青春とは、 姫野カオルコ 文藝春秋 2020年11月20日 第1刷発行 252頁 |
週刊誌の書評で見かけて、読んでみた。姫野カオルコさんの作品を読むのは初めて。姫野さんの最初の小説として本書に出会えたのは、よかったのかもしれない。なにしろおもしろかったし。読中も、読後も。
1958年生まれの著者が書く、高校生が主人公の話。著者と同じく高校入学が1974年(であってるかな)、場所も著者の育った滋賀県という設定。私小説ではないので、実際のところとは微妙に違っているのでしょうが、登場人物や出来事など、かなり実体験も溶け込ませてあるような気がする。モデルになった人たちが読むと、ピンときそう。テレビ朝日の番組に、「あいつ今なにしてる?」というのがあるが、それをみているような気分になった。この当時の固有名詞がいくつも出てきて、その都度、欄外に〈注〉を示して説明してあるのが目新しい。星加ルミコの『ミュージックライフ』なんて出てくる。ラジオに一緒に出ていた東郷かおる子は、その後どうしただろう。45年も前のことなのだから、当然といえば当然なのか。今の高校生にとっては、想像もつかないだろう。NHKの時代劇ドラマなどで、エンディングのクレジットのなかに、「時代考証」が表示されることがあるが、最近の朝ドラを見ていると、昭和初期あたりでも、それが出てきて驚くことがある。この小説は半世紀も前なのだから、そろそろ時代考証が必要となってもおかしくないのかもしれない。
そのころ流行っていた洋楽だのは、歌手や曲の名前を出せば説明もつくかもしれないが、当時の雰囲気や当たり前すぎて空気のような感覚は、なかなか描くことが難しいのではないか。それがはっきり思い出されて実感したことに驚いた。
P79
―――令和二年の現在とちがい、純日本的なテイストのものが野暮ったく見えた時代であった。豆絞りでも青海波(せいがいは)でも、手拭いを使う人は、虎高の周りにはいっぱいいた。ただし、みな老人だった。―――
これは下級生の男の子が、当時としては珍しく、首に手拭いを巻いて登場する場面の描写。今なら、「和モダン」として扱われそうな手拭いにまとわりついた「野暮ったさ」、年寄りくささ。ましてや田舎の高校生にとって、こんなものはなによりも嫌悪したい対象であったはずだ。
江戸時代以来の(染みついた)野暮ったい暮らしが、べたーっとした広がりとともに、蔓延して残っていたのを思い出した。
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高校生特有の感情を思い出させてくれるところが、いくつかの場面であった。タイトルにもある「青春とは、」とい問いの答え(のようなもの)は、小説の中に何度か出て来ている。うまいこと言うなあと思った。それもなかなかよかった。(あえて、書きたくない)。
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この小説をたんなる思い出話、回想記で終わりにさせていないのは、主人公の今が冒頭から丁寧に説明してあることが影響しているためだろう。話の途中でも現在の視点が挿入されていて、立体的になっている。コロナ禍の話題が出て来たときには驚いた。
退職まで長く続けた主人公の職業が、身体を動かすことにかかわることだったという設定は斬新だった。幼少時に預けられていたというエピソードのように、実体験が交えていただけに、あれこれ想像してしまった。
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書評のなかには、「なにも起きない」などと書かれていたものもあったけれど、十分に事件は起きていた。
ミッシェル・ポルナレフの京都会館コンサートのあたりから、駆け足になってしまったようだ。枚数制限など、あったのだろうか。子どもに厳しかった両親を音楽の先生に説得してもらい、その先生が運転するランクルで京都まで往復するところなど、可笑しかった。「トヨタ・ランドクルーザー40型」なる説明が気になり、ついGoogle検索で画像を確かめて、再度、笑ってしまった。のちにアフリカへ行ってしまった先輩が同じ車種に乗っていたのだ。谷川岳の帰りに細い道筋をむりやり運転させられ、怖かったことまで思い出した。「オレはもう運転できないぞ」と、助手席で缶ビールをあおりだした笑顔まで浮かんできた。ストーリーが詰まっていても、手際のよい文章なので、とんとん拍子に先へ進めた。なによりも、文章のリズムが心地よかった。
両親との関係など、シリアスなところが棘のように刺さりながらも、そのほかの大半の場面で終始笑わせてくれる話の運び、テンポが心地よかった。上のところで抜粋した相沢君登場の場面は、まるで吉本新喜劇の台本のよう。「タオルとちがいます」の章。
小3と小6で担任だった広木先生(のことを優等生だった子が書いた)次の作文が、妙に忘れられない。
P183
〈ぼくは、いやなことや困ったことにぶつかると、こんなとき、広木先生ならなんとおっしゃるだろうかと、まず考えます。〉
主人公は、後の人生においてピンチに遭遇すると、このセリフを思い出す。
3の7で出会った竹久洋子さんについて、掘り下げていないところが、読後、強く印象に残る。
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文春オンライン「週刊文春 2021年2月11日号」リンク、こちら
まずは著者近影をご覧いただきたい。
写っているのは、直木賞作家の姫野カオルコさん。このたび、連作短編集『青春とは、』を上梓したのだが、一体全体、何故このような扮装を?
「お茶の水博士ではありませんよ(笑)。『青春とは、』に登場する、化学の先生の格好をしてみました。青春小説というと、胸がキューンとするような恋愛や汗がきらめくスポコンを想像する方が多いのではないでしょうか。本書はそんな期待に応える小説ではないので、誤解を招かぬように、この写真を用意しました。
本書の宣伝のための著者近影が、これです。なぜに、こんな姿でわざわざ撮影したのか、その理由を説明しているのだけれども、ちっともこちらに伝わってこない。因果関係がつながりません。理解できないのです。この違和感たるや。なんでしょう。何度も考えましたが、やっぱり変です。
その後、作家姫野カオルコさんの魅力のひとつが、そこにあるのだと考えています。この姿、一度目にしたら、けっして忘れられません。目の奥底に焼き付いてしまいました。
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