GO秋葉(1年2ヶ月ぶり)

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自鯖機も安定稼働中だし、PC類も取り立ててトラブルもなく、秋葉原からすっかり足が遠のいておりました。

久々に出向いた平日の自作通りは寂しいものがあります。サイト Dynaの秋葉原ジャンクパラダイス秋葉レポート を参考にしていた日々が懐かしいくらいです。

とりあえず自作通りを奥まで行って、アールガーデンで折り返してきます。どこへ入っても、あまり面白くありません。

ジャンクノートを超高速で漁っているマニアの手つきは、かつて輸入版屋でLPをめくっていた技と匹敵しますね。ノートPCをいじり出すと、面白いのでしょうね。とても今から手を出そうとは思い切れません。

結局、朝風二号館ビルにある じゃんぱらD-Style秋葉店 が中古の点数はそろっていた気がしました。ここって、以前にはソフマップだったよね。PDAとかマザーボードとか中古品を買った記憶があります。

駅前のヨドバシへ入ってみても、大したものもなく、本日は終了。Xiaomiのタブレットの展示品があったので、質問すると、一生懸命スマホで調べだしました。アプリを2画面で表示させると、どのくらいモッサリなのか見たかったのでした。

すると、たまたま隣で見ていたお姉さん、するするっと2画面にしてくれて、おまけにメモアプリに手書きで入力操作デモまでやってくれたのでした。あ然ですよ! 検索のため、一生懸命スマホ操作に打ち込んでいる店員さんは、気づいていませんでした。

 ◆ ◆

道中、ガード下にさしかかるあたりまで来たところで、大通りにいるインバウンド客の群れに耐えかねて路地裏へ入りました。すると、あな懐かしや。対話のある自動販売機店 木倉食品 の前に出ました。雪駄履きのおじさんはお元気でしょうか。このお店、禁煙してから、とんとご無沙汰してました。

【トラブルの経緯と顛末】
2025年3月6日23時ころから光回線が切れました。インターネットと光電話(固定)がつながりません。NTT通信機器(ONU・ルータ)の電源オフオンを試しても改善はない。Wi-Fiだけでなく、有線LAN接続のPCもダメ。

我が家のインターネット歴は前世紀からなので、30年ちかくになります。こんなトラブルは何度もありました。さてどうしようか。

翌朝、でかける用事があるので、このときにはNTTへの連絡はしませんでした。深夜12時近くですから。

早朝の用事を済ませて、すぐに帰宅。3月7日am11時、固定の光電話は不通なので、スマホからNTTへ連絡する。113へ掛けると「お助けロボット」なるサイトへ誘導するURLを載せたメールが届く。そのサイトで最後まで進んでも解決せず。最終画面にあった連絡先へ電話する。ケータイから151 スキップ7-3-2

15分くらい待ってオペレーターとつながる。指示に従って操作する。

NTT通信機器(ONU・ルータ)PR-400MI のランプ確認をする。有線LAN接続のPCをサスペンドにし、無線LANルーター(我が家はバッファロー製)のプラグを抜いて、再起動をかける。復旧しない。

最後にプロバイダー(我が家はOCN)の書類を手元で確認後にPR-400MIの初期化を実行する。復旧しない。

故障担当に代わるので、そのまま待ってほしいとのこと。こりゃ、PR-400MIの交換かな。

故障担当者とスマホからお話する。こちらの生年月日、郵便番号・住所等を聞かれる。

しばらくして、言われたのは、こちらの機器による故障ではない。現在住んでいるこの地域で切れているので、NTTの故障であるとのこと。またかあ!

数年前の大晦日から新年にかけて、回線が切れたときも、やっぱり同じことを言われました。リンク、こちら  2018年12月31日明け方から2019年1月1日のことでした。

担当者が言うには、(前のときと同じで)いつ復旧するかは言えない。復旧したら連絡をくれるとのこと。

復旧後、光電話はそのまま使えるが、インターネットへは自分でOCNの設定をやらなくてはならないとのこと。自分で以前にまとめた過去の手順を発掘しました。

ここまでで、結局小一時間かかり、12時くらいに終えました。

3月7日15時過ぎくらいだったかな、光電話が復旧しました。そこでプロバイダーのOCN設定を済ませて待っていると、15時半くらいにはネット接続が復旧しました。その後、16時過ぎにショートメールで復旧の連絡が来ました。やれやれ。

ここで疑問。昨夜23時くらいから、私が連絡した11時過ぎまで、わが住居エリアのフレッツ光ユーザーで、ほかに連絡した人はいなかったのでしょうか? 私が連絡しなければ、そのままズルズルと田舎地域の輪がエリアはいつまでも不通のままだったのでしょうか?

 ◆ ◆

【備忘録】
PR-400MIは初期化すると、最初に接続するときに求められるIDとパスワードまでもが初期化されていました。このことに最初のうちは気がつかなくて、そりゃもう、あせりまくりでした。

もしかすると、IDとパスワードまで初期化されたか? そりゃ、いったい何だったっけ?? ネット検索すると、デフォルトでは、user:userがヒット。半信半疑で入れてみると、みごと設定画面が開きました。びっくりです。さっそくオリジナルに変更せねば。

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[NO.1656] おきざりにした悲しみは

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おきざりにした悲しみは
原田宗典
岩波書店
2024年11月08日 第1刷発行
271頁

読み出すと面白くてやめらず、年甲斐もなく一気読みしました。深夜2時過ぎに読了。そのおかげで、頼まれていた朝のゴミ出しを遅刻です。あわてて外に飛び出してみると、ウチのゴミ集積場はすでに終わってました。収集車は次のところで作業中です。

ホント、人生で初めてですよ、ゴミ出し袋をにぎって走りました。まるでマンガのサザエさんみたい。ご近所さんは見てただろうな。

 ◆  ◆

本作はエンタテインメントの王道をいってます。そのセオリーを踏まえていて、作者からのサービス満載。十分に楽しめました。これは、それだけでもういいんじゃないかな、あれこれいわなくても。この先、続編があるわけじゃなし。(まさか、出ないですよね?)

 ◆ ◆

それで、あえて書名について。

原田宗典さんと同じ65歳の主人公にとって、吉田拓郎の歌は身近なものだったでしょう。おじさん読者にはたまりませんでした。この歌の作詞は岡本おさみさんですがね。1972年当時聞いたときには、なんだか気恥ずかしく感じたものです。いかにも歌の文句だよね。大仰な表現というかステロタイプな文言。

「まつりごとなど、もう問わないさ」って「傘がない」じゃないかとか、「あいつが死んだときも、おいらは飲んだくれてた」ときてはまるで演歌だよ、とかね。「落陽」とか「襟裳岬」も演歌っぽかったな。拓郎が自分で書いた詞のほうがカラッとしていて、個人的には好きでした。

可笑しかったのは、出版社サイトに原田宗典さんがカラオケで「おきざりにした悲しみは」を歌う姿がアップしてあったことです。あの天下の『岩波書店』ですからねえ。リンク、こちら 

原田宗典さんには1980年代からのファンです。余計なお世話だと言われるでしょうが、メディアで妹さんの名前を目にするたび、いつも案じておりました。そんな古くからの読者の感想です。Tシャツ一枚でマイクを握る姿には、(失礼かとは思いますが)なにか違和感を覚えてしまいました。恥ずかしながら、やっぱり恥ずかしかったとでもいったらいいのか。

ここはひとつ、「一本刀土俵入り」みたいな(大衆)路線をねらってのことなんでしょうか。

 ◆ ◆

本書には、章立ての数字が本文中に振られていても、目次(というもの)がなかったので、備忘録・メモをとってみました。

1 P.005
  2023年8月1日 職場で主人公長坂誠、ケガをする。救急車で近所の病院へ。
  手当後、その日のうちに帰宅する。

2 P.015
  8月1日 病院から自宅に着く。
  小平市の外れに位置する古い安アパートさくら荘21号室。最寄り駅武蔵小金井
  大家、桜木浩一、五十がらみ
  23号室の子ども生方真子が洗濯機の給水ホースから水を盗もうとしていることに気づき、分け与える。

3 P.023
  8月2日 さくら荘
  早朝、起床後にコンビニで朝食を買う。親切心から生方真子と圭の兄妹分も購入、差し入れする。
  その後、出勤。帰宅後、夕食にカレーを作る。真子・圭の分も作り、自室へ招待する。
  兄妹はそのまま自室21号室に泊まった。

4 P.041
  真子・圭の母親生方恵、八王子市、東原総合病院で眠り続けている。
  それまでの経緯の説明がはいる。
  経済的に困って、7月11日以前から知り合いのヤマモトに連絡を取りホテルへ。
  ヤマモトにホテルの部屋で睡眠薬を盛られ、生方恵は昏睡状態に陥る。
  翌7月12日正午頃に発見され、救急車で病院へ。そのまま入院した。

5 P.053
  8月3日(3からの続き、翌朝)さくら荘21号室 
  子どもたち(真子・圭)と手作りの朝食。そのまま自室の21号室にいていいと告げ、自分は出勤する。

6 P.061
  8月3日夜 さくら荘21号室
  長坂誠帰宅。真子が盗んだ無人販売所の餃子代金を支払に行く。

7 P.075
  大阪
  8月1日 長坂誠の父親仁義特養内で死亡 90歳
       2人目妻咲子75歳が看取った。その後、火葬する。
  8月4日(金) 長坂誠の妹みどり宛に咲子、死亡の手紙を投函する。

8 P.079
  8月6日(日)朝 さくら荘自室21号室 
  真子、歌をYouTubeにアップする。伴い背景づくりのために圭、襖に王羲之の漢詩を書く。

9 P.089
  8月7日(月)昼休みに職場で長坂誠、咲子からの手紙を受け取った妹みどりからラインをもらう。折り返し電話をかけ、父親仁義の死亡を知り、遺骨の受け取りに向けて段取りを考える。
  長坂誠、夜帰宅後に真子・圭に実父仁義の死亡と明日から遺骨を受け取りに出向くことを伝える。

10 P.107
  長坂誠の回想 世紀末2000年12月 中野区の犬俣秀一宅に居候の時代。
  12月13日早朝 長坂誠、元妻初美が死んだことを犬俣から告げられる。
  居候をやめ、荷物をまとめて引き払う。

11 P.125
  8月8日(火)長坂誠 大阪咲子の家で父の遺骨を受け取り、岡山の実家へ帰省する。妹みどりと母の住む市営住宅で一泊する。

12 P.133
  長坂誠の回想 10の続き
  2000年12月27日 東京から大阪の父の所有するアパートへ。
  エロ・スペインなる店に就職し、まじめに勤める。
  2002年6月7日長坂誠薬物所持で逮捕される。44歳

13 P.155
  8月9日 父の遺骨を置いて、岡山の実家から東京へ向かう。

14 P.159
  8月9日長坂誠 さくら荘21号室へ戻る。
  ひとりで新宿トー横へライブに行った真子を追って、長坂誠あわててでかける。ライブ盛況、かつて世話になった顔役の鳥取山登るに出会り、トラブルとなる。
  長坂誠・真子、さくら荘へ戻って、子どもたちの誕生会をする。

15 P.183
  8月10日 さくら荘大家の桜木浩一、誤解をして小平警察署へ出向く。

16 P.191
  8月10日
  真子・圭の母親生方恵、八王子の病院で昏睡からやっと目覚める。意識はまだ戻らず。

17 P.195
  8月11日山の日 早朝、勇み足により、さくら荘21号室へガサ入れ。長坂誠警察署へ連行される。

18 P.205
  中国広東省東莞市
  大富豪の王中毅(おうちゅうき)80歳 秀でた占い師
  その孫 王水理(すいり)YouTubeから8でアップされた真子の歌を見つけ、背景にある圭が書いた王羲之の漢詩に注目する。祖父の王中毅に報告する。
  王中毅、圭のすぐれた資質を見抜く。すぐに圭を保護し、書を襖ごと(アパートの建物も)買い取ることを指示する。

19 P.215
  8月11日午前 警察署 誤解をうけ連行された長坂誠、取り調べを受ける。

  P.223
  真子・圭、小平市内の養護施設に保護される。

20 P.229
  8月11日午後 長坂誠の友人で弁護士の城正邦彦が面会にくる。
  YouTubeにアップした真子の歌の再生回数が増えていることを教える。
  (友人の)米原が見つけてな、連絡くれたんじゃ。米原が拡散したんじゃろ。

21 P.237
  8月11日 真子・圭、養護施設に泊まる。
  8月12日朝 施設の所長から母親が見つかったことを知らされ、一緒に八王子の病院へ向かう。
  病室では八王子署刑事たちが母の生方恵に容疑者写真を見せ、犯人ヤマモトを特定する。

22 P.243
  8月12日 警察署から長坂誠、解放される。友人で弁護士の城正の車でさくら荘へ帰る。
  真子から電話が入り、母が見つかったことを知らされる。
  王中毅の手配により、林真一が21号室を訪れ、圭の書がある襖を400万円で買い取った。

23 P.259
  8月19日 お茶の水の楽器店で長坂誠、中古ギターを買い、母親から貰った23000円で支払う。
  真子から電話が入り、母が退院した知らせを受ける。
  長坂誠、さくら荘に戻り、23号室で生方恵・真子・圭の3人と会う。
  林真一に圭の書を売ったことを伝え、代金400万円を渡す。圭は受け取らず、みんなで分けることに。

24 P269
  8月19日 23の続き
  長坂誠、さくら荘21号室に戻って夕食のカレーを作る。合間に中古ギターで歌う。

 ◆ ◆

こんなもの見せられても、(まして読んでなければ余計に)なんのことやらわかるはずもありませんよね。

このメモをつくることで感じたのは、作者が事前に綿密な準備をしていたのだろうなということです。たとえばキャラクターの造型を考えたり、時間軸に沿って矛盾のないようにプロットを設定するとか、ストーリーはラストまで詰めた上で、それから執筆したのだろうなと感じました。どちらかというと、脚本づくりの手法です。あらかじめ年表まで作ってあったという井上ひさしのやり方ですね。

 ◆ ◆

ネタばらしをすると、弁護士の友人城正邦彦は亡くなった写真家久山城正ですよね。本書の装丁をしている原研哉と装画の長岡毅が米原研一ですか。

 ◆ ◆

蛇足ながら、表紙イラストにあるギターを弾く後ろ姿は勘弁してほしかったな。いかにも座布団の上にあぐらをかいているみたい。これじゃ、「四畳半フォーク」じゃないかって、だからなんだよ、と言われそう。でも、やっぱりちょっとね。

ロジクール K380 のキーキャップは上からはずす

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タブレットにBluetoothで接続して使っているキーボード【ロジクール K380】のキーキャップのすき間に、おせんべいのつぶ状のゴミが入り込んだみたいです。キー《Oら》を押すと、違和感があって、うまく入力できません。

今から思えばエアダスターを吹き付ければよかったのに、「えいやっ!」とばかりにマイナスドライバーを差し込んでしまいました。

結果、どうなったか?

戻せなくなりました(笑)

ネット検索すれば、いくらでも多数出ていたんですね。 K380 のキーキャップは、絶対に下側から外してはいけません!

 K380 のキーキャップの形状が原因で、微細なプラスチック製バネまでくっついたまま外れてしまうのです。すると、このバネ状の部品をキーボード本体に戻して付けるのは至難の業が必要となるのでした。K380はパンタグラフ式のなかでも丁寧な作りです。

手順としては、まずキーキャップからバネ状部品を外します。そからキーキャップを付けるより先に、部品だけキーボード本体に付けてしまいます。バネ状部品は2つのパーツからできていて、この向きがポイント(裏表も含めて)。

作業しているキーの隣にあるキーキャップを外してみました。

実はキーキャップをボディーから外すときは、キーキャップの上側からドライバーを差し込むと、すんなりできるのでした。あろうことか、わたしは「下側」から外してしまったのですね。

上側からであれば、たしかに、すんなり成功です。バネ状部品がキーボード本体にくっ付いているのが見えます。

ルーペも併用しながら、細かくバネ部品の形状を比較検討します。すると、なんとなくプラスチック成形の様子まで見比べているうちに、少しずつ向きの判別が出来てきました。

もう、このあたりは念が通じたみたいな気分ですよ。

バネ状部品の仕組みも理解しながら、なんとか外れてしまったバネ状部品をキーボード本体に付ける作業がいちばん大変です。もう、試行錯誤の連続。いったいどれだけ繰り返したことか。

最後にやっと成功しました。やれやれです。

風呂上がり就寝前の時間、とんでもない目にあったものです。

上側からだと、簡単に外すことができますよ! 決して下側から外してはいけません!!

[NO.1655] 生きるための読書

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生きるための読書
津野海太郎
新潮社
2024年12月20日 発行
221頁

津野さん好きな読者としては、本書を読みながら楽しい読書時間を過ごしていたのですが、(途中から)入院のくだりを読んでしまうと痛々しくてつらくなってしまいました。そこから再度読み返したところ、最初に楽しく読んだとこまでもが(今度は)つらい読書に変質してしまい、なかなか先へ進みませんでした。気づくと感情移入してました。

初出はスタジオジブリの雑誌『熱風』2022年12月号~2023年11月号「もうじき死ぬ人」と題して連載したもの。ところが本にまとめる段階になって入院騒ぎが勃発したため、それから文章を書く作業ができなくなってしまい、なんとかまとめた本書の文章はなんだかゆらゆら揺れているみたいで、ますます志ん生の落語みたいな感じになっていました。

(P.196)「付記 階段からの転落とその後」では、「廃用症候群」としながらも「失語症状態」であるといいます。

文章を見ると、以前よりも、さらに漢字が減ってひらがなが増えた気がします。ますます自由です。たとえば、こんなぐあい。

P.196
〇もちろん、こうした状態で文章を書くのがしんどいのは事実です。ただし失語状態を強いられるのは、この「挨拶」の場合でいえば、「埼玉赤十字病院・埼玉メディカルセンター・リハビリ・脳卒中・失語症・廃用症候群......」といった名詞が多いのでね。これが同士や形容詞にまで広がったらお手上げだが、いまのところは、なんとかなりそう。
〇それよりも、むずかしいのは文章のリズムかな。せめて旧著『最後の読書』程度には大人っぽく仕上げたい。そう思ってはいても、あせったり、調子がよすぎたりで、はたして生きているうちにじぶんの頭脳を調整し、おだやかに書くことができるようになるのかどうか。まア、やれるだけやってみるしかないのでしょうがね。

せめて旧著『最後の読書』程度には大人っぽく仕上げたいというところで、ぐっと詰まってしまいました。こんな書き方をする津野さんは初めてです。

 ◆ ◆

【目次】

もうじき死ぬ人
1 老人でいるのに飽きたよ
2 だったら「お祭り読書」でもやってみるか

生きるための読書
3 もし目が見えなくなったら――伊藤亜紗
4 コモンと気候変動――斎藤幸平
5 数学芸人と幼い子の未来――森田真生
6 騙しながら助け合う――小川さやか
7 バカの壁の外へ――千葉雅也
8 「私」がいる文章の方へ――藤原辰史

静かなアナキズム
9 テロリズムの時代
10 よみがえるアナキズム
11 隠れアナキスト・鶴見俊輔
12 いきるための読書

付記 階段からの転落とその後
あとがき

 ◆ ◆

本書のメインは「生きるための読書」(3~8章)と「静かなアナキズム」(9~12章)でしょう。

スタジオジブリの『熱風』から新連載の原稿依頼を受けて、何を書くか考えた結果が「お祭り読書」だったのだそうです。

津野さんのいう「お祭り読書」とは「直接間接に関わる本を、ひとまず満足できるだけの量、むちゃくちゃに読む」のだそうです。それが「なにか新しい問題にぶつかるたびに」実践してきた津野さん流の対処の仕方だとのこと。

そこで、すぐに頭に浮かんだのが、伊藤亜紗さんの『目の見えない人は世界をどう見ているのか』から最近感銘を受けたこと。そをれをきっかけに、これまで敬遠していた若い研究者たちの本をポツポツと読むようになり、伊藤さんとおなじ年頃の「書く人」と「読む人」のあいだで、いつのまにか「生きるための読書」ともいうべき新しい読書週間が生まれつつあることに気づいた。
この発見が「アナキズム」という思想(媒介者は鶴見俊輔さん)を思い出す。

【津野さんの紹介している「若い研究者」とは】
〇伊藤亜紗(1979年生)『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(2015年刊・35歳)
〇斎藤幸平(1987年生)『人新世の「資本論」』(2020年刊・30歳)
〇森田真生(1985年生)『数学する身体』(2015年刊・30歳)
〇小川さやか(1978年生)『チョンキンマンションのボスは知っている』(2019年刊・41歳)
〇千葉雅也(1978年生)『勉強の哲学』(2017年刊・38歳)
〇藤原辰史(1976年生)『歴史の屑拾い』(2022年刊・45歳)

この6人(の著書)を順繰りに読んだ「個人的な勉強ノートのようなもの」が第3章~第8章までの「生きるための読書」です。内容は6人について、それぞれひとつの章を立てて説明します。本書の特徴として、津野さんがどのように彼らの著書と出会い、どう考えたか、その結果としてどんな方向へと興味や考えが向かっていく(いった)のか、丁寧にその過程をなぞるように記述してくれます。

【追加の本】
上記【津野さんの紹介している「若い研究者」とは】で紹介している以外の書名を列記します。上で紹介している書名は、それぞれの著者で最初に津野さんが読んだ本なのだそうです。

〇伊藤亜紗『記憶する体』
〇斎藤幸平『未来への分岐/資本主義の終わりか、人間の終焉か』
 『歴史の話』(網野善彦・鶴見俊輔、朝日選書、2004年)
〇森田真生 YouTube「数学とは?」『僕たちはどう生きるか』(集英社、2021年)
〇小川さやか『「その日暮らし」の人類学』(光文社新書、2016年)
〇千葉雅也『現代思想入門』(講談社現代新書、2022年)
〇藤原辰史『ナチスのキッチン』(吉川弘文館)、『稲の大東亜共栄圏』(吉川弘文館)、『分解の哲学』(青土社)

彼らに共通するのは何か? 津野さんはこう説明します。

P.111
本も読むが、それぞれに固有のやり方で、じつによく動く。のみならず、東大や京大で専門教育を受けた「物を知っている人間」でありながら、なおかつ「物を知らない人間」への「やさしさ」も捨てない。
 ――ここにいたって、この国の知識人の気風がやっと変わりはじめたみたい。そう私には感じられるのだが、いかがなものですかな――と、若い方々はともあれ、まずは長い戦後をともに生きてきた同輩のご老人諸氏にそうたずねてみたい。その上で、とうに過ぎ去った「私たちの時代」を再考してみる。そういう楽しみ方もあるんじゃないかしら。

津野海太郎さんの文章はやっぱりうまいな! と思わされるのは次のようなところです。

P.101
 ただし養老も千葉も東大での秀才なので、その名うての秀才が「自分の内なるバカ」にういて率直に語るのと、たとえば私大出の鈍才(たとえば私)がおなじことをやるのとでは、どうしても、ちがう感じになってしまう。後者に比べると、前者の「バカ」には知的(ときに権威主義的)なゆとりある。

〈たとえば私大出の鈍才(たとえば私)〉なんてフレーズ、まるで落語です。(あるいは今風でいえば、漫才の台本か)。

そのしばらく後で、かつての演劇青年だった津野さんが風呂敷を広げたところ

P.106
 ここまでやさしく説明してもらえれば、私の若年期にも、これに通じる「現代」があったことに気づく。
 たとえば、この(ドゥルーズの哲学の)「二項対立の脱構築」という定義に接して、私は大戦末期の日本で花田清輝が構想していた「二つの中心を持つ楕円」のイメージを思い出した。「一点を黙殺し、他の一点を中心として颯爽と円を描く」よりも、「矛盾しているにも拘わらず調和している、〔二つの中心を持つ〕楕円の複雑な調和のほうが、我々にとっては、いっそう、うつくしい筈ではなかろうか」という「楕円幻想」(『復興期の精神』一九四六年の一節――。
 戦後、この楕円幻想は「前近代を否定的媒体として近代を超える」という主張に転じて花田たちの芸術運動(記録芸術運動などの建築にはじまる一九八〇年代のポストモダン運動の先駆)をささえた。ほかにも鶴見俊輔の「マチガイ主義」(『アメリカ哲学』)や、堀田善衛の「第三の道」(『広場の孤独』)など、「二項対立の脱構築」に通じる思想的な試みは、この時期にも、さまざまなかたちで存在していたのです。おかげで、この時期に十年ほど遅れて大学にはいった私も、かれらの試みから、じぶんなりに「秩序からズレる」しかたを学ぶことになった。
 また「差異=秩序からのズレ」という点では、大戦後、日本をふくむ世界各地の演劇界に広まったドイツの劇作・演出家、ベルトルト・ブレヒトの「異化」の演劇論も同様――。
 この論で、ブレヒトはアリストテレスの「悲劇論」以来の「感情移入=同化」を重視する伝統的演劇の「秩序」を廃し、感情移入に頼らないドライな「異化」の演劇を提唱した。そこでは「それまで当然と目されていたこと」をひっくり返し、(略)

1960年代演劇青年の面目躍如といった感じ。なにしろアングラ劇ですからねえ。

 ◆ ◆

第9章~12章までの「静かなアナキズム」では、鶴見俊輔さんを紹介しながら、なぜ今、アナキズムなのかを説明します。

あくまでも津野さんの個人的な体験にもとづき、ブレイディみかこさんの著作との出会いから説き始めます。

『アナキズム・イン・ザ・UK――壊れた英国とパンク保育士奮闘記』(Ele-king books、2013年刊)
『他者の靴を履く――アナーキック・エンパシーのすすめ』(文藝春秋、2021年刊)

つづけて、他の著者へ

文化人類学者・松村圭一郎『くらしのアナキズム』(ミシマ社、2021年)
栗原康『アナキズム――一丸となってバラバラに生きろ』(岩波新書、2018年)
森政稔『アナーキズム――政治思想史的考察』(作品社、2023年)

デヴィッド・グレーバー『アナーキスト人類学のための断章』(以文社、2006年)
同『ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論』(岩波書店、2020年)

ジェームズ・C・スコット『実践 日々のアナキズム』(岩波書店、2017年)

マルセル・モース『贈与論』(1925年刊)

モースの理論は「他の人類学者たちを束にしたよりもアナーキストたちに影響力を持つことになった」とグレーバーに言わせたほど重要であると津野さんは書いています。(P.147)「なかんずく一九二五年刊行の『贈与論』――。」

ブレイディみかこ『労働者階級の反乱』と並べて紹介するのが、頭木弘樹『絶望読書』。この取り合わせ、妙な味があります。両者とも読んだことありますが、この二人を並べるというのは意表を突かれました。


津野さんが取り上げた鶴見俊輔の「小さな日常」とこれまで紹介してきた(ミレニアム世代の)若い人たちとが、つながるのではないか、という津野さん流の論理構築が、どうもうまくここで説明できそうにありません。そんなにむずかしいことは言ってないのですがね。

書店にのっぺり並んでいる自己啓発本とは対極にあるような津野さんのうねるような文体にやられてしまったようです。(そと海の漁場に着いて)エンジンを切った釣り船がうねる波に揺られはじめ、なぜかそこに寝不足で乗っている自分は、ひどい船酔いに襲われるとでもいうような気分。目が回ります。

『本の雑誌』で連載がはじまってよろこんでいた「続・百歳までの読書術」で目にした文体に、なんだかますます前よりもみがきがかかってきているぞと思っていました。それが今度はねじれてきていても、それをそのままどうぞと提示してしまう「私小説」のような津野さんのお仕事。たとえば

P.220
 今年の五月七日に退院してから早くも六か月がたった。その間、浦和の街の外に出たのは辻山さんの「Title」を訪ねた一回と、ほかには、この本を編集してくれた新潮社の須貝利恵子さんと、次の本を準備してくれている宮田さんが、わが家を何度か訪ねてくれただけ。

この文章の2番目の文。主述の呼応がわかりません。「浦和の街の外に出たのは」が主部だとして、述部がつながらないのです。日本語として、文脈が乱れています。それをわかっていて、(あえて)ここに載せたのでしょうかねえ。

 ◆ ◆

「アナルコ・サンディカリズム」を説明するところ(P.134~135)なんて、池上彰さんも顔負けですよね。

あるいは、(P.139~)1881年サンクトペテルブルクでのナロードニキ(人民の意志派)によるアレクサンドル二世の暗殺から現代の無差別テロまでを説明したところ。日本赤軍派のテルアビブ空港乱射事件などを交えながら手際よくまとめて説明してくれます。

 ◆ ◆

突然ですが、津野海太郎さんのこれまでの活動歴紹介。(P.184)
〇本や雑誌の編集(新日本文学・晶文社)
〇演劇(六月劇場・黒テント)
〇大戦後の日本人が敬遠していた東南アジアの音楽や演劇との接触(水牛楽団・水牛通信)
〇まだ先がまったく見えなかったデジタル文化への積極的な関与(『季刊・本とコンピュータ』)

こうしてみると、個人的な体験でいえば、津野海太郎さんに初めて興味をもったのは、『季刊・本とコンピュータ』ですから、いちばん最後の活動ということになりそうです。ソノシート付きの晶文社刊行『ジャニス ブルースに死す』は好きでしたが、そこから津野海太郎さんには(当時)たどりつけませんでした。