[NO.822] 読書三到/新時代の「読む・引く・考える」

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読書三到/新時代の「読む・引く・考える」
紀田順一郎
松籟社
2005年10月7日 初版発行

 真摯な本です。もちろん巻末には「初出一覧」「参考文献」「索引」が丁寧に掲載。造本自体もしっかり。これで価格が1600円とは安い。

 もともと、第四章のATOK8開発についてのエピソードあたりが楽しみで本書を手にしました。予想もせず意外だったのが第1章の図書館について。東京都が公立図書館から14万冊の蔵書を処分していることへの批判が中心。その力強い文体に感銘。まるで明治期の文章のよう。

 書名「読書三到」の説明があとがきに。
 書名の『読書三到』は、読書のさい、心と眼と口の三つを集中させなければ、眼もおろそかになり、口誦も覚束ないという意味の四字熟語で、南宋の朱子のことばである。古人の知恵をヒントに、私は読む・引く・考えるという三つの要素を重視することこそ現代読書の要諦であると考え、標題に採用してみた。

p40
帝国図書館の実体
  文明開化の時代となって、西洋との格差に気づいた政府(文部省)は、一八七二年(明治五)、旧昌平黌(しょうへいこう)の地に書籍(しょじゃく)館を設けた。その三年後には湯島の聖堂の一部を借りて東京書籍館がスタートし、館長永井久一郎(荷風の父)の熱意によって充実を見るはずだったが、西南戦争の煽りを受けて予算ゼロとなり、あえなく東京府に身売りして東京書籍館、ついで東京図書館と改称された。そのころの利用者だった幸田露伴は、「閲覧料も至廉、且つ急に紙を要するものには紙を与へ、鉛筆を忘れたものには、鉛筆を貸すといふ鷹揚さであった」と回想しているが、女性の利用者には取っつきにくい施設だったようで、ここに前後二十九回訪れた樋口一葉によると、「女子の閲覧する人、大方、一人もあらざるこそあやしけれ。それもそれ、多くの男子の中に交りて、書名をかき、号をしらべなどしてもて行にたれば、違いぬ、今一度書直しこよと、いはるれば、おもて暑く成りて、身もふるへつべし」などという状態だった。なお、戦前の図書館は、ほとんどすべてが有料だった。

NO.819『図書館逍遙』の中で、
p18
幸田露伴や樋口一葉にとって、湯島聖堂の帝国図書館の存在とは何であったのか。
への一つの答えがここに出てきています。

p49
 もう一つ、問題の背景として不況による出版界の著しい低迷があることは否めない。それに対して図書館の利用者が増えていることは、最近十年間に出版物の推定販売部数が二〇パーセント近く減少しているのに対し、図書館の貸出数が二〇〇パーセント近く増加している事情からも窺える。出版界のマイナス成長がはじまった一九九八年以降の四年間に限っても、出回り部数や推定販売部数が三~五パーセント落ち込んでいるのに対し、図書館の貸出冊数は一七パーセントも上昇しているのである。
 こうした具体的な数字を目にすると、いろいろ考えることが出てきます。

p98
北原保雄『問題な日本語』(大修館書店)
 『明鏡国語辞典』の編者(北原保雄)らが、当節の日本語誤用例を取りあげ、適切な批判を加えた本で、ベストセラーとなった。