[NO.609] 睥睨するヘーゲル

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睥睨するヘーゲル
池田晶子
講談社
1997年1月22日 第1刷発行

 94年以降に書いたものをまとめたもの、とあとがきにあります。その日付が1996年秋。すでに10年以上も前。もっと早く読みたかったものです。著者が昨年亡くなってしまっただけに、そう感じました。

 おかしかったのが、p111「ジャンルがほしい」。こうした著者の文章は、雑誌連載時、ジャンルがあいまいなために困るのだとか。文芸誌に掲載したときには、編集長が「なんであんなの載せる、あんなの文学じゃない」と責められたのだとか。
 書籍売り場でもどのジャンルに並んでいるのか。「哲学」は当然として、『ゴーマニズム宣言』の隣や「宗教」「スポーツ・体育」まであったといいます。

 併せて、肩書きに関してもいろいろ。ここで挙げられているのが『考える人』。いいですねえ。本書、冒頭に掲載されている「宇宙船と恐竜」の中で、宇宙飛行士たちが残した名言に触れ、著者流の言葉が書かれています。
■向井千秋「天女になったよう」に対して、「人は宇宙に行かなければ、宇宙にいけないか。」(こうしたパラドックス的な言い方が、この人の特徴でしょう)。「私は日々、天女である。」
■毛利衛「『宇宙船の窓から自分が居ない地球を見た』と言う言葉を聞いたとき、私はボコッと考えの穴ぼこに落ち込んだ。自分の居ない地球は、見ている自分の頭の中に、あるではないか。」
 さらに「帰還した飛行士は多く伝道師になる。宇宙で「神」を感じたのだそうだ。人は、宇宙に行かなければ、それを感じられないか。私は日々、オノレのアタマと一緒に居る。」


 政治に対して、言論(言説)に対して、生死に対して、社会に対して等々、著者の考えが誰かに似ているなあ、と思っていたところ、P127「だしぬけかしら」に、「『室内』から原稿依頼がきた。」とあるのを読んで納得。『室内』編集長だった山本夏彦氏に似ているのです。

 それにしても、本書のタイトル「睥睨するヘーゲル」にもなった雑誌『正論』連載最終回の文章はすごい。身も蓋もない。