[NO.1233] 疲れすぎて眠れぬ夜のために

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疲れすぎて眠れぬ夜のために
内田樹
角川書店
平成15年4月30日 初版発行

面白し。目の付け所が光っている。いわゆる箴言めいたフレーズが満載。

p158
ある著者の「愛読者」というのは、その人の「新しい話」を読みたくて本を買うわけじゃない。むしろ「同じ話」を読みたくて本を買うんだと思います。

だから、自分の書くないようは、どれも同じ話ばかりですよ、と断っているようなものですよね。

このあと、志ん生の落語に置き換えて再度説明している。ご自分の書かれる話と志ん生の噺を同格に据えてしまえるところがなんとも。内田樹氏ならでは。

p161
ぼくは村上春樹と橋本治と矢作俊彦と村上龍と高橋源一郎のものは新刊が出ると本屋に走って行って買いますけれど、みんなほんとうに律儀に「いつもと同じ」ことを書いているんですよね。だから大好きです。
村上春樹が六〇年代ポップスの悪口を書いたり、矢作俊彦が横浜に飽きたり、高橋源一郎が健康のためにジムに通い始めたりしたら、がっかりしちゃって、もう読む気なくなりますよ(いや、読むかな、やっぱり)。

いやはや。だったら、橋本治なら、どういう例が考えられるかというのも書いてほしかったな。なんだろう?

※  ※  ※

最後にある(p242)「資本主義VS人類学」がいちばん面白し。

資本主義自体が目指す方向は人類学的には人類そのものを滅ぼしてしまうのだという。例として挙げているのがジェンダー・フリー。
種の生存戦略的に不利であるような社会のあり方を唱道するイデオロギーが興隆したという人類史的事件の重要性は看過でき(ない)のだとも。

資本主義がめざすのは「たくさん生産する、たくさん流通する、たくさん消費する」ということ、ただそれだけです。それ以外にはどんな目的もありません。

なるほど、したがって細分化されたマーケットほど面倒なものはないという考察が成り立つ。

「オリジナルな欲望」なるものは存在しない。自由と制約をめぐるすべての問題の起源にある人間的事実。なるほど。

「Ⅲ 身体の感覚を蘇らせる」では「背中の意識を蘇らせる」に、うなずいた。ずっと、自分の背中ほど見えにくいものはないのだな、ということを感じていただけに、「マップする視点」という考え方に、やっぱりそうかと思う。

「Ⅳ 「らしく」生きる」から最後までが秀逸。久々に目次を写す。
アイデンティティという物語
エコロジカル・ニッチ論
公人と私人
「ほんとうの自分」という作り話
日本人のアイデンティティ
礼儀作法を守る意味

Ⅴ 家族を愛するとは
どんな制度にも賞味期限がある
私の拡大家族論
愛してたら、人を殴れない
家族を基礎づけるもの
資本主義vs人類学

本文途中に出てくる岸田秀氏の考え方がちらちらするが、どれも視点を転倒させた見方ばかり。あるいは、視点をずらすとでもいうような。

便利さと引き替えに、近代がしょってしまった(暗黙の内に抱え込んでしまった)問題を提示させてくれた内容なのだろう。その昔、柄谷公人がさかんに言っていたことのような気もする。