[NO.1627] コラムニストになりたかった

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コラムニストになりたかった
中野翠
新潮社
2020年11月25日 発行
211頁

Amazonと新潮社のサイトに掲載された惹句を比べてみると、Amazonの「コラムニスト中野翠はどうやって誕生したのか? マスコミ志望者必読!」ってところにあざとさを感じます。新潮社の「就職に失敗した早稲田卒の女の子が名コラムニストに! 流行と文化と思い出のクロニクル。」の方が短い中に洗練された感じがしますが、就職に失敗したとはいえ、彼女はあくまでも「早稲田卒の女の子」ですからね、みたいなダメだしに思えてしまうのは、こちらのやっかみかしらね。

両方のサイトに共通しているのが「クロニクル」でした。なるほど、うまいこと銘々するものです。

1969年から1989年までは1年刻み、以降は10年刻みです。目次が新潮社サイトに掲載されています。リンク、こちら 

このページには泉麻人さんの書評なる一文があります。これが面白くて、読み直してしまいました。上手いです。「そうそう(コレは中野さんお得意の継ぎフレーズ)」というところでは、笑ってしまいました。ほかに、「彼女が自身のコラムニスト観のようなことを語っている箇所」として、2つ抜粋していて、それがこちらと同じだったので、ちょっとうれしくなりました。ああ、それより10歳も年長の中野さんのことを、あの泉さんは、こう書くんだ! となんだかちょっと。お二方の顔を思いうかべて、妄想。

クロニクルに登場する人名の多彩なこと。索引を作ったらおもしろそう。本書の特徴でもありますが、中野翠さんが体験した事柄に限られます。

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P175
ライターとしての自分のスタイル(について)

一九八五年に『サンデー毎日』の連載エッセイがスタートした頃から、私はライターとしての自分のスタイルについて、、一つのイメージ(願望)を持っていた。ひとことで言うと、できるだけ正体不明のライターでいたい。男とも女ともつかない文章を心がけ、プライベートな事柄は極力抑え、世の中やエンターテインメントについての文章を中心に書こう。

正体不明のライターでいようって。おもしろい。

P202
世間知らずのコンプレックス

 私は基本的に常識的な人間なので、それほど突飛な考えが浮かんでくるわけでもなく、文章も巧いわけではない。ごく普通の人間。それなのにライターになったのは、たぶん「世間知らずのコンプレックス」が、ちょっとばかり強かったせいだと思う。
 お嬢様育ちでもないというのに、なぜか私には「世間」というのが、よくわからないようなのだ(「社会」ではなく、あくまでも「世間」ね)。家を出て貧乏一人暮らしを初めてみても、世間というのが身にしみてわかった! という実感は持てなかった。どこかズレているというか、ぴったりとフィットできないというか。だからこそ、「世間」で展開されている、さまざまな事件やできごと――それが私には一番、面白く興味深く感じられるのだった(あたかも映画を観ているかのように)。どこか傍観者じみたところがあったりもする。
 ありがたいことに、私と同様の間隔の持ち主は、思いのほか多いようだ。性別や年齢に関係なく一定数存在しているようだ。

「あたかも映画を観ているかのよう」な傍観者。

P209
コラムニスト論考

あとがき
 肩書きは「コラムニスト」にしよう――と決めたのは、たぶん一九七〇年代後半か八〇年代に入ってからだったと思う。
 当時としては順当に「エッセイスト」と名乗るところを、あえてコラムニストにしたのには、わけがある。私が書くもの、書きたいものは、少しばかり時評的だったり批評的だったりする。エッセイストと名乗るにはシミジミ感は薄く、エレガンスにも欠ける。それで、ちょっと遠慮して(?)あえてコラムニストと名乗ることにしたのだった。
 その頃、コラムニストという肩書きを使っている人は珍しく、私の記憶に残っているのは青木雨彦さんくらい。一九三二年生まれの、いわゆる昭和ヒトケタ世代。雨彦さんと同年生まれで私がおおいに影響を受けた作家・小林信彦さんもクラムという言葉を早々と使っていたと思う(二人とも早稲田大学出身というのは偶然だろうか?)。

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P186
通る、通らないは、何に対して?

1990年代の記述のところで、「おたく」について書いています。そのなかで、おやっ? と思ったのが、「通る」という言葉が使われていました。ひっかかります。

(けれど、)執着の対象がアニメ(内容にもよるが)だのアイドルだのというのは、うーん、やっぱり子供じみていると感じてしまう。百歩譲って(?)、そういう時期もあってもいいけれど、中年オヤジになってもそういう世界にしがみついているというのは、ちょっと問題なのでは? そうこうことが通るのは、やっぱり日本という国の相対的豊かさ故なのかも――と思わずにいられない。

昔、聞いた言い回し、「そんなこと、通りゃしませんよ」とかね。たとえば、松竹映画『男はつらいよ』で、三﨑 千恵子さん演じる寅さんの「おばちゃん」が口にしていたせりふです。で、何に対して「通らない」のか、問われれば、そりゃ世間に対してとしか答えられません。「お天道様がみてますよ」ってところでしょうか。

別のことで、おやっと思ったのが、上記の抜粋のつづき、ファッションについてです。

P187
うーん、ひとのことは言えない。でも、「おたく」諸君に向かって、一つだけ言わせてほしい。「そのファッション、何とかしろー!」と。ファッションをバカにしてはいけない。着るものに神経を払うということは、他人を意識する、他人の存在を認めるということなのだから。お願いしますよ、ひとつ。

なーるほど、でした。コムデギャルソンがどうとか、まるで田中康夫ちゃんのデビュー作みたいな感じがする箇所に、違和感を憶えました。それには、こんな理由があったのですね。「ファッションをバカにしてはいけない。」