『パンセ  ~ルイ・ラフェマ版による~ 』朝日夕刊から

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朝日新聞 夕刊 2011年(平成23年)9月26日(月)p6
こころ
生きるレッスン
哲学の神髄を学んだ
哲学者 森岡正博さんの「この一冊に出あう」

 いや驚きました。あの有名な本に、これだけ何種類もの版があったとは。


 パスカルの有名な著書『パンセ』を手際よく紹介しています。夕食後にお茶を飲みながら、ふと手にした夕刊にざっと目をとおしていると、この記事が目を惹きました。

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 しかし、17世紀に生きたパスカルが、森岡氏のいうように本当にここに書かれているようなことを語ったのか、ということに疑問が残りました。

以下引用

 パスカルはおおよそ、次のように言います。
 人間を取り巻く宇宙がどのくらい巨大か考えてみるといい。人間の想像が及ぶかぎりのものよりもさらに大きいのが宇宙であり、その巨大さには果てがない。それに比べれば人間は無にすぎない。
 では逆に人間よりも小さいものはどうか。ダニを拡大してみよう。その血液の一滴の中には無数の宇宙があり、星々があり、地球があり、動物がいて、表面にはまたダニがいる。この第二のダニに比べれば人間は無限に大きい。
 このように人間は、無限の宇宙と一体になることもできず、かといって無のなかに消え去ることもできず、その中間で宙づりにされており、頼るものもなく悲惨で、永遠の絶望のうちに沈んでいる。
 そのあとに例の一文が来るのです。「人間は自然のうちで最も弱いひとくきの葦にすぎない。しかしそれは考える葦である」。パスカルは思考というものに、悲惨な人間の、最後の尊厳の砦(とりで)を見ようとしたのでした。人間はいくらちっぽけであっても、その思考によって宇宙と対等に向き合うことができるという哲学の神髄を、私はこの本から学んだのです。

 当時の宇宙観、あるいは「血液の一滴の中には無数の宇宙があり......」という言い回しには、近代としての視点が見え隠れするように思えてなりません。

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 いずれにしても、森岡氏の論のポイントはラフュマ版のパンセを読まなければ埒が明かないという点にあります。ところが、これが絶版。「アマゾン」どころか、「日本の古本屋」や「スーパー源氏」でも出てきません。

  ラフュマ版パンセについて、解説しているサイトを見つけました。OKWAVE 質問とアンサーのページ。
↑ この中の ANo.5 に詳しく経緯が出ています。新教出版社版ということ。

 もともとが翻訳書なのだから、訳者によって内容は変わってくるのがあたりまえ。さらに仏語による元の版がこれだけ多種であれば、いったいどれを選んでいるのかということが重要になってきそう。それだけでも確認しておかないと、議論がかみ合うはずがない。

 ちなみに、あの「松岡正剛の千夜千冊」ですら、ラフュマ版についてはまったく触れていません。

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