[NO.1595] 西洋書物史への扉/岩波新書1963

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西洋書物史への扉/岩波新書1963
髙宮利行
岩波書店
2923年02月21日 第1刷発行
196頁+010頁
再読

本好きにとって、持っていても損のない一冊です。

著者は慶応大学からケンブリッジ大の博士課程に留学した経歴をお持ちの英文学の教授です。ちなみに専門は中世英文学と書物史だそうです。

岩波新書ですから専門書ではありません。それなのに巻末の参考文献が11ページもある詳細なものです。専門家が片手間に書いた種類の本ではありません。「西洋書物の歴史」について、少しでも多くの読者に知ってもらいたい、興味をもつきっかけを提供したいという強い熱意が感じられました。

本書の内容は、実に広範囲にわたります。くさび形文字の時代から現代の電子書籍まで、基本は時間軸に沿って著されています。ところが、こんなにも長い範囲の時代を扱っていながら、どの時代も読者がおもしろく読めるように工夫されています。

章立てはオーソドックスでありながら、それぞれの章内の項目の立て方がユニークで工夫されているのです。岩波書店のサイト内には、本書についての丁寧な紹介ページが用意されているので、ぜひご覧になることをお勧めします。詳細な「目次」が掲載されています。

ここでひとつ例を挙げれば、時代区分ごとに、広く浅くというのでは読者は飽きてしまいます。昔の大学の一般教養課程の教科書がひとつの例かもしれません。(そうではに例も、たくさんありましたが。)誠実でさえあれば良いとも言い切れません。「○○○概論」といったタイトルで、おもしろかった本を、いったいどれだけ思いつくことができるでしょうか。

そんなことを考えると、本書の『西洋書物史への扉』という書名は、とてもふさわしいものに思われてきます。「概論」でもなく「概説」でもありません。ましてや序説なんぞでもない。なにしろ新書ですから。

本書に取り上げられた事例は(なにしろ全編が具体的な事例の列挙なのです)、どれもこれもがユニークで目を引くものばかりです。けっして読者を飽きさせません。興味を引きつける宝庫といってもいいでしょう。P161 「人が読書するとき、手に持てる本の大きさ、重さには限度がある。わたしが今まで手にした本の中でもっとも大きく重かったのは、一九八〇年まではオクスフォード大学(以下略)」なんてところを目にしたら、ぜひ続きを読みたくなりますよ。ここの章タイトルは「大きな本と小さな本」です。

おそらくこれ(巧みに読者の気をそらさない上手な話術のような技術)は、大学の講義で培われたものではないでしょうか。極度に大衆化した大学生は私語を慎むことができません。ぜひ聴講してみたくなりました。

 ◆  ◆

本書の冒頭部分を紹介します。項目のタイトルは「二〇〇〇年近く前の文書板」です。

本文1ページ目で取り上げられたのは、2千年も前にイングランド北部に設けられたローマ軍の駐屯地で書かれた手紙です。

P1
クラウディア・セヴェーラから妹のレビディーナへ。
九月一一日はわたしの誕生日だから、ぜひわたしたちのところに来てね。一緒にいられればずっと楽しいからお宅のケリアーリスさんによろしくね、うちのアエリウスとおちびさんも、ご主人によろしくといっています。ごきげんよう、わたしの大事な妹よ。

この古代ローマ人の姉から妹に向けて書かれた手紙は、「木版に、ペンとインクを使って、ラテン語で書かれてい」たといいます。これらの記事の合間に掲載された写真に写っているのは「イギリスで出土したローマ人たちのスタイラス。青銅製で銀の象嵌が施されている」とあります。中には頭の部分に穴があいていて、ひもをとおして首から下げられる工夫がなされたものもあったのだとも。写真の3本とも美しい装飾が見てとれます。どれもがローマ貴族に似つかわしいものと感じられます。

スタイラスといえば、現代でも液晶画面にイラストを描くのに用いられます。先日、都内でJR中央線に乗ると、隣に座った若者がスタイラスを握って、タブレットにマンガを描いていました。筆記用具では、ほかにあの「鵞ペン」について記述されたいました。なるほどと思ったことに、ふわふわの羽の部分は取り除いてしまい、骨の部分だけを残して使ったといいます。P83

ペン先が減れば、ナイフで古くなった先を削り取って、新しくとがらせたのだそうです。動物の角を用いたというインク壷とインクについても、興味深い記述が見られました。

 ◆  ◆

そもそも本書を読んでみようと思った理由のひとつに、「音読、黙読」の章立てがあります。

P59 音読、朗読そして黙読
声に出して読むべからず/アウグスティヌスの読書/視覚と聴覚/写本室は黙読だったか/単語間のスペース/『家庭版シェイクスピア全集』/「publish」の意味

かつて話題になった『近代読者の誕生』(前田愛 著、岩波書店 刊)で、100年前の家庭では、読書といえば黙読ではなく音読するのが一般的だったと紹介しました。

そのことが、ここで取り上げられていたので、意外に思ったのでした。