| Tシャツの日本史 高畑鍬名 中央公論新社 2025年08月25日 初版発行 253頁 |
『モードの体系』(ロラン・バルト著/佐藤信夫訳/みすず書房)なる本があります。1970年代に学生時代を過ごした身には、なつかしい構造主義・記号論の一冊。本書『Tシャツの日本史』を読みながら、その『モードの体系』を思い浮かべていました。(「あとがき」にロラン・バルトの名前が出てきたときには、ああやっぱりと思ったものです。なにがやっぱりなんだ! とつっこみが入りそうですが。)
今年の10月ころ、武田砂鉄さんのラジオ番組にゲスト出演していたのが著者高畑鍬名さんでした。本書『Tシャツの日本史』の説明を聞き、その面白さについ引き込まれました。
あちこちの書評で取り上げられ、高畑鍬名さんの目のつけどころは記事にされていましたので、ここではちょっとほかのところを記すことに。もっとも、本書が売れた大きな理由は目のつけどころ(シャツのすそを入れるか出すか)のユニークなところだったので、そこをはずしてどうするんだ? なのかもしれません。
(1)本書の前半(まるまる半分)をつかっての歴史的な変遷はまるで学術書であるかのよう。
著者高畑さんが学生時代にゼミで発表した「シャツのすそを入れるか出すか」がきっかけとなり、それが大学院での研修士論文へつながったのだといいます。それを知ると、1913年などという年号まで持ち出し、Tシャツの歴史概観から書き起こされる本書の構成になるほど納得でした。文中にはじつに多岐にわたる書籍の紹介があるのも同じ理由なのでしょう。細かなフォントがびっしり詰め込まれた巻末の参考文献が6ページあります。これに脚注をつけたなら、もう立派な論文ですね。
橋本治さんの著書を援用しているところにうれしくなってしまいました。
(2)著者初の本だそうですが、そもそも文章が読ませる。「おわりに」などは、立派な私小説です。
P.242
おわりにいいか、研究者の態度には二種類あるんだ。
とあるゼミの納会、空っぽになったビールの中瓶をくるりと回し、彼はいう。
みんなの目がビール瓶のラベルに集まる。まず一つは、ほら、この形。よく見てください。ここ、と、ここ。なんだか気になりますよね。調べてみると戦前は......。と、まあこんな風にだな、瓶についての発見を語る。それが一つ目の研究者だ。もう一つは、その発見をした自分の凄さをアピールする態度だ。お前たちには、ビール瓶の魅力を伝える方になってほしい。
この言葉を胸に、修士論文を書きあげた。2014年のことである。
2004年、二十歳になる直前に、とある映画の撮影現場に衣装助手として参加した。大学にいかず、2ヶ月まるまる衣装について考えた。映画の脚本を読むことで、私は他者と出会った。
この世には服に興味のない人がいる。
そんな事実に直面したのである。
映画のスタイリストは「服に興味のない人物が着る服」を、脚本から逆算する。脚本に具体的な衣装が書き込まれることはまれなのだ。その服に「何かある」ときにしか書き込まれない。
大学に戻り、加藤典洋氏のゼミに入った。
課題作品について毎週学生が発表する形でゼミは進む。衣装助手を経たことで、フィクションの読み方が変わっていた。物語の衣装には、作り手の意識と無意識が宿っている。スタイリストの役割を兼ねる小説家や漫画家の場合は、特にそうだ。衣装から様々な問題が浮かび上がってくる。
ゼミで最初に担当した課題が漫画『寄生獣』だったことで、私はTシャツの裾に出会った。ジーンズにTシャツの裾を思い切りインしている主人公は、歌手の尾崎豊を連想させる。すると、高校時代に友人が、一発芸で尾崎豊のモノマネをしていたことを思い出した。そのときだけ堂々とタックインする彼の凜々しさは、なぜ爆笑を引き起こしたのだろう。彼はTシャツの裾を入れて「十五の夜」を歌っただけなのだ。一つのファッションがダサすぎて笑える。これは一体なにごとだろう。なにかが変だ。漫画を読みながら、そんなことを思った。
『寄生獣』は1995年に完結している。ポイントは、同時期に連載していた他の漫画では、Tシャツの裾をとっくに出していることだ。『幽☆遊☆白書』のように、連載中に唐突にタックアウトする作品も数多く存在する。しかし『寄生獣』では、主人公は最後までタックインしているのである。厳密にいうと、最終巻で身を寄せる老婆の家にあったTシャツを着て彼女と買い出しに出かける時は裾を出している。しかし続く最終決戦では、いつものタックイン姿に戻るのである。これはずいぶん遅いのだ。だから同時代の作品と比べると、ファッションが突き抜けてダサく感じる。そう指摘した。加藤典洋氏は私の発表のあとに、「多田道太郎さんに見せたかった」とコメントをした。
翌週、『風俗学──路上の思考』という文庫本を手渡してくれた。
(以下略)
加藤典洋氏は私の発表のあとに、「多田道太郎さんに見せたかった」とコメントをした。ってとこ、カッコいい。
その発見をした自分の凄さをアピールする 研究者とは、鹿島茂さんいうところの「ドーダの人」ですかね。
映画の脚本を読むことで、私は他者と出会った。 他者と出会うって、かつてよく目にしたような。
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