| マリア・テレジアとヴィクトリア/二大女帝の国家運営手腕/朝日選書 関田淳子 朝日新聞出版 2026年08月25日 第1刷発行 285+9頁 |
「二大女帝の国家運営手腕」なるサブタイトルからは、今時の流行りものめいたビジネス書と混同されてしまいそうだが、こちらとしてはそうした興味はさらさらない。
数多出版されたヨーロッパ史を扱った歴史書とは毛色の違った切り口で読ませてくれやしないかと期待したのが手にした理由。その線に沿って読んだ限りの感想でありますが、おもしろく読めました。
二人の生没年を並べてみると
マリア・テレジア 1717年~1780年
ヴィクトリア 1819年~1901年
とだいぶ時代に違いがある。では、その共通項は? そこで忘れてしまわないでくださいというのが、スペイン・ハプスブルグ帝国の存在でした。大英帝国よりも前に「太陽の沈まぬ帝国」と呼ばれたのがスペイン・ハプスブルグ帝国でした。
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目次 まえがき 3 第一章 女帝マリア・テレジアとその時代 7 第二章 ヴィクトリア女王とその時代 97 第三章 二大王家の財源 197 第四章 二大女帝の実像 233 あとがき 283 |
口絵代わりに載っている巻頭2枚の地図がいい。
「18世紀中頃のヨーロッパ」には神聖ローマ帝国の境界(線)とオーストリア・ハプスブルク家領(グレーの塗りつぶし)
「19世紀後半の大英帝国」には、世界地図に大英帝国領がグレーの塗りつぶし
「19世紀後半の大英帝国」のわかりやすさと「18世紀中頃のヨーロッパ」のわかりにくさをどう解きほぐすかが、こちらの目的なので、あながち「二大女帝の国家運営手腕」という視点からの本書、おおきな支障はなかったかと。
政略結婚が共通。マリア・テレジア自分自身と四女のみが恋愛結婚だったという。
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裏表紙の概略文章は、あちこちのネット上にある本書紹介で読むことができるので、「あとがき」から抜粋を。
P.3
歴史上で「太陽の沈まぬ帝国」と称された二つの帝国、ハプスブルク帝国と大英帝国。ハプスブルク家は十三世紀から二十世紀までの六四五年という長期政権を維持した、ヨーロッパ最大の王朝。「太陽の沈まぬ帝国」と称された一つは正確にはスペイン・ハプスブルク帝国であるが、スペイン・ハプスブルク家消滅後もオーストリア・ハプスブルク家は長く存在した。オーストリア・ハプスブルク帝国の女帝マリア・テレジア(生没年:一七一七~八〇)は同家唯一人の女帝で、十八世紀、危機に瀕したハプスブルク帝国を死守した女帝である。
もう一方の大英帝国は、その全盛期に全世界の陸地と人口の約四分の一を図版に収め、世界史上最大の領土面積を誇った超大国。女王(女帝)ヴィクトリア(生没年:一八一九~一九〇一)は、産業革命後のイギリスの平和(パックス=ブリタニカ)のもと、圧倒的な工業力と軍事力を背景に一大植民地帝国を築き上げ、大英帝国を打ち立てたドイツ人のイギリス女王である。
(途中略)
ハプスブルク帝家とイギリス王家、この両家には歴史的にも大きな相違がある。ハプスブルク家は十三世紀以来、同じ一族によって統治され、六四五年間もヨーロッパ史に輝いた一方で、イギリス王家はイギリス以外の多くの「輸入王家」による血で血を洗う戦いによって王位が継承され、今日に至る。
(途中略)
「守りの女帝」マリア・テレジアと、「攻めの女帝」ヴィクトリアという対照的な二人の女帝。二人が生きた時代は異なるものの、その統治法や政策、外交方針などは、不透明な世界情勢のなかに生きる現代人に、なんらかの示唆やメッセージを伝えているようだ。
「ドイツ人のイギリス女王」というが、マリー・アントワネットの名を出すまでもなく、マリア・テレジアは多くの国々へ娘を嫁がせたのだから、政略結婚であることには違いがない。
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