北村薫の創作表現講義/新潮選書 北村薫 新潮社 2008年05月25日 発行 315頁 |
「読むことは表現すること(と同じ)」である。よそでも同様のことをおっしゃっていた。今回、何度も繰り返される。本文最後の章が「読むという表現」だった。
北村薫さんの文章はゆったりながれている。TVで拝見する話し方がまた文章に似ている。ただ伝えたいことを述べるだけではない。その背後にまとっているものまでを含んでいる。
自分の文章をあとから読み返すと、いつも舌足らずに感じる。
編集者の言葉にあった。作家と編集者の付き合い方は、精神科医と患者との間柄に似ている。精神科医は患者に飲み込まれてしまうことが多いのだそうだ。(自殺率も高いとあった)。エキセントリックな作家が多いということ? その伝でいえば、北村薫さんはモラルの人なのだろう。自己肯定感の高い人。
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母校の早大文学部で、2005年と2006年に表現の授業をした録音を再構成したと「まえがき」にある。穏やかな口調で語られた授業の内容が伝わってくる。一方的な講義ではなく、演習形式だった。高校の授業の大学版のような。
脚注が多い。本の紹介では書影まで入っている。できれば授業時に配布されたプリントの内容も見たかった。さすがに、そこまでは欲張りすぎなのか。
出版社サイトに目次があった。リンク、こちら。 ①歌人を呼んで、インタビューをさせてから文章を書かせる。その後、みんなで検討し合う演習。②掌編小説を書かせ、検討し合う演習。③編集者を呼んでの講演と質疑応答。④ナレーターを呼んでの講演と質疑応答。どれもが魅力的。それらの全部を、授業者である北村薫さんがMCみたいにリードする。したがって、それぞれの場面ごとには、必ず北村さんの言葉が挟まれる。そのひとつひとつが経験と学殖に裏付けられた内容になっている。いわゆる書き下ろしとは違う面白さだ。③で招聘した編集者が贅沢。新潮社の佐藤誠一郎さんと講談社の唐木厚さん。
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言葉の端々に厳しさがうかがえる。
おかしかったのが、受講生に向かって、これは常識として知っているでしょう? と言いながら進めているところ。前提の知識が問われているよう。冒頭、映画「ラスト・サムライ」に出ている渡辺謙の役名「カツモト」で、問われる。
P31
日本でカツモトといえば、まず思い浮かぶ歴史上の人物が、二人いるでしょう。どなたか、あげられますか。
学生の一人が細川勝元と答えると、「これは高校の授業でも出て来ます。」と一蹴。
もう一人は? しーんとしてますね。まあ、片桐且元でしょう。
即答できる学生はいなかった。自分がそこにいないのに、冷や冷やした。入力時、簡単に漢字変換で「片桐且元」が出たので、驚いた。さすがATOKなどと、気を紛らわす。
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本書はけっして情報量が詰め込みすぎているわけではないのに、読むのに時間がかかった。何しろ、2年間分の授業をまとめてある。もっとも、授業内容の中心を占めていた演習部分は大幅にカットしてあるという。
それなのに、こちらの脳内CPUのクロック周波数では処理が追いつかないのだ。無理にオーバークロックしてしまっては、熱暴走を起こしそうになる。
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北村薫さんは誰かの話を聞くのがお好きだという。
P168
誰かの話を聞くというのは、(途中略)スリリングです。同じ時同じ場所に、語り手と自分が居合わせるということです。極端にいうと、相手が黙っていてもいい。わたしなんか、同じ場所の空気を吸いに行こうと思って、どなたかのトークに出かけたりする。そうすると、《何か》をいただける気がします。こちらに貰おうという気がないと、駄目ですけれどね。
別の所では、鼎談に出向いた話もあった。そういえば、かつて出版社PR誌に、作家の講演会への抽選のお知らせというのが載っていた。
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北村さんはNHK教育テレビ番組の話題をしばしば紹介する。
P256 「知るを楽しむ」全4回/吉増剛造「柳田國男」について
ここでも北村さんは、吉増さんの話を聞けたことで満足した、という。吉増さんが布川の柳田國男記念公苑で収録した番組を見て、(以前にも行ったことがあるのに)また行ったという。
P258
お話を聞いているうちに、また行きたくなりまして、その後、車を運転して布川に行ってみました。
ほこらの前に立つと、丁度、風の強い日でしてね。裏の丘の木々が、潮騒のような音を立てて鳴っていました。《柳田少年が昔、そして、吉増先生がちょっと前に、ここにいたんだなあ》と思いましたね。
このエピソードには、ぐっときた。似たような記憶があるからだ。
この番組は自分でも見たことがある。吉増剛造さんが利根川の土手に座り、話をしていた場面があった。赤松宗旦旧居に面した土手だった。
ちょうどその頃、『利根川図誌』に熱中していたので、作者である赤松宗旦の墓や旧居に何度も通っていた。それが布川の柳田國男記念公苑にも近かったので、何度かそちらにも行ったことがあった。
恥ずかしながら、番組を見たあとに。自分も吉増さんがTVに映っていたのと同じ土手に座って、しばらく北村さんと似たような思いにふけったことを思い出した。完全にミーハーだな。ネット検索すると、2006年3月放送とあった。どこかに録画をしまってあったはず。
ついでに自分の過去データを検索して見つけた。記憶とは怪しいもの。実際に布川に出かけたのは2009年7月3日だった。早速、取捨選択して、このブログへもデータを持ってくることに。リンク、こちら。
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最後に、授業での配付資料をまるまるコピーしたものが載っていた。それが赤木かん子さんの雑誌「烏賊(いか)」から採ったもの。「烏賊」は、1983年に赤城さんが年賀状代わりに手作りした雑誌だという。手書きである。《推敲なし、下書きなしの直書き》だとある。「私が子どもだった頃(水飲み場の目覚め)」と「私が小さかった頃(かまくら)」の2作。インパクトが強かった。著作権のこともあるだろうが、これって本書以外で読むことはできるのだろうか?
里見弴の「椿」と塚本邦雄「晝戀」も掲載されていたが、それらにも引けをとらない。言い過ぎかな。それだけ授業内容がバラエティーに富んでいたということだろう。
赤木かん子さんといえば、「本の探偵」としか認識していなかった。スタートがこれだったとは。
続けて紹介していたのが写真集『うめめ』(梅佳代著、リトルモア刊)。ひと目見ただけで笑ってしまう。
これらの内容を含め、本書『北村薫の創作表現講義』を紹介しているサイトに、北村薫さんと宮部みゆきさんの対談があった。リンク、こちら。 「巧まざる表現者」と北村さんは言っている。宮部さんの口から、岡嶋二人の『おかしな二人』が飛び出してきたのには驚いた。かつて読んだ記憶がある。当然、書架から見つからない。段ボールには入っているのだろうか。
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P280 《書きたいことがない》《重松清という優秀なラジオ》の話も忘れられない。
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