百冊で耕す/〈自由に、なる〉ための読書術 近藤康太郎 CCCメディアハウス 2023年03月13日 初版発行 310頁 再読 |
週刊誌の書評で複数取り上げられていました。興味深い内容です。著者は朝日新聞編集委員でありながら、農業や狩猟をやりたいという理由から現在は天草支局長なんだそうです。ちなみに本書のサブタイトルは〈自由に、なる〉ための読書術 です。
本書の「はじめに」によれば、
P5
目指すのは百冊読書家だ。本は百冊あればいい。小さな本棚ひとつに収まる量。だれでも買える。百冊で耕す。カルティベートする。
だそうです。
ここで早とちりしてはいけないのが、百冊という単語。あくまでも「目指すの」が百冊なのです。ページをめくると、次のように書かれています。
P6
注意が必要なのは、「本は百冊読めばいい」ではないことだ。自分にとってのカノン(聖典)百冊を選ぶために、そう、一万冊ほどは、(読むのではなく)手に取らなくてはいけないかもしれない。
本書は、自力で百冊を選べるようになるための、その方法論のつもりで書いた。(以下略)
ちょっといたずらっ子のような感じを受けたのは、ちょうどこの部分が、次のページをめくらないと目にできないところでした。百冊を選ぶためには一万冊を手に取らなくてはならないとありますが、著者の本棚は、まだ一万冊だか二万冊だか、ゆとりがあるのだそうです。世の蔵書家のなかには、自宅と別に部屋を借りているのは当たり前だそうです。趣味で古書集めをしている人であっても、レンタルスペースと契約しているという話を聞きます。ああ。
◆ ◆
巻末の「引用・参考文献」がいい。埴谷雄高『死霊』の名を久しぶりに目にしました。
忘れていけないのが、その次に載っている「百冊選書」です。ちゃんと解説も交えてあります。ジャンルが4つに分けてあります。
海外文学
日本文学
社会科学・自然科学
詩集
なるほどなあ、と思ったのが「詩集」というジャンル分けをしていたところでした。そうですよねえ。本は資料ではない。電子データなんぞでは所持していることになりません。
P50
本は、読むだけではない。本は眺めるものだ。なで回すものだ。わたしは、それに生かされてきた。読んだ場所、読んだ時間、読んだ日差し、読んだ風の匂いを、五感を使って記憶に定着させる。
生きるとは、本といた季節の記憶。
うんうん、手触りや造本の様子で記憶に残っているものです。書棚のほとんど全部を処分してから二十年以上経つ身としては、ぐうの音もでません。レジ袋に突っ込んで、物置部屋のどこかに紛れている数々。笑うしかありません。
話は違いますが、巻末の方で書いてあって、詩を掌に入る大きさのカードにして、エレベーターの中とか会議中に見て、暗唱うんぬん。とても真似しようとは思えませんが、妙に記憶に残っています。そのうちに、実践してしまうかも。うーむ。困りました。文語詩でやってみたくなったりして。
◆ ◆
いちばんなるほどなあ、と思ったのが、図書館の使い方で、一年前の新聞書評から本を借りるというところでした。今現在の書評でとり上げられた本では、図書館でも人気が高くて、なかなか順番が回ってきません。けれども一年前に書評でとり上げられた本であれば、待ち時間もなく借りられます。一年間という時間を経て、冷静な目で読めるのだとも。
そうして速読した結果、お金を出して買う本を選ぶのだといいます。そして、そのなかから、されに精選されれば、百冊にエントリーされるかもしれないとも。ふう。
◆ ◆
何冊も紹介される、初読者への手引書(リスト本)があるので、困ったときに役に立つでしょう。本田靖春は50冊で特定ジャンルをおおまかに把握できるようになると紹介していました。ああ、そんなの、昔どこかで目にしました。こういうのは変わらないのかな。
コメント