[NO.746] 月光に書を読む

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月光に書を読む
鶴ケ谷真一
平凡社
2008年4月2日 初版第1刷

 鶴ケ谷真一の著書を読むのは3冊目。次がいつ出るのか楽しみにしています。

 全体が大きく2部に分かれており、前半はいつもの本を中心とした話。後半が「柴田宵曲」について。極めておもしろい。宵曲氏は数学ができなかったため、編入試験に受からなかったという。そういえば、宵曲氏が敬愛した正岡子規も数学ができずに苦労したはず。

p130
それはまた、宵曲が好んだという川上澄生の版画にも通じる。
いいですねえ。

 ※

p103
 いつの頃からか、読書に日々の効用とは、情報でも知識でもなく、しばしの平穏を与えてくれるところにあると考えるようになった。就寝前のひととき、手近な一冊をひらいて読みはじめる。漫然と字句を追ううちに、昼間のあわただしいざわめきは収まり、ときにほのかな明るみに包まれるような気がしてくる......。これこそ最上のひとときであろう。
 そうした読書にふさわしい本は、当然のことながら時とともに変わる。よく手にしていた本がいつのまにか忘れられ、代わりに新たな何冊かが加わる。そういうなかになあって、この十数年というもの、柴田宵曲の書架に占める位置は動かない。

名文。

p110
 ここに、『根岸人(ねぎしびと)』と題された小冊子が十一冊重ねられてある。和文タイプで組まれた本文をホチキスで留め、無地の表紙でくるんだだけの簡素なA6版の小冊子。表紙には、題名の左下に「木村 新」という著者名があるが、奥付を欠いているので、刊行年月日その他はわからない。私家版としてつくられたらしい。
 これは、宵曲と深い親交のあった著者が、その没後に宵曲ゆかりの人たちを訪ねて話を聞き、また宵曲の書簡や日記によって、その誕生から亡くなるまでの歳月を克明にしるした記録である。自分のことは語らず、かつて経歴を請われたとき、知りたい人がいれば直接自分のところに聞きにくればよいと答えた人物の生涯が、著者の人知れぬ尽力によってここに残された。この得がたい年代記をもとにして宵曲の生涯をだどり終えたとき、おぼろげなりともその面影を得ることができたなら、筆者は望外の喜びとしなければならない。