[NO.1639] 日記から/50人、50の「その時」

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日記から/50人、50の「その時」
坪内祐三
本の雑誌社
2024年06月30日 初版第1刷発行
164頁
再読

結局のところ、坪内祐三という幻影に翻弄されて終わってしまったのかもしれません。それがちっとも嫌ではないところが、坪ちゃんの魅力。

(表も裏も)カバーいっぱいにひろがる直筆原稿に、まずやられました。そうかそうか、あの人はこんな文字を書いたのか! ところで、この原稿の内容は目次でいえば、どこのところに該当するんだろうか? 固有名詞を手掛かりに、目次と首っ引きでアタリを付けていきます。

さほど難しくもなく、本文のページで見つけることができて、なんとなく嬉しくなり、そんなことすらもが、楽しいのですよ。

この色具合だと、万年筆のインクは国産メーカーなのかな? とかね。

そんな外側のところでぐるぐると時間つぶし。

詰まるところ、さいごまで坪内祐三氏がどういった意図で「それぞれの回を連環的につなげていこうと考えた」のか、貫いている「テーマ」がはっきりしませんでした。もやもや。

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初出は毎週日曜の毎日新聞、2005年4月~2006年4月。20年も前に書かれたというのに、ちっとも「古くさいぞ!」とは思えません。

原稿用紙3枚という短い分量なのに、取り上げる人物は多士済々、その年もいたってまちまち。古いところで依田學海の明治22(1889)年から、新しくは山口瞳の昭和63(1989)年まで。ところが、通読していくと次第に見えてくるものがあるのです。

目次を見ないと、なにを言っているのかわかりにくそうです。出版社サイトに目次が用意されているので、目をとおせば一目瞭然です。リンク、こちら 

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五十回の連載で、登場させる人物を毎回変えるので、一人が一度しか取り上げることはない。

そのタイミングを選ぶのが腕の見せ所だ。
 それはまるで、パズルのようで、実際、最初の内はそのパズル(予定表)を作るのが大変だった。
 残り十数回となった所で完璧な表が出来上がった。
 ところが、(以下略)

と、あとがき「連載を終えて」にあります。「腕の見せ所」というところに、坪ちゃんの自信の程が覗いています。

取り上げた人物と日付、なによりも前後の関係。日付のもつ意味、考えます。

文学者については、なんとなくわからないこともないような、でも決定的なものに欠けます。もやっとした気分。

隣どうしの関係、せめてそのまた隣くらいまでなら、類推できそうなところもあるのですがねえ。「時代」「歴史」の遷移とか。

本書は、ある意図をもって日記から抜粋し、そこに坪内祐三氏さんが解説を加えている。いっそのこと、どなたか、本書の解説をやってくれませんかねえ。坪ちゃんが、ここでやっているみたいに。

たとえば最後の4日間だと
・野口冨士男の『わが荷風』からの引用で補足する荷風の最期。(その前は野口の回)
・添田知道の回の結びが「カーチス・ルメイが、戦後、航空自衛隊建設に貢献したという理由で勲一等旭日大綬章を贈られたのはよく知られた話である。」 いったいどれくらいの読者が「よく知って」いるだろう? カーチス・ルメイのこと、東京大空襲つながりで小林信彦さんが何度も書いていました。
・南方熊楠の回、「神社統廃合が損なったもの」。衆議院本会議での中村啓次郎による質問は、南方熊楠が起草したものだったという。
・樋口一葉の回、「文学青年から受けた刺激」。文学青年とは当時の第一高等中学の学生平田喜一(禿木とくぼく)が、彼よりも一つ年上だった一葉を訪ねたときのやりとりを指しています。

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浮谷東次郎がバイクを乗り回す様子に可笑しくなりました。一時、この人のブームがありました。そのきっかけが、同じようにやっぱりラジオ(DJ)の紹介だったのではなかったでしょうか。

遠藤周作の狐狸庵命名の起原が、東京オリンピックによる開発前の町田にあったこと、忘れていました。遠藤周作、北杜夫、佐藤愛子のユーモアなんてすっかり記憶の彼方なり。

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「本の雑誌」のXによれば、坪内さんが愛した日記をテーマにしたものなので、坪内さん自身の日記と並べられるようにデザインしました。とのこと。写真を見れば、一目瞭然。リンク、こちら 

・昼夜日記
・書中日記
・本日記
・三茶日記
これら4冊の隣に本書『日記から』を並べた姿に納得。下記画像は「本の雑誌」のXから

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やりますなあ、本の雑誌社。

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【重箱の隅つつくの助】
《初版発行: 1983年》なぜに?
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