[NO.1447] 読書の価値/NHK出版新書547

dokusyonokati.jpg

読書の価値/NHK出版新書547
森博嗣
NHK出版
2018年(平成30年)04月10日 第1刷発行
222頁

小説家 森博嗣さんの読書についての考察。編集者からの提案では、推薦書一覧が欲しかったらしい。読者もそうでは? ところが、著者にとっての「読書」の意味が中心で、お勧め書名などはいっさい出てこない。しかし、現代に生きる上で、「読書」がどのような意義をもつのか、いつもの脱線まじりの文章で楽しく読ませてくれる。

■  ■  ■  ■  ■

そもそも筆者は他人から勧められた本など、手にすることはないのだという。読書の価値は、その本を読むことでどれだけ感動したかに尽きる。この感動するということは、人それぞれであり、「ああ面白かった」と思えれば、それでいい。したがって、他人に「本」を勧めることなどできない。で、筆者の個人的な本との付き合い方を説明することで、一般的な読者(どんな読者を想定しているのか、興味がわいた)にも参考になるであろう考えを提案(アドバイスとあった)している。

理系の准教授から作家に転身した筆者であっても、読書にまさるインプットはないのだという。あらゆる情報を得る手段の中で、活字を読むことはもっとも有効であると力説する。

読書は著者の考えを教えてもらうためのツールだと考えている。アインシュタインに会うことはできないが、著書を開けば子どもにでもアインシュタインから説明を受けることができる。わかる、わからないは別として。さらに、わからなくとも、世の中にはそうした世界が存在しているということを知ること自体、子どもにとっては意味があるのだとも。

本書での筆者の立ち位置は「研究者・作家」というスタンスらしい。さかんに出てきたキーワードに「発想」「アイディア」がある。もともと読書感想文など書くよりも、小学生のうちから小説を書かせた方がいいともいう。その方が生産性があるのだそうだ。AIがどれだけ進化しようとも、人間にとって残された分野なのだと。

研究者にとって重要なことは、課題を解くよりも、どんな課題があるのかを発見することだという。そういえば、小説の中にもそんな台詞が何度も出てきた。また、作家として文章を執筆する時間は2週間程度であり、それよりも発想を考えている時間の方が長いのだと何度も繰り返していた。

つまり、筆者にとっての読書とは、アウトプットをするためのヒントを得る行為なのだ。そんな筆者の結論、読書は選書という行為がもっとも重要である。このことが何度も繰り返し述べられていた。自分で選ぶことが何よりも大切である。

■   ■

本書の魅力は、作家森博嗣さんのファンにとって、いくつものエピソードが紹介されているところだろう。すでに知っていたこともあったが、さらに興味ある内容もでてきた。筆者の現在までたどってきた読書にまつわるエピソードの数々は読んでいて面白かった。

読者へのサービスと思われることも書かれていた。その中でも、アウトプットとしての視点、文章を書くということにまつわる話が面白かった。キーボードで文章を入力するという行為の快適さ。口で話すよりも速く打てることが大切とのこと。キーボードマニアにとっては、どんなものを愛用しているか、ぜひ知りたいものだ。以前、ノートPCに外付けでキーボードを接続している様子を写真で見たことがあった。

■   ■

【細かなあれやこれや】

p11
読書嫌いだった理由。
遠視のため、文字が見えにくかった。国語の音読が苦手で、トラウマ。そのことに気づいたのは、老眼鏡をかけてから。

p38
中1で初体験の読書。
エラリー・クイーン『Xの悲劇』。その後、四部作を愛読した。他には、ヴァン・ダイン、ディクスン・カー。

p49
中学や高校までの勉強は、結局は、本を読めるようになる基礎的な知識を得るためのものだった。

p57
萩尾望都に出会って考えたこと。
もともと筆者は読書中に、書かれていないイメージを「展開」する作業を行っていた。だから読書には時間を要する。ところが、漫画は小説よりも周囲や背景など細部の描写が描かれている。そこに魅力を感じた。

それがきっかけで、漫画や同人誌に興味を持つことに。

p63
高校生、数学以外のクイズにも興味を持ち、論理クイズ、図形パズルなども読み漁る。

p65
大学生、文学書もときどき読む。エッセィは予想外に面白かった。これくらいのものなら自分でもかけるなと勘違いをしていた。それだけの有名な作家にならなければ、誰も読んではくれない。

p73
本は人と同じような存在である
(コミュニケーションをとることで)つまり、自分の時間と空間内では経験できないことであっても、他者と出会うことによって、擬似的に体験できる。人を通して知ることができるのだ。これが、群れを成している最大のメリットだといえる。沢山で集まっているほど、この情報収集能力が高まる。誰か一人が気づけば、みんながそれを知ることができるからだ。
この言葉によるコミュニケーションが、文字に代わったものが本なのである。
結局、本というのは、人とほぼ同じだといえる。本に出会うことは、人に出会うことと限りなく近い。それを読むことで、その人と知合いになれる。

p96
読書は本選びから始まっている
百冊の本を選んで紹介したことが過去に一度ある。(『森博嗣のミステリィ工作室』講談社文庫)。

p100
若いときから、僕は研究という仕事をしてきた。この仕事で最も大切なことは、一言でいえば「発想」、つまりインスピレーションである。そして、これは、作家になってもまったく変わりなく、今もずっと同じ価値観で仕事をし続けている。
途中略
少なくとも、研究者や作家ならば、なによりも一番欲しいものが発想だ。

p103
ベストセラーを避けるべき理由
自分だけが読んだものならば、それだけで人よりも優位に立てる可能性がある。人よりも早く気づくことができ、早く新しい価値へと展開できるだろう。僕がこう考えるのは、研究者も作家も、第一に求められるのがオリジナリティだったからだ。

p107
作家志望へのアドバイス
だいたい人は、自分が好きな本を読む。その世界観が気に入っているわけで、読んでいる最中は楽しい。これは、成長や投資の意味での読書ではなく、あきらかに癒やしの読書である。だからこそ本を読んでいる、と胸を張る人も煎るかもしれないが、自慢できるものではないだろう。否、悪くはない。人それぞれ好きなことをすれば良い。それが趣味というものだ。しかし、それを仕事にするとなったら、これから自分が新たな世界観を作っていくうえで障害になる。不利な戦略は避けるべきだ。

p109
ネットでの無作為の本探しは、簡単ではない。僕自身、かなりの時間を割いて探している。毎日三十分くらいは、必ず漫然と眺めて回ることにして、習慣的に欠かさず続けるのが良い。

p115
問題を解決することは、院生レベルでもできる。一流の研究者というのは、問題を見つけることのできる人のことなのである。自分でテーマを見つけることができれば、もう一人前の研究者だといっても良い。

p138
上手な文章の条件
文章が上手いというのは、つまりは、自分の書いた文章を客観的に読み治せるかどうか、であり、それは結局「視点」のシフト能力なのだ。自分以外の誰かになったつもりでそれが読める、架空の人物の視点で文章を読める、ということである。

p144
やはり、文章を沢山書くことが、文章が上手くなる一番の方法だろうと思う。略
アウトプットすることで初めてわかることが非常に沢山ある。略
やはり、自分で読み直し、できれば何度も繰り返し手直しをすることだろう。

p154
僕は言葉で考えない
数学も同じで、数字は長さとしてイメージされ、座標上で長さを持った棒が足し算なら連結し、引き算なら並んでカットされる。数学の代数は幾何としてイメージされているのである。
言葉で考えている人は、数字も言葉だと理解しているようだった。僕には、そういう人がどうやって計算するのか不思議だ。おそらく、九九のように言葉として結果を暗記してしまうのだろう。

p180
インプットする側は、このように(作家のたくらみ)アウトプットする側に、いわば支配されているといえる。振る舞わされやすい、と言い換えても良いだろう。だが、支配されることの心地よさがたしかにある。それは、自然に任せられる、ついていけば良い、導かれるまま、信じていれば良いことがある、そんな宗教の香りがするような反応といえるだろう。というよりも、人間のこの特性から、宗教というものが生まれたのだ。

p181
本はイメージを運ぶメディア
さて、インプットとアウトプットいついて、僕が一つ心がけていることを、ここに記しておこう。
僕は小説を書いている。これはアウトプットだ。しかし、何のためにアウトプットしているかといえば、一つは、仕事だから(印税がもらえるから)だが、もう一つは、多くの読者が、それをインプットするからである。
そして、その多くの読者は、それぞれの頭の中で、なんらかのイメージを思い描くことになるだろう。つまり、僕のアウトプットが行き着く先は、そこだ。したかって、僕は、結局はそれが僕の作品である、と考えている。
本が単なるメディアであるのと同時に、本の中に書かれている文章もまた、その最終的なイメージを運ぶメディアにすぎない。すなわち、書かれて文章が作品の最終形ではない、ということだ。たとえば、もし誰かに読まれなければ、それは書かなかったことに等しい。言葉や文章のアウトプットとは、そういう宿命にある。
インプットがそうであったように、アウトプットも、最終的には個人の頭の中がゴールなのだ。

→読者論、テクストの自立性

p197
「読みやすさ」の罠
「やすい」ものが好まれる時代のようである。(食べやすい、生きやすさ)
本は読みやすいほうが売れるから、僕は(ビジネスとして)そういう作品を書いているけれど、自分が読む本には、読みやすさは求めない。むしろ読みにくい本、読み甲斐がある本の方が面白い確率が高い。

p212
有名人の著作が増えた理由
本は、明らかに記念の「グッズ」なのだ。

p216
出版社は読者集団のままで良いのか
大切なことは、新しいものを見つけて、それらを試してみることである。当たらないかもしれないが、「当たる」という現象が、既に過去のものだ。もう少し堅実なスタイルに切り替え、長く続けられるモデルを模索しつつ築いていくしかない。ほかにないものを作り出せば、それにしばらく縋(すが)ることができる。

■   ■

研究者と作家にとってという立ち位置、視点。

変化の著しい現代であっても、読書が一番すぐれているという。

アウトプットとインプット

自己啓発本としての本書の位置づけ

ビジネス

森ファンにとって興味ある、エピソードがいくつか登場した。