[NO.1608] 橋本治の古事記/シリーズ古典(7)

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橋本治の古事記/シリーズ古典(7)
橋本治
講談社
2001年12月25日 第1刷発行
260頁

数ある古事記の現代語訳のなかでも、お勧めです。大人が寝転んで読める古事記です。

子どものころに絵本だったか、紙芝居だったかで見た神話のいくつかをまとまった文章で読めたのはよい経験でした。なによりも、懐かしかったし。海彦山彦とかね。

国譲りの話など、うろ覚えで断片的だったところを、あらためて整理できました。他の話でも、もやもやしていたところが、すっきりしました。

ところどころで、妙な違和感を覚える部分がありましたが、おそらく原文にその元があって、それを丁寧に工夫して、「はい、どうぞ」と(現代語訳で)橋本治さんが提示してくれているのだろうなあ、と読みました。

たとえば、神話にありがちな矛盾したところに整合性をもたせたりとか。現代文学じゃないのですから、そういうのが本来の魅力なのですが。原文や他の現代語訳と比較してみたら、そのあたりの事情がはっきりしそうです。

古事記・日本書紀/日本古典文庫1
訳者 福永武彦
河出書房新社
昭和63年1月25日 新装版初版発行
平成元年11月15日 新装版3版発行

を以前、読みましたが、こちらの橋本治訳の方が好きです。

巻末の戸谷高明さんによる解説(全11ページ)がコンパクトにまとまっていて、参考になりました。学者らしい几帳面さと面白さがミックスされています。へーえと思ったのが古事記の作者太安万侶についてでした。

P251
しかし、『続日本紀』の記事と序の署名との比較から太安万侶なる人物の存在を疑問視する研究者もいました。ところが、昭和五十四(一九七九)年一月二十日、奈良市此瀬町(このせちょう)の茶畑から短冊形の銅板の墓誌と人骨が出土しました。その墓誌銘には、

左京四条四坊従四位下勲五等太朝臣安万侶(さきょうしじょうしぼうじゅしいげくんごとうおおのあそみやすまろ)以
癸亥年(みずのといのとし)七月六日卒之(しゆつす) 養老七年十二月十五日乙巳(きのとのみ)

とあって、この墓誌と遺骨が安万侶のものであることが判明し、謎の人物であった安万侶の実在が確認されました。

1979年に、そんなことがあったとは。太安万侶の墓誌が出土したというのには驚きました。

 ◆  ◆

本書は古事記全三巻のうち、上巻(かみつまき)のみの内容です。いわゆる神話にあたります。

P254
『古事記』上巻の神話と『日本書紀』(養老四年成立・三十巻)の巻第一・巻第二に書かれている神話とをあわせて記紀神話といいます。

だそうです。

本書の特徴のひとつが、神々の名前を片仮名で表記しているところです。

目次に巻末資料についてが略されていたので、加筆します。

目次

序 5
上の巻
一 神々の始まり 19
二 イザナキの命とイザナミの命 19
三 イザナミの命の死 27
四 黄泉の国 32
五 イザナキの命の禊 42
六 アマテラス大御神とスサノオの命 47
七 天の岩屋戸 59
八 スサノオの命の追放 73
九 八俣の大蛇 77
十 スサノオの命と出雲の国 86
十一 オオクニヌシの神と因幡の白うさぎ 90
十二 オオアナムヂの神の災難 98
十三 オオアナムヂの神とスサノオの命 108
十四 根の国からの脱出 121
十五 オオクニヌシの神とその妻たち 132
十六 オオクニヌシの神とスセリ姫の命 146
十七 オオクニヌシの神とスクナビコナの神 156
十八 アマテラス大御神のお考え 164
十九 アメノワカヒコと、その死 170
二十 タケミカヅチの神の使い 180
二十一 オオクニヌシの神の国譲り 191
二十二 ヒコホノニニギの命のご降臨 195
二十三 アメノウズメの命とサルタビコの命 200
二十四 ヒコホノニニギの命とコノハナサクヤ姫のご結婚 205
二十五 海サチビコと山サチビコ 212
二十六 ワタツミノイロコの宮とトヨタマ姫の命 218
二十七 塩盈珠と塩乾珠 227
二十八 ウカヤフキアエズの命のご誕生 235
二十九 ウカヤフキアエズの命と神武天皇のご出発 240

資料 高天原系の神々/天皇の系図 P246
   葦原の中つ国の神々     P247 ※3点とも系図
   この本に登場するおもな神々 P248・249
解説 戸谷高明(早稲田大学名誉教授)P250~260

[巻末]
本書は少年少女古典文学館1「古事記」(1993年小社刊)をもとに、再編集したものです。
なお、底本は新潮 日本古典集成『古事記』(新潮社)を基本とし、日本思想体系①『古事記』(岩波書店)ほか、適宜諸本を参照しました。

 ◆  ◆

読みながら、不思議に思ったことに地理上の距離がありました。古事記(の神話)の中に出てくる地名を現在の位置に置き換えてみます。すると、思った以上に広範囲なのです。(※「あくまでも個人の感想です」、という但し書きが付きそうですが)

たとえば、主要な地方は山陰・出雲地方(鳥取・島根)です。では天孫降臨で有名な宮崎はどうでしょう。徒歩や船での移動が主だった当時、出雲から宮崎への移動は、どれくらいの日数を要したのでしょうか。

あるいは国生みの淡路島や天照大神をまつる伊勢神宮。どうも、当時の距離感がイメージしにくくて仕方がありません。