[NO.1307] 村上春樹 雑文集

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村上春樹 雑文集
村上春樹
新潮社
2011年1月30日 発行

構成として以下のように大きく つに分けられている。
序文・解説など/あいさつ・メッセージなど/音楽について/『アンダーグラウンド』をめぐって/翻訳すること、翻訳されること/人物について/目にしたこと、心に思ったこと/質問とその回答/短いフィクション/小説を書くということ

巻末の「解説対談」として安西水丸×和田誠が収められている。あんなにも仲のよかった安西氏が今年の春に亡くなっただけに、なんともいえない気分になった。本文中にも「安西水丸は褒めるしかない」という一文が掲載されている。

「あいさつ」に出てくる短文、受賞の言葉、特に新人賞の頃のものがなつかしかった。生意気なところが思い出された。近年有名になった「壁と卵」を読むと、ずいぶんと遠いところまできた気がした。

おやっと思ったのが、ピアノを弾くことに言及した部分。幼少期にピアノを習っていたという。いったいどの程度、弾けたのかはわからないが、若い頃にジャズの楽譜を読んでコードを確認したという逸話を見つけたときには、なんとなく腑に落ちる気がした。

p164「煙が目にしみたりして」から
デイヴ・ブルーベックの『タイム・アウト』もよく聴いた。これも高校のはじめの頃だ。最初は例の「テイク・ファイヴ」を好んで聴いたのだけれど、そのうちに他の曲が気に入って、結局「テイク・ファイヴ」以外のトラックばかり聴くようにたってしまった。とくに「ストレンジ・メドウラーク」というA面二曲目の美しいバラードが好きだった。『タイム・アウト』に入っている曲については、ブルーベック白身がソロ・ビアノ用に編曲した楽譜があったので、レコードを聴きながらうちで熱心に練習した。これまで見たこともないような不思議なコードをたどたどしく鍵盤上で辿(たど)っているうちに、「ああ、そうか、ジャズというのはこういう風に音を組み立てて響かせるんだ」ということがだんだん呑み込めてぎた。そういう意味ではブルーベッグさんは僕にとって貴重なジャズの先生でもあった。

ジャズに限らず、クラシックでもそうだが、音楽ファンの中で、自分でもある程度楽譜が読めて、多少楽器が触れる人は、そうでない音楽ファンとは違いがある。どこがどう違うのかと聞かれても困るのだが。
少なくとも村上春樹は

これまで見たこともないような不思議なコードをたどたどしく鍵盤上で辿(たど)っているうちに、「ああ、そうか、ジャズというのはこういう風に音を組み立てて響かせるんだ」ということがだんだん呑み込めてぎた。

という経験を若いときにしていたということを知り、「ああ、やっぱりそうだったんだな」と思った。

ピアノ関連で、バッハの「二声のためのインヴェンション」を弾いたこととして、もう2カ所記述がある。ともに作家になってからのこと。p256「バッハとポールオースターの効用」では、ワープロのない時代、ペンで原稿を書いていて、身体上のバランスをとるため、あるいは身体がいびつになったのを体操として、弾いたという。2カ所目はp393で「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」についての記述の中に出てくる。曲は同じくバッハのインヴェンションとある。左右の手の指の筋肉を均等に動かすことと上記作品の2つの内容を交互に書き分けていたときの様子(脳の使い方だそうだ)を比較している。