と苦言を呈す。今読んでも胸に突き刺さる痛い言葉だ。わたしの場合、河出文庫に入ってから読んだ橋本作品も多い(『ぼくたちの近代史』など。
(2)ボブ・グリーン、ラッセル・ベイカーなど、八〇年代末から九〇年代にかけて、河出はアメリカのコラム集を立て続けに刊行していた。中でもシカゴ生まれで十三歳からバーテンダーをしていたマイク・ロイコのコラム集は傑作かつ怪作。『男のコラム』シリーズは『クリスマス・コラム』(河出書房新社)という第三弾も。
(3)エッセイと書評を集めたアンソロジー。文学、漫画、映画、野球、ゴルフ、ポーカーと守備範囲が広い。どの文章も鋭さにくわえて、どこか温かみがある。
「日本の小説はどれもこれもみな、英訳版で読めば、日本独特の含みと抑制のせいで声がくぐもって聞こえると誤解してはいけない」
 夏目漱石と谷崎潤一郎についての評論の一節だ。村上春樹のある作品の書評も収録。

→〈村上春樹のある作品の書評〉ってなんだ?

P44
●読者アンケート
河出書房新社の
ここが好き、嫌い!

P46
KAWADE夢ムック文藝別冊が好きだ!

P47
好き
東郷えりかの翻訳書
☆数年前、2冊続けて河出書房の訳書を読んだところ2冊とも、東郷えりかという翻訳家だった。
 読んだのは『この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた』と『世界の起源 人類を決定づけた地球の歴史』。両方とも著者は英国の宇宙物理学者、ルイス・ダートネルだ。いずれも現在、当たり前のように享受している環境や技術、医療などについて、どのような紆余曲折を経てここに至ったか、を教えてくれるよい本だった。
 こんな本を翻訳するのは大変だったろうなあ、どんな人かな、と東郷えりか氏について調べてみたところ、何と、手掛けた訳書の殆どが河出書房毎年のように出版されていて、その分野は自然科学、医学、環境、地学、歴史と広範だ。これはもう、こういう科学書の翻訳は東郷えりか氏に、と河出書房が一択で託しているのだ、きっと。
 この夏にも、河出書房から同じタッグで『この身体がつくってきた文明の本質』という面白そうな本が出るらしい。ずっと贔屓にしよう!と楽しみに待っているところである。
(唐木幸子・黄昏の銀笛吹き69歳・立川市)

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P52
●続・百歳までの読書術
やはり「百歳まで」は無理だよ
=津野海太郎

やんややんやの喝采、待ってました! といったところです。

老人になってからの読書というテーマで、津野海太郎さんは何冊か著書があります。そのどれもが、現在のわたしにとっては興味深いのです。気になって仕方がありません。(なにしろ、小林信彦さんが、これ以上エッセイも含めて書けそうにないみたいなので)。

「老人読書」シリーズ と津野さんは呼んでいます。いいなあ、「老人読書」シリーズ。

年寄りが若い人に向かっておしゃべりしているかのような「文体」が、たまりません。内容は当然のことながら興味津々です。漱石「思い出すことなど」を、津野さんは高校生の頃から繰り返して読んできたといいます。へーえ、ですよ。

2024年1月に自宅の階段の三段目から落ちて、「あやうく死ぬ寸前のところまで行ってしまった」というところを読み、ひやっとしてしまいました。小林信彦さんが転倒をして入院したことを思い出します。ああ、谷啓さんやなかじまらもさんは、階段から落ちたことが死因だったはずです。

P53
 なにしろ私は、これまでに出版した三冊の「老人読書」本で、鶴見俊輔や橋本治や坪内雄三をはじめとする「死者列伝」を、延々と書きつづけてきたのでね。わざわざ数えるまでもなく、これまでに登場してもらった先行諸氏のうちには、九十歳以上の人など、ほんの数人しかいなかったんじゃないかな。
 ただし男よりも余命が長い女たちは別よ。現に百歳前後の女性作家は何人もいるが、九十歳を過ぎて盛んに活動している男性作家など、ほとんどゼロにちかいのだから。
 その証拠というか、二十代なかばに友人たちとはじめた晶文社(中村勝哉、小野二郎、平野甲賀、長田弘)や、六月劇場(岸田森、草野大吾、村松克己、佐伯隆幸、山本清多、デイヴィッド・グッドマン)の連中など、そのすべてが呆気にとられるほどの勢いで消えてしまった。対するに私より先に消えた女性など、晶文社と六月劇場を合わせても、樹木希林(=悠木千帆)ひとりしかいないのだからね。
 ――などと平然と書いてはいるけど、おれだって、まったく寂しくないわけじゃないのよ。でもさ、「寂しい」より、どちらかといえば「つまんない」という感じの方に近いかな。過ぎし日の数々の記憶のあれこれをサカナに陽気に酒を飲む。そんな楽しみも、とうの昔に消えてしまったしね。
 そういえば、しばらくまえ、『かれが最後に書いた本』のあとがきで、「ついさっき動きを止めた人間」と「もうじき動きを止める人間」との「三途の川をはさんでの人間同士のさしのつきあい」と書いた。そんなドライな空気の中で、ほどなく私も、かれらのあとを猛スピードで追いかけることになるのだろう。いまはまア、そういった感じかな。

     *

 と、こんないきさつもあって、昨年の秋ごろから浜本さんと、せっかくこの欄ではじめた「老人読書」シリーズなのだから、どうせなら同じ場所で終わりにしたいね、などと話すようになっていたのです。


ここにつづくまでの本稿冒頭からの流れが、読み返せば読み返すほどにうまくできていて、(同時に自分の読解力の不足を教えられ、情けなくなりつつも)「こりゃあ私小説ですよ」と(植草)甚ちゃん風にうなるしかありません。

きりがないので、このへんでやめにします。そしてなにより、今後のつづきが楽しみです。

ところで、先の〈これまでに出版した三冊の「老人読書」本〉とは、具体的には何を指すのか?

百歳までの読書術』(本の雑誌社、2015年)
最後の読書』(新潮社、2018年)
かれが最後に書いた本』(新潮社、2022年)
読書と日本人』(2016年)というのもあります。

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P62
新刊めったくたガイド
●大森望
高野史緒の書痴小説集
『ビブリオフォリア・ラプソディ』に◎

ビブリオフォリア・ラプソディ あるいは本と本の間の旅』(高野史緒、講談社、1700円)
大森望さんがベタぼめですね。
日下三蔵風の古本マニアが夢のような古書店に溺れる話......。本誌読者なら楽しく読めること請け合いの書痴小説集。

〈書痴小説集〉という単語は、オリジナルの語なのでしょうか。


天才少女は重力場で踊る』(緒乃ワサビ、新潮文庫、710円)
『白昼夢の青写真』などのビジュアルノベルで知られる著者の初小説。


歌う船[完全版]』(嶋田洋一訳/創元SF文庫、1400円)
今や古典的名作の地位を確立した人気作のリニューアル。


最後に小説外を2冊。

宇宙開発の思想史 ロシア宇宙主義からイーロン・マスクまで』(フレッド・シャーメン、ないとうふみこ訳/作品社、2700円)
「人類は宇宙に進出すべきである」という主張の歴史を150年にわたって(批判的に)たどる研究書。著者の主張には異論のある人もいるだろうが、ツィオルコフスキーの『地球をとびだす』とか、フォン・ブラウンの『プロジェクト・マーズ』とか、科学者が書いた(多くは未訳の)SFが大量かつ詳細に紹介され、それだけでも楽しい。SF作家のSFも当然多数登場する。同書でも紹介されるロシア宇宙主義の論考とその解説を集めたのがボリス・グロイス編のアンソロジー『ロシア宇宙主義』(乗松亨平監訳、上田洋子・平松潤奈・小俣智史訳/河出書房新社、3600円)、すべての生けるものが集うフョードロフの誇大妄想的(バカSF的?)博物館論に始まり、奇々怪々な思想が次々に開陳される。ネタ本としても貴重。

そういえば、『何用あって月世界へ/山本夏彦名言集』がありました。


P68
新刊めったくたガイド
●東えりか
興奮と驚きの支援テクノロジー最前線


ハイブリッド・ヒューマンたち 人と機械の接合の最前線から』(ハリー・パーカー、川野太郎訳/みすず書房、3000円)

著者は2009年にアフガニスタン紛争に従軍、即席爆発装置を踏み両足を失った英国人だ。著者近影は義肢ではあるが杖もつかずにすっくと立っている。退役後に小説家になり、本書では自身の義肢から始まる障害者の支援器具の最前線を当事者の目線で取材していく。

本書では、これらのような人(何かの器具を必要として生活している人)が生きる上で必要とする器具と技術を《支援テクノロジー》と呼ぶ。その技術の発展は目覚ましく、装着するもの(ウェア)から身体に機械を接合する(著者はハイブリッド・ヒューマンと呼ぶ)段階になりつつある。(途中略)獅子を損失しながら生きのびた古代人は、なんらかの補助器具を考案してきた。そしていま、脳に直接接続するとことまできた。
 本書で一番驚かされたのが「オッセオインテグレーション」という技術だ。義肢の場合は大腿骨とチタニウムのインプラントを直接節夫具してしまう。つまり取り外ししなくてもいい。(以下略)

 さらにリアルなのが、三宮麻由子『わたしのeyePhone(アイフオーン)』(早川書房、1900円)である。著者は幼い頃に眼病で失明した「シーンレス」エッセイスト、視覚以外の感覚を繊細に伝えてくれてきた。そんな日常を激変させたのがスマホの導入だ。まさに「ハイブリッド・ヒューマン」になった日々が綴られる。

小山田圭吾 炎上の「嘘」 東京五輪騒動の知られざる真相』(中原一歩、文藝春秋、1500円)

人間の証明 勾留226日と私の生存権について』(角川歴彦、リトルモア、1200円)

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P79
いつか、あの博物館で。/ アンドロイドと不気味の谷
朝比奈あすか
東京書籍

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P80
SF新世紀
春暮康一の第一長編
一億年のテレスコープ』に
大注目!!
山岸真

早川書房

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P86
版元パラダイス
「軽出版」を実行する
破船房に注目!
竹田信弥

https://www.moderntimes.tv/articles/20230703-01oh/
橋本治「再読」ノート』仲俣暁生、破船房
新刊小説の滅亡』藤谷治、破船房

 書店減少に政府が手を打つとか打たないとか。政府まで動き、多くの人が維持を望む書店とは、一体何を扱っているのだろうか。本とは何か。
 今回は、編集者・物書き・大学教員等の肩書きをもつ仲俣暁生さんが立ち上げた破船房を紹介する。

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P98
●ディギン・イン・ザ・鈍色本
聖なるかな、
どいつもこいつも
●藤野眞功

 健康食品やニキビ薬で知られるD・H・C。その社名は「大学翻訳センター」の頭文字に由来する。一九七二年の創業時、同社は法人向けの翻訳事業を柱にしていたからだ。
 かつては出版事業も手掛け、語学関係の教材は評判が良かったそうだが、(以下略)

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P110
風来坊のあなた
源氏物語と紫蘇ジュース
●徳永圭子

源氏物語
角田光代
河出文庫
CD:大久保伸子

 いつから夏はこんなにも暑くなったのだろう。全国の最高気温のニュースを見ると、馴染みの地名が並び、館林、熊谷、長岡など、幼い頃から酷暑の町で暮らしてきたことに気づいた。高校時代の5月、熊谷の八木橋デパートに夏の制服を探しに行ったことを思い出す。次の入荷は一か月先と言われて、耐えきれずに商店街の店先におばあさんが座っている暗い洋品店で買った。

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三角窓口
P130
△互いに面白本の情報交換をしている友達がいて、その友が「読書三余」という言葉があると教えてくれた。一年の余りとされる冬、一日の余りとされる夜、時の余りとされる雨降りの「三余」である。これが読書に最適とする中国の古い言葉らしい。
 なので夜も更けると「三余、さんよ」と唱えながら本を抱えて布団にもぐる。大抵は眠気が勝って残念なことになるらしいが。(以下略)
(大藪葉子・メダカのお守り係73歳・岐阜市)

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P133
即売会の世界
石川春菜(八画文化会館)

シェア型書店について紹介します。
神保町にある2店、仏文学者鹿島茂プロデュースの共同書店「PASSAGE by ALL REVIEWS」と作家今村翔吾による「ほんまる」。

3店目が高円寺「そぞろ書房」。点滅社と小窓社という独立系出版社が共同で営む。自社棚には新刊やZINEもあって『そぞろ日記vol.1 2023年4月~10月』等を購入したとありました。

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NHK高校講座 あらためまして ベーシック国語 文学史~谷川俊太郎~
2024/10/28(月)10:20:00
NHKEテレ1東京
国語の基本を学ぶ講座バラエティー。今回は文学史回。カレンさんと金田一先生が詩人・谷川俊太郎さんを訪ねる。詩作の秘けつは?また谷川さんが新作してくださった詩とは?

 ◆ ◆

いちばんびっくりだったのが、谷川俊太郎さんの次の言葉です。

5分30秒/9分59秒
若い頃から読者はすごく意識してましたから
つまり自己表現ではつまらない
読者を喜ばせたいと、感動させたいという
他者との関係が、ずっと続いてきているから
それでやっぱり
言葉が人に受け取られやすい言葉になっているのかなと......

谷川俊太郎さんはぶれていないなあと思いました。

何年か前、あるTV番組に出演したとき、同席していた若い詩人たちを凍らせてしまったことを思い出しました。

「えっ、みなさんは依頼を受けてから詩を書いているんじゃないの?」

そのときの話題は、〆切についてだったでしょうか。

原稿の〆切が近づいてから取りかかるのか、日程の余裕をもって完成させるのか、といった話題で盛り上がっていたとき、谷川俊太郎さんは、もちろん〆切に間に合うよう、余裕を持って書き上げているとのことでした。

「だって、頼んでくれた人に迷惑をかけてしまうから......。」

そこで、先の発言につながります。

「えっ、(だって)みなさんは、依頼(オーダー)を受けてから(詩を)書いているんじゃないの?」

詩人のみなさんは下を向いたり苦笑したり。

現代詩を書く詩人にとって、原稿依頼がくるという機会はどれだけあるのでしょうか。

ちょうどそのころ、都内の地下鉄には掲示物の中に谷川俊太郎さんの詩が載っていました。定期的に差し替えられるシリーズものでした。

ニーズがあるから詩を書く。そんなことは、谷川さんにとって当たり前すぎることであって、先の発言が若き詩人たちを傷つけたかもしれないなど、思いもしなかったでしょう。

さすがに、デビュー詩集は依頼をうけてから書いたのではなかったでしょう。ノートに書きためた詩を父谷川徹三が知人である三好達治にみせたことがきっかけだったといわれています。

しかし、読者を意識していたというのは、そのころから変わらないのでしょうね。(っと、読者を意識)

自己表現ではつまらない

自己満足としないところが、谷川俊太郎さんです。

 ◆ ◆

ホームページ上に この番組は前年度の再放送です。 とあるので、番組をつくったのも昨年のことでしょうか。

というのも、カレンさんと金田一先生が、あの詩人・谷川俊太郎さんの自宅にわざわざ訪ねているからです。昭和6年(1931年)生まれの谷川俊太郎さんは、昨年93歳。矍鑠(かくしゃく)としています。

さらに付け加えると、谷川俊太郎さんの自宅内部が見られるというのも興味深いところでした。雑誌などのインタビュー記事に添えられた小さな写真で、ときどき目にできたくらいです。

さらにさらに付け加えると、書斎の棚です。父親である哲学者谷川徹三の蔵書が並んでいた書棚に戦前の舶来品ラジオをずらっと並べていたのは壮観でした。その後、それらのオールドラジオも、すでに今はないということでしたから、その後はどんな風になっているのか、興味津々(しんしん)でした。

今回の番組では、残念ながら戸棚は見ることができません。そもそもインタビューの収録が行われたのは、書斎ではありませんでした。

番組冒頭でとおされた部屋は、机もあって書斎だったかもしれません。ルーター(らしきもの)と並んでいたのはデジタル式の無線機ではなかったでしょうか。

番組の中で紹介される深堀瑞穂さん撮影写真に写った部屋には棚が見えます。本や小物が並びます。

建物をリフォームしているのでしょうか、それも何度か。

 ◆ ◆

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番組では、滝沢カレンさんが書いてきた自作の詩を披露たあと、今この場で同じタイトルの詩を谷川俊太郎さんにも書いて欲しいと要望し、谷川さんにムッとされるという一コマがあったりして、それはそれはめったにないEテレ番組となっていて、見応えありました。

こんな要望をさらっと口にできるのも、三代目金田一秀穂先生だからですよ。いいとこの御子息が目の前で対面していたことを、あらためて思い起こさせる場面でした。

ところで、先の要望「同じタイトルで(詩を作って頂けませんか)」
に対しての返答が「今、アドリブで言えっていうの?」「そりゃ無理ですよ」「せめて15分ぐらいはないとね」

結局、後日書いたものを発表するならかまわないと承諾を得ます。
それにしても、15分あればいいというのにも、びっくりでした。

[NO.1638] わたしは孤独な星のように

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わたしは孤独な星のように
池澤春菜

早川書房
2024年05月10日印刷
2024年05月15日発行
201頁
再読

7編からなる短編集。SF好きなら、それぞれがあの作品やこの作品のテイストだ! とにんまりしてしまいそう。ここで誤解のないように言い添えますが、7作品ともオリジナリティに富んでいます。SFマニアを喜ばせてくれる雰囲気や設定が豊かなだけに、おお、これはどれそれへのオマージュに満ちているぞ! とつぶやかずにはいられないといったことで......。わかってもらえたでしょうか。

まるごと全作に作者の意欲があふれているといいますか、7編の幅広い内容に驚きました。池澤さんにとっての最初の創作集、いいです。

出版社サイトの中、Hayakawa Books & Magazines(β) に、だから本は特別な存在。池澤春菜『わたしは孤独な星のように』作者メッセージ  として本書の紹介があったので、作者の言葉から引用します。

 こうやって見ると、どれもすごく「わたし」ですね。自分の中から汲み上げた、言葉と物語。

どれもすごく「わたし」 なのですね。

これまで、池澤春菜さんの著書は『ぜんぶ本の話』しか、読んでおりませんでした。雑誌SFファンにエッセイを連載していたことすら知らず。そもそも雑誌SFファンの読者でもありません。SFというジャンルは嫌いじゃないのですが。

【初出一覧】
「糸は赤い、糸は白い」ゲンロン 大森望 SF創作講座/再録:『SFのSは、ステキのS+』早川書房、2022年
「祖母の揺籠」『2084年のSF』ハヤカワ文庫JA、2022年
「あるいは脂肪でいっぱいの宇宙」ゲンロン 大森望 SF創作講座/再録:『NOVA 2023年夏号』河出文庫、2023年
「いつか土漠に雨の降る」ゲンロン 大森望 SF創作講座(「あのおとのようにそっと」改題)
「Yours is the Earth and everything that's in it」『WIRED』日本版 2023年5月22日記事
「宇宙の中心でIを叫んだワタシ」ゲンロン 大森望 SF創作講座
「わたしは孤独な星のように」ゲンロン 大森望 SF創作講座

「糸は赤い、糸は白い」は、川名潤さん装丁の表紙みたいなイメージ。尾崎翠『第七官界彷徨』を思い浮かべました。きのことはまた、マニアのにとって垂涎のテーマです。

「祖母の揺籠」は、うって変わってスタニスワフ・レム『ソラリスの陽のもとに』をもっとハードSFにしたみたい。セレブレルなるカプセルを持ちだしたことで、それまでふわふわしていたイメージが、俄然、ハードSFに。内部に人間が入るって、すごい。それで100年以上も生命を保つって。

「あるいは脂肪でいっぱいの宇宙」は、おバカSF。かんべむさしを思い出しました。伝統的なSFギャグ。

後日談のつづき作品が、「宇宙の中心でIを叫んだワタシ」

「いつか土漠に雨の降る」は、なーるほどって終わり方。その後、どうなったでしょう? パターンは、短篇SFにとって王道です。バラード『結晶世界』やカート・ヴォネガット『猫のゆりかご』のイメージかな。

「Yours is the Earth and everything that's in it」は、SFプロトタイピングで書いた一篇だそうで、初出の『WIRED』日本版 サイト内に紹介されています。作品全文も公開されていて、読むことができます。リンク、こちら 

「わたしは孤独な星のように」個人的には、これがいちばん好きな作品でした。未来ものの王道みたいで。コロニーがあるという筒状云々の世界が、今一歩イメージできなくて、隔靴掻痒の感。たとえば、映画『インターステラー』で最後の方に出てくる筒状の世界(生還した主人公がベッドに寝ていて、外では野球の打球が飛んでいくやつです)なのか、あるいはラリー・ニーヴンの『リングワールド』風なのか。もちろんスケールがもっと小さいというのは分かっています。形状がもやっとしていて落ち着きません。

P.185
 わたしが住むコロニー〈オールドイングランド〉は細長い、鉛筆みたいな形をしている。シリンダー型と言われる古いタイプだ。六枚のパネルで構成された筒が二重になっていて、二つの筒が反対方向に回ることによって偏心や歪みを相殺する。パネルは交互に空と陸に割り振られている。空といっても、空に見えるスクリーン状の太陽光パネル。(以下略)

P.197
 わたしたちはコロニーの終端につく。
 目の前に直径約十六キロメートルの採光パネル、コロニーの端がそびえ立っている。巨大な円盤はあまりに大きくて、あまりに当たり前に存在していて、それを頭がなかなか認識しない。見上げると、円盤の対岸は空気のレイヤーにさえぎられ、遠く霞んでいる。たぶん、わたしが一生で見る中で一番大きなものだ。

 ◆ ◆

【ゲンロン 大森望 SF創作講座】について
巻末の初出一覧に書かれていたので検索してみると、びっくり。存じませんでした。

超・SF作家育成サイト
ゲンロン 大森望SF創作講座 第8期

として、現在も継続しています。リンク、こちら 

で、これも驚いたのが、本書掲載作品の「わたしは孤独な星のように」などが無料で読めてしまうこと。ちなみに池澤春菜名義ではなく、ペンネーム柿村イサナです。初出がゲンロンの作品は読めました。たとえば、《 あのおとのようにそっと ゲンロン 》で検索すると、「あのおとのようにそっと(改題:銀の滴降る降る砂漠に)柿村イサナ」という具合にヒットしました。

 ◆ ◆

【独特のオノマトペ】

P.171
やっぱりバッグをクロークに預けるべきか、と思案している中に、スコーニアンがぬるっと近づいてきた。

ほかにもいろいろありましたが、ぬるっと近づいてきた のは新鮮でした。

 ◆ ◆

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いつもの蛇足、【重箱の隅つつくの助】

P.010
「従業員たちは言葉も交わさず、目線も合わさず、まるで繰り返し練習した振り付けのように完璧に連携していた。(以下略)

ここは 目線 ではなく、視線 を使ってほしかったなあ。古くさいかもしれないけれど。せっかくの 視線 (という言葉)が滅んでしまいかねない。

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2024年10・11・12月期のシーズンに入って10月月末の今朝、40ポイントの花が咲きました。

花の種類は ヤマブキ です。

今月に入って、例のポイントが保存されずに、次回開いてみると減っている現象が起きています。よりによって、せっかく咲いた40ポイントの花が消えていないことを願っています。

なんだかなあ。