雑品屋セイゴオ 松岡正剛 画・菊地慶矩 春秋社 2018年12月25日 第1刷発行 340頁 |
自分の好きなものにどこまでもこだわる。子どものころはともかく、年齢を重ねても、そうした姿勢をもち続けるのは大変だ。この本に登場するきらびやかな固有名詞の数々。小学校の理科準備室で見つけた標本や実験道具を思い出す。
三十代半ばという若いころに書いたものをまとめた本書を読んでいて、現在の松岡正剛さんが書いたものと、どこか違う気がして、それはいったい何がそう感じさせているのかを考えていた。一概にはいえないけれど、本書に登場した数々の魅力的な品物を、これまでの長い時間の中で少しずつ整理されたのが、今の松岡正剛さんの書くものなのではないか。奥に秘め、いちいち取り上げることはなくても、ここぞというところでは紹介してみせるような手際のよさがある。
本書では、あれもこれもと盛りだくさんに羅列が続く。読んでいて目移りするほどだった。まるで百科事典の索引のよう。それぞれの文章につけられたタイトルだけでなく、文中に登場する固有名詞(人名も含む)についても、それぞれ(注)をつけたら、さぞや面白いものになるだろう。
もう一つ付け加えるとすれば、こちらの無知なのだろうが、交友関係の広さと深さに驚いた。
・武田泰淳家の花ちゃんから譲ってもらった虎猫のポオは(P97)
・ パリにあったロジェ・カイヨワのアパートを訪問(P110)
・ レヴィ・ストロースが来日したとき、こんなことがあった(P218)
・ 入沢康夫から「松岡さんならフランシス・ポンジュの詩をおもしろく理解できるでしょう」と言われ(P255)
・ かつて埴谷雄高に国家論に関するエッセイを依頼した折(P301)
・ その後、ぼくは五藤光学研究所のN君と知りあいになり(P312)
下村寅太郎になにか言われたというフレーズがあったはずなのだが、何度見返しても見つからない。夢だったか?
ぼくが最初に作詞作曲したのは『比叡おろし』という歌だった(P323)
すっかり忘れていたけれど、そんな歌があった。そして、その歌は松岡正剛さんが作ったのだった。おかしいのは、ギターやピアノではなくてハーモニカで作ったというところ。ハーモニカは音を確かめるために使ったのだという。
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本書の成立過程を書いた巻末「収支報告」を読んで、なんだか少しほっとした。これが現在の松岡正剛さんの文章だ。安心して読める。出だしの部分でSF作家である山野浩一が自前で作ったという雑誌「季刊NW-SF」について説明している。
P336
NW-SFとは六〇年代のイギリスに誕生したニューウェーブSFのことだ。このSFはサイエンス・フィクションではなく「スペキュラティブ・フィクション」というもので、「誰にもおこりうる突飛」を内宇宙に向かって拡張した。マイクル・ムアコック、J・G・バラード、テッド・カーネルが「ニューワールズ」誌で旗揚げした。『結晶世界』『時の声』『地球の長い午後』『虚像のエコー』『危険なヴィジョン』などが六〇年代の米ソ対立で淀む世界に刺すような魅力を放ち、ビートルズらはそういうSFを背景に登場し、山野浩一がその日本化に挑んだのである。
うまい。一見、脈絡なく挿入されたようにみえるビートルズという固有名詞も、その後、じわっと納得する気持ちが沸いてくる。白黒画面の中、先鋭的な記者会見をしているマッシュルームカットと細身のネクタイを思い浮かべながら。
山野浩一が出した雑誌「NW-SF」に『スーパーマーケット・セイゴオ』と題して連載したのが、本書の原稿だった。第十二号(1976年)から第十七号(1981年)まで。
その後、松岡正剛事務所の二人が雑誌「NW-SF」を古本で集め、この本が生まれた。元原稿のタイトル「スーパーマーケット」をカジュアルに「雑品屋」としたという。雑品屋は「ザッピングしたよ」という洒落だそうだ。
「ちょっぴりニューウェーブで、たぶんにフェティッシュなオブジェ商品型録」
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